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絶望の淵

反復性鬱病性障害と内部体質の記録です。
精神疾患の治療中で寛解を迎えていない方は、閲覧にご注意ください。

この世界に留まる理由

療養期間は長かった。年単位で苦しみ続けてしまった。苦しみの連続だった数年間を経た今も、娘と出会いたいと願い実現させた選択に一切の後悔はない。
運営手法に改善点はあったかもしれないが、その時の最善を積み上げていた。

社会復帰には、産業医と職場の友人達、家族がサポートしてくれた。完治しない病人を、快く受け入れてくれる人達に囲まれて、私は彼ら彼女らの優しさに救われた。この人達を傷つけたり、困らせたり、わだかまりを残すことをせずにいられてよかったと心から思った。

現状、この世界に留まれているのは、彼ら彼女らがいてくれるからだ。自分の内側から、充足や幸福も生み出せていて、それらを知っている、持っている、待っているからだとも思う。

鬱病の再発を起こした状況、自分の体質について記しておきたい。

再発2020

COVID-19 pandemic最初期に第一子を出産し、娘が育つ世界が混沌と分断の最中になった無力感と自責は大きかった。
この時期を選んでもいないし、自分で何かを変えることは困難だった。私に非はないだろうし、何も感じなくても悪ではないだろうが、私は自分の無力さに罪を感じていた。
娘が生まれて、夫は半年、私は一年の育休を取って夫婦で育児に奮闘した。娘は病気や怪我もなく育ち、成長の数々は感動の連続だったし、夫の家事育児ユーモアは最高だ。恵まれた環境にいるのに、私は自分の体質や思考の異様さを強く感じ、娘への遺伝と環境要因としての影響が不安で堪らなくなった。不安はどんどん増幅していった。

私の場合、親になって世界は確実に広がった。自身で抱えきれないほどに広がり続け、考える対象も感じる事柄も、増幅し続けていた。
同時に、限界が見えても、見ないふりをしたくなくなったのはいつぶりだろう…とも気がついた。
理想とする世界を想像することは簡単でも、私が生きているうちに何かが成し遂げられるとは思えない。理想に向かう世界の歩みは遅い。

父が生きていれば、知恵を授けてくれたかもしれないが、それは叶わない。私は10年以上灯台を失って海を漂っている。
対処を模索する中で、うつ病を再発させ、吹雪の中で赤ちゃんの娘を抱えて病院に駆け込んだ。

絶望の淵

考えることにも生き続けることにも疲れてしまって、動かない体で横になって、それでも苦しみが噴き出してくる。病気がそうさせているのかもしれないが、私は消えてしまいたかった。
私ひとりが消え去っても、世界は変わらず動いていく。時間の経過と共に名も無い過去のひとりになれる。そこに寂しさはない。痕跡は消えた方が安らかだ。私のことを覚えている人はいなくていい。

けれど、現実はそうはいかない。家族も仕事も友人もあって、そっと消えるには関係する人間が多すぎた。
私が自死を選んだら、私自身が地雷や手榴弾になったように、関係の近い人間から爆風と金属片を飛ばしてズタズタにしてしまう。誰かを傷つけたいわけでは決してない。

死とは生々しいもので、そんなものに娘と夫を巻き込んで、残していこうとする自分はもっと許せなかった。何度も、二人に私の苦しみを上乗せしていくことを想像して、苦しむなら私だけの方がいいと思った。
苦しみからの解放と人を傷つけることを天秤にかけると、後者が許せない。それは、私が一番したくないことだった。
苦しくても耐えるしかない。時間と共に、薬が脳の働きを支えてくれるようなら、生き延びることができるかもしれない。もしくは、私の内側の思考や感覚の整理がつけば、立ち直れるかもしれない。
どちらにしろ、ただ待つしかなかった。

夫とは、お互いに選び合った存在だ。大人2人の生活環境であれば、繭の中で溶けたままでいられたかもしれない。知ろうとしなければ、世界は限りなく狭い。
狭い世界で利己的に生きていくのも、選択肢のひとつだったとも思う。でも私は別の選択をしていたし、これに後悔はない。最良の選択だと思うからこそ、その先を気にしてしまう。

毎日何度も辿り着いた絶望の淵で、私をこの世界に留まらせたのは、娘の存在だった。
彼女だけは、私を選んでいないのだ。
私のエゴで、この世界に生まれてきてもらった。彼女にだけは、死んでも不義理はできない。私が選ぶ死という選択が許されない相手なのだ。
その一方で、過去に存在に気づきながら、通り過ぎようとしていた絶望の淵。この淵とこれを覗き込むと何が見えるか、私に思い出させたのも、見なければならないという焦燥が生まれたのも、彼女の存在があってこそだった。

体質

自分のこれまでを思い出そうとすると、内部体質から苦しみが生まれ続けてきたような気がする。
体質によって、感覚や思考が増幅していき、見たくないもの、気づきたくないものに接してしまう機会が増える悪循環だ。全ての人間が同じように感じ、見えていると思っていた。見えていて見ないふりをしているのだと思っていたが、どうやら違ったようだ。これは固有の体質なのかもしれない。

ある時は嫌悪し、疎ましく思う反面、この体質が生み出す成果によって、現状で物質的に困らない生活を送ることができている。ここだけ切り取って「生活環境」と言ってしまえは、随分と恵まれているだろう。

嫌な物事や人は遠ざけられても、体質ばかりは切り離せない。癌のように塊があれば取り除けるだろうが、そういうものではないらしい。この体質を消すには、私自身が消失するしかなさそうだ。
「これはもう体質なのだから、受け入れ、共存するしかない」と理解したのは、鬱病を再発させて療養を経てから、つい最近のことだ。
それまでは、あらゆる努力が足りないのだと思っていた。方向性が違うなら、それを見定める努力が足りない。足掻いても理想に近づけないなら、足掻く努力が足りない。

物事を見つめる時、見上げれば理想的な姿が見えるし、覗き込めば限界も見える。
自分で無意識で決める目標値は、世界の標準よりはおそらく高く、振れ幅もしっかり設定する癖があった。やらねばならないと思う物事には、常に突進していた。
自分で自分を評価して、自分で設けた基準に達していないことに怒り、憤り、更に自分を追い詰めてきた。この考え方とやり方について、一定の成功体験があるから、足りていない努力は何か仮説を立て見つけるまで止まることを許せなかった。しかし、これには限界があって、療養が必要になるまできてしまった。

療養を終えて社会復帰が叶った今は、自分の中で考え方と受け止め方を整理できていて、この体質も貴重な生存資源として活用もできている気がする。将来の見通しが立たずに過負荷状態に陥らなければ、うまく漕いでいけるようだ。

周囲に信頼できる家族がいて、成し遂げたいと思える仕事を持ち、一緒に何かを分かち合いたい人達がいる。この体質は厄介だが、これを持ち合わせていなかったら、状況は違っていて彼ら彼女らに出会えていなかったのかもしれない。それは寂しすぎる。
厄介な体質とは、これからも長い付き合いになりそうだ。娘に遺伝している可能性も否定できないし、兆候が見える。彼女に寄り添える体質の持ち主は、周囲に私だけかもしれないとなれば、お互いに共有して学び合っていく必要もありそうだ。まずは先に生まれた者が、付き合い方を模索して、操縦技術を磨くしかない。
彼女と彼女が生きる世界を考察し、未来に必要な力を見極め備えたい。

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