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人魚屋敷の脳先生 (第2話/全26話)

02

 花期の長かった椿の花々が地面を赤く染め上げている。
 姿形そのままの美しさを保ちながら落ちる椿の絨毯が広がる様はさながら桃源郷のようである。
 しかしながら、この美しい屋敷(僕にとってであるが)はご近所からは皮肉を込めて「人魚屋敷」と呼ばれている。
 その名の通り人魚が居るからであるが、こうして落ちてなお美しい椿を見ていると、八百歳まで若く美しい姿で生きたとされる人魚伝説で有名な尼僧と通じる所もあり、皮肉とはいえ、ふさわしい呼び名なのかもしれない。
 それに、八百比丘尼も全国諸国を巡り、方々で椿の苗を植えたという伝承がある。
 また、人魚伝説には主に二系統存在する。一つは先に挙げた八百比丘尼を代表とする、「人魚の肉を食べた為、二百~八百歳もの間、長生きした」というもの。
 もう一つは「人魚の恩返し」的な「鶴の恩返し」と非常に構造が似た一種の「報恩譚」ものだ。所謂「人魚を助けた相手」に報いるために妻となるべく「女に化けた」というものであるが──。
「先生、東雲先生」
 庭先の散策をしながら花木や門扉にかかった蜘蛛の巣などを眺めつつ空想にふけっていたら声をかけられた。
「私です。小柳です。原稿のお進み具合を伺いにまいりました」
「ああ……小柳君か、申し訳ない。ちょっと考えごとをしていたもので」
 考え事と云うよりは空想であるが、それが僕の生業でもあるのだからあながち嘘ではない。
 小柳君の仕事は編集者で、前々から僕――東雲光太郎に原稿の打診をしてくれていた。何でもいいから書いてくれと云うのである。彼は僕の作品に憧れ、編集者になったと云うが、申し訳無いことに彼に原稿を渡せた事は一度もない――。
 一昨年に妻を亡くしてからと云うもの、僕は世に云う「スランプ」状態で、書いては消し、書いては消し、をくりかえしていた。
「せっかく来てくれたのに、申し訳ないのですが、ちょっと調子が悪いのです。もう少し時間をいただけませんか……上がっていただきたいところですが、今は家政婦も出かけているので」
「いえ、お心遣いには及びません。ですが、心配なのでまた様子を見に伺いますね」
「心配」か。彼もご近所での僕の評判を聞き及んでいるのだろう。


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