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酷評されるほど観たくなる。


「宇多丸」というラッパーをご存知ですか?

何年か前に、たまたま見つけた彼の映画評論コーナー。

早口で辛口でパワフルな評論。

ラッパーだけあって、語り口調に店舗・・いやテンポがあり、

今までに彼が観てきた映画、好きな映画、嫌いな映画の中から、

適切な素材を持ち出しては、比較したり、分析したりする。

「映画」に関する知識の引き出し、ハンパない人です。

私は、そんなに映画を観ない方なので、

宇多丸が例えとして持ち出す映画をほとんど知らないし、

評論している映画も観ていない。

だけど、「宇多丸の解説」そのものが超絶面白くて、

声を出して笑ってしまう事もしばしば。

彼の映画に対する真摯な姿勢と、知識と愛を発揮するのが、

取り上げた作品を『酷評』する時。

とにかく喋る喋る。

「クソつまんない映画を作るな!」という怒りを、ビシビシと感じます。

だけど、「クソつまんない〜」発言を実際にする事はあまりなくて、

つまらないと感じた理由を、きちんと分析する。

話の辻褄が合わない。

展開が唐突すぎる。

都合良すぎる。

オマージュになっていない。

テレビドラマを無理やり映画にしている。

「スポンサー」「提携」「広告」など、大人の事情が見え見え。

作り込みが足りない。

「泣かせる」前提で作ると、陳腐な作品になりがち。

等々・・・

「話の辻褄が合わない」「都合良すぎる」点について彼は、

自分の「好き嫌い」だけの浅はかな批判しません。その事で映画がより面白くなっている作品は、手放しで褒めます。

批判するのは、その矛盾が作品をつまらなくしている為です。

つまり、「愛」なんですね〜。

「つまらない」と感じた映画こそ、宇多丸は集中して観ている気がする。

彼が、どんなにつまらない映画でも、退屈な映画でも、時には、チケット代をドブに捨てているような気分にさせられる映画でも、途中退席することなく最後まで見続けるのには、映画に対する「愛」があるから。

一つくらいは「観てよかった」と思える場面、セリフ、表情、技巧があるはず、あってくれ・・・と願っているし、期待している。

だから、酷評してこき下ろす作品の監督に最後には、「だけど、次の作品は期待してますよ。」と締め括る。

「愛」です。

宇多丸は酷評することで、『映画が好きだけど、自分では一生に一本だって、1分だって、1秒だって作品を作れない人々』の代表として、

輝かしいチャンスを与えられた映画人に対して陳情する。

「頼むから、ちゃんと作って。」と。


私たちはずっと、物語の中を生きてきました。

古代の人たちは、自分たちが生き残っていく上で必要な知識を口承で伝えてきた。時には歌にしたりして。

あの木の根っこは、薬になるよ。

この時期は、こういう動物が森に隠れているよ。

キノコで食べれるのは、この種類だよ。

勇敢な男達が、この村を敵から守ったよ。

昔、大飢饉があったよ。その時、こうして乗り越えたよ。

などなど・・・

その文脈は、文字が出来て、本が出来て、映画が出来たことで、

より寓話性を高めて、人類に受け継がれてきた。

映画を見る事は、

有史以来、物語の中で生きてきた自分を強く感じる事。


だから「つまらない」映画に、宇多丸は怒る。


作品を絶賛する回よりも、酷評する回が面白いのは当たり前ですね。


例えば、

「スタンドバイミードラえもん」のフルCGバージョンの内容を、全力でこき下ろしていた宇多丸。

のび太としずかちゃんの結婚前夜のエピソードと、のび太とおばぁちゃんのエピソードを繋げて作品にしている映画なんだそうです。

私は観ていません。

青年のび太の幸せを「しずかちゃんと結婚する事」の一点に絞っている事に、非常に違和感を訴えていた宇多丸。

その事を、彼は『ジャイ子問題』と言って、辛辣に抗議。

原作漫画の中で、軌道修正される前の、のび太の未来は、

ジャイ子と結婚していて、子供もたくさん居るという有名な設定。

それを「のび太の不幸」としている事に、宇多丸は怒ってる。

藤子先生の原作にも怒っているけど、映画の中で、

原作のニュアンスを、より「閉じた方向」へと修正している事の、気持ち悪さを話します。

要するに、作り手が観客を『泣かせる』前提で話を都合よく作り、しかも観客に気づかれないように微妙にキャラクターの性質をいじってる。

「シズちゃん」と結婚する事を、ドラマチックに演出するために青年のび太を、徹底的にダメ人間に描き、それでものび太を愛するしずかちゃんを聖女のように描く。

そして『ジャイ子問題』。

「のび太がシズちゃんと結婚した時点で、沢山いるジャイ子との子供達、消されるからね!」

宇多丸のジャイ子愛に吹き出しました (*≧∀≦*)

あまりにも、この映画に怒るあまりこう吠えた。

「のび太が目指す未来は、しずかちゃんと結婚することではなく、見た目の不利にも負けずに漫画家として成功して自分の足で立っている『ジャイ子』の方だろ。そこを目指して努力した先に、もしかしたら『しずかちゃんとの結婚』もあるねって話でしょ?とにかくこの映画は、未来に行くにつれてのび太の可能性を潰して一つ一つ閉じていってる。」

とまぁ、彼が言ったことを思い出しながら書きました。

はぁ。疲れた。


品川庄司が作った映画も、キレッキレのナイフで3枚に下ろして、

見事に料理してた。

『宇多丸料理長の、品川庄司映画の酷評活き造り。薬味に愛を添えて。』

私のおすすめです。

「品川庄司」「なべあつ」「松本人志」という芸人映画監督トリオが、

異口同音に「優れたお笑い芸人である俺たちが作った映画だ。

観客はありがたがって観とけ!」という趣旨の発言したことに対して、映画を愛する全ての人の代弁者宇多丸が、「喝」を入れてた。

「映画、舐めんじゃね〜。観客、舐めんじゃね〜!」ってね。

「愛」です。愛しか感じない。

品川庄司は、最初の作品「ドロップ」を宇多丸に酷評された事に怒り、

なんと、その気持ちを次の作品内で、登場人物のセリフを借りて言っている。

「一本だって、1分だって、1秒だって、映画とった事ないくせに」うんぬん・・・。

誰だって、作品をコケにされれば腹が立って当たり前です。

特に映画のように大金を注ぎ込んで作る物は、

失敗は許されないだけに、精も魂も注ぎ込んで作っているはず。

だけど、剥き出しの私情を作品内でセリフで喋らせる⁈

それって色んな意味でやばいと思います。

監督として、成長する気はさらさら持ち合わせていないのかも。

映画に対する姿勢の違いを、品川と宇多丸に感じると。

観る人がいてこその物語。

想像力の貧弱さは致命傷になりかねないですね。


映画愛溢れる「宇多丸」の偉大さは、『酷評』にある。

だって、『酷評された作品』ほど、私は猛烈に観たくなるんだから!

あ〜、「スタンドバイミードラえもん」と「ドロップ」が観たい!









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