【映画感想】『仮面ライダー555 20th パラダイス・リゲインド』 ★★★☆☆ 3.9点

 2003年から2004年にかけて放送された特撮テレビドラマ『仮面ライダー555』のその後を描いた作品。一部の人類がオルフェノクと呼ばれる怪人へと変貌するようになってしまった世界。かつて人類に猛威を振るったオルフェノクたちは、今では逆に政府によって駆除される存在へと成り果てていた。そんな中、クリーニング店を営む園田真理は、人類とオルフェノクたちとの共存の可能性を信じ、仲間たちとともに人として生きることを望むオルフェノクたちを庇護していた。ある日、匿っていたオルフェノクの青年・ヒサオがオルフェノク殲滅隊に襲撃されたことから、真里たちは彼の救援に向かう。しかし、そんな彼女たちの前に立ちはだかったのは、数年前に失踪したかつての仲間・乾巧が変身する仮面ライダーネクストファイズであった。



 元のTVシリーズの555は若者たちの物語であった。一癖も二癖もある若者たちは、あるときは私怨で、あるときは愛憎入り交じりながら戦い合う。不安定で脆い若者たちのぶつかり合いが555のドラマの核であった。それに対し、20年越しの本作は、誤解を恐れずに言うとおじさんおばさん達の物語となっている。当然ながら容姿が云々という話ではなく、内面のことを言っている。

 無愛想で繊細な青年だった乾巧は、頑固で不器用なおっさんになっているし、美容師を目指す勝ち気な少女だった園田真理は、夢やぶれてクリーニング店を営みながらオルフェノクの保護も行い、明らかにくたびれている。エキセントリックな青年だった海堂直也も、20年経てばすっかり面倒見の良いおもしろおっさんである。ただ本作においては、これが良い。

 特撮ヒーロー作品の周年記念作品と言うと、あの頃のヒーローがあの頃のままにかっこよく再登場してくれるのが定石であるが、本作では登場人物たちに必ずしも楽しいことばかりではなかった、むしろ苦しいことの方が多かったであろう20年の積み重ねがありありと見て取れる。テレビ放送当時、彼らの戦いを固唾をのんで見守っていた元少年としては、自分に山あり谷ありの20年があったのと同じように、彼ら彼女らにも悲喜こもごもの20年があったことが感じられるのがたまらなく感慨深いのである。



 本作の話運びを冷静に見てみると、歪な部分もかなり多い。本作で物語を大きく引っ掻き回す胡桃玲菜/仮面ライダーミューズの心情描写は形式的すぎるうえに忙しないし、乾巧を延命させて戦闘員として起用するやら、北崎を模した精巧なアンドロイドを制作して社長に据えるやら、スマートブレイン社のやることなすこと、なぜそんな面倒な手段をわざわざ取るのか物語上での必然性がさっぱり分からない。そもそも草加雅人の正体がアンドロイドであったという筋自体が、「草加出したいけど、TVシリーズで死んじゃったんだよな〜。よっしゃ、アンドロイドってことにしたろ!」という力技感がありありだし、車に轢かれかけるベタすぎる容姿のお婆さんであるとか、着ぐるみ怪人同士のラブシーンであるとか、映像的にシュールすぎて、「おや……?」と思うシーンがいくつもある。

 しかし、一方で本作における登場人物たちの人物描写は芯が一本通っていて実に良い。前述したように、それぞれが20年分ちゃんと歳を重ねたことが感じられる登場人物の描写は、脚本と演出と演者の演技の3つがしっかり噛み合って非常に説得力のあるものになっている。さらに、巧と真里が一線を超えるまでの心情描写も実に丁寧だ。ここはかなり難しいポイントで、TVシリーズでの巧と真里は明らかに恋愛関係にはなく、むしろ、男女関係ではない信頼で結ばれた関係こそがこの2人の良さであった。そのため、この関係を説得力を持たせて変質させるのはかなりリスキーな取り組みだったと思われる。

 しかし、体の崩壊と長年の戦いでの摩耗による巧の精神的な疲弊を、オルフェノクと人類の共存を謳っておきながら、自身がオルフェノクになることには耐えられない真里の人間らしいエゴイズムを、過不足なく描く本作の筆致がこのタブーを”アリ”にしている。本作は気になる部分や引っかかる部分はあっても、物語の核となる心情描写がしっかりしているため、鑑賞時の満足度は非常に高い。もっと言えば、キャラクターの心の動きをしっかり描くことが出来ていれば、それ以外の部分の巧拙はたいした問題ではないという潔さすらも感じる。



 555の作風と言うと、前述のようなドロドロごちゃごちゃした群像劇が肝だったのだが、その一方で、最新技術が投入されたギアを駆使したバトルの洗練されたカッコよさも、もう一つの柱となっていた。しかし、555に登場するライダーたちが使用していたガラケーやデジカメなどは、当時こそ最新の機器であったが、20年経った今となってはむしろ古臭いグッズとなってしまった。

 そこで、本作では新型ギアで変身する新ライダーを登場させることで、この部分を時代に即してアップデートさせている。これが非常に良い。まず、当時のライダーたちが使っていたガラケー型変身アイテムをスマートフォン型にアップデート、さらにはここにAI戦闘予想機能という時代に即した機能も搭載しており、これがバトル描写的にも映像的にもフレッシュで非常に面白い。555に登場するライダーたちはベルトに携行する様々なガジェットをガチャガチャ扱いながら戦うのが味だったが、この機能をすべてベルトのスマホ型ギアに集約させているのも、現代のオールインワン的なデジタルガジェットの傾向にマッチしていてスマートだ。さらには、この20年で何度も擦られてきたファイズの高速移動強化形態アクセルフォームの令和版アップデートもしっかりと見せてきてくれている点も好印象だ。

 物語のラストでは、乾巧は新型ファイズギアを捨て、馴染みのある旧型のファイズギアで変身して最終決戦に挑むのだが、この展開が燃えるのも新型ギアを魅力的に描けばこそ。新型の装備に旧型の装備で打ち勝つのは、古今東西の映画でおなじみの王道展開だが、これが映えるのは最先端の装備をしっかり見せるからこそというものである。



 本作は20年前の作品の続編ということもあり、幅広い客層にリーチする作品ではないし、普遍性の高い作品とも言い難い。むしろ20年前に555を齧り付いて見たかつての少年少女たちに焦点を絞った作品であると言えるだろう。ただ、だからこそメインターゲットの観客の心には深く刺さる作品となっている。あの頃のテレビの前の私達にその後の20年があったように、画面の向こうの巧や真里たちにも同じように長く険しい20年があった。それを肌が感じ、心が熱く滾るのである。

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