ショートショート『蚕珠サマ』
ショートショート
『蚕珠サマ』
初めて蚕珠サマを目にしたのは小学校、確か三年生の頃だったと思う。
ウチは貧乏で、そのうえ父親も早くに死んで居なかったけれど、母親が妙にのほほんとした性格だったせいか悲壮感は無く、また俺自身が時には高学年に間違われるほどガッチリとした体格だったので、いじめられたりする事もなくごくごく普通に暮らしていた。
ある年のクリスマス・イブの事である。
「実。これクリスマスプレゼント」
父さんが死んでからというもの我が家でクリスマスプレゼントを貰える事など無かったので正直驚いた。それぐらいウチは貧乏だったのだ。
数日前に何気なく言った『マー君ちはいい子にしていたらプレゼント2つ貰えるんだって。一つわけてほしいな』という軽口のせいなのは明らかで、少し……いや、だいぶ胸が痛んだ。
プレゼントと称された子供の掌サイズ程の大きさの小箱を開けると、中に入っていたのは真っ白いウズラの卵のような代物で、てっぺんから少しずれた上部にぺたりと小さい『封』の札が貼られていた。
――卵みたい。
「これはね。『蚕珠サマ』といってね、実の願いを叶えてくれる凄い神様のお守りなんだよ」
――サンジュサマ。
「実にはまだ難しい漢字かもしれないけれど、お蚕さんの「蚕」の字でサン、ジュは真珠とか宝石につかう「珠」という字を書くの」
それはつるりとして居るけれども、ほんの少し凹凸が感じられる指触りで、母さんが時々身につける着物に手触りがよく似ていた。
そっと振ってみても中は空なのか羽のように軽かった
――お母さんがお願い事すればいいじゃん。
ウチは貧乏なんだし。という言葉は飲み込んだ。
「お守りは――蚕珠サマは人から渡されたものじゃないと効果は無いの」
――ふぅん。
「一つの蚕珠サマが、叶えて下さる願いは三つ。こうやって優しく両手に包んで、神社にお参りするときみたいに手を合わせて強くしっかりと心の中でお願いするの。その願いが真剣で、心からのモノであれば、蚕珠サマは必ず叶えて下さるわ」
――何でもいいの? モノでも、お金でも、才能でも?
「何でもいいのよ。願うのも、夢を見るのも自由だもの」
――どうか、どうか、サンテンドーのゲーム機を下さい。
子供だった俺が願ったモノはお金でも才能でもなく、他愛のないおもちゃだった。欲が無かったワケではないが具体的にしっかり、そして心からイメージ出来るモノがそれしかなかったからだ。
子供らしい一途さで強く強く願ったら、手の中の蚕珠サマがぶるりと動いた気がした。 そうしてさっきは何の音もしなかったのに、手の中で軽く転がしただけでオルゴールのような音がした。
――シャララ。ルララ。ララン。
「さっそく願いが実ったわね」
――え?
「音がしたでしょう? それが合図なの。願いの珠を出してあげて」
蚕珠《サンジュ》サマを壊さないように恐る恐る『封』を剥がす。そこには小さな穴が空いていて、傾けると、綺羅綺羅とした美しい白っぽい珠がオパールのように遊色をゆらめかせながらコロリと出てきた。刹那、蚕珠サマの願いの珠は――ぽぅん。と五色の煙となり、あたりにかき消えた。
――わ。キレイ……。でも、こんなんで願いが叶うの?
「大丈夫よ。お母さんと蚕珠サマを信じて」
そうして、ささやかながらもクリスマスのご馳走とケーキを食べ、クリスマスの特別番組を見たりしているウチに願いの珠の事なんて忘れてしまっていた、その時。
「こんにちはー。お届け物です」
インターホンが鳴ったので、もしやと思ったら。案の定、届いた荷物は祖父からのクリスマスプレゼントで、欲しかったサンテンドーのゲーム機だった。
ご丁寧に『クリスマスおめでとう。おじいちゃんサンタより』というメッセージカードが付いていた。
――サンタが名乗っちゃダメじゃん。
「あはは。本当ねぇ。あら、ネックレス……おじいちゃんサンタ、私にもプレゼント贈ってくれたのね」
母はとても嬉しそうで、ネックレスに付いたメッセージカードを読み、少し涙ぐんでいた。
**
大学生になり、実家にロクに帰っていない俺が、初めてできた彼女へのクリスマスプレゼントに真っ先にネックレスが思い浮かんだのはその時の記憶があったからであろう。
思い返せば、あの時に祖父からプレゼントが届いたのは偶然だとは思うが、今となっては良い思い出だ。
女の子の流行や好みがわからないので正直にどんなネックレスが欲しいか聞いてみると
彼女が欲しがったのはジルというブランドのものであった。
懸命にバイトをし、通常のアパートの家賃に加えプレゼント代にクリスマスディナーの合計金額は余裕で稼いだつもりであったが、それを遙かに上回る……正直、学生にはかなりキツイ額の代物であった。
ふと、俺は蚕珠サマの存在を思い出し、鍵付きの机の引き出しの中にしまっておいた宝くじと更にその奥の蚕珠サマの小箱を取り出した。
願い事は三つ。あと二つ残っている――。
俺は『この宝くじが当たりますように』と強く願った。
クリスマス・イブの今日は朝から花びらのような雪がちらついていて、完全なるホワイトクリスマスである。この勢いだと明日には都心でも一面の銀世界となるだろう。
一方俺はそんなロマンチックな天気とは裏腹に昼過ぎに起きて、飯も食わずアパートのベッドの上でくさっていた。ふられたワケでは無い。一週間前、かくして願い通りに宝くじに当選した俺は、無事にプレゼントを購入。嬉々としてクリスマスデートを申し込んだ。 ――ところがである。
「実、ごめん! クリスマスは家族と過ごす事になっているから」
そう言われては……と仕方無く、クリスマス前にデートをし、プレゼントを渡し、ディナーにと誘う。しかし「門限があるから」と断られ、そのまま帰路に着いたのだった。
そしてあれから一週間……彼女からはなんの連絡もない。
――ふぅ。
俺はため息まじりに寝返りをうつと、おもむろにスマホのフリマアプリのアイコンをタップした。
せめてもの慰めに自分へのクリスマスプレゼントを探そうと思ったのだ。
トップ画面に『新着・オススメ!』の画像が表示されている。やはり人気なのか、彼女にあげたのと同じブランドのネックレスが多数出品されている。その中の一つを何気なくタップして、アップされている画像を見て愕然とした。
――俺があげたやつじゃん!
ネックレスは同一人物から同じものが複数出品されていた。出品者曰く、『お友達』から『偶然同じプレゼントをもらった』らしい。
俺はサプライズも兼ねて、通常デザインではなく、少々割高なペンダントトップの裏面に小さなダイヤ付きの限定品を選び、尚かつそれはシリアルナンバー付きの品だった。商品の画像のアップにはそれらがしっかりと写っていた……。
スマホ画面を凝視していたら彼女からLINEメッセージが届いた。自撮り写真付きだ。
『実。今日はごめんね! ネックレス付けたよ。似合う? 家族にも可愛いって褒められちゃった♥ ありがとー♥』
――誰からのネックレスだよ。アホらし。
俺は返信代わりにフリマアプリのシェア用URLを送りつけ、既読が付く前にブロックしてやった。
母さんなら喜んでくれたのかな――。
そう言えばずっと帰っていないな……。
久しぶりに帰ろうかとも思ったが、でも、クリスマスに、しかも手ぶらで帰るのも情けない。だが金は使い果たしている……。
そもそも金があったとして母さんが欲しいものって何だろう。直接訊いてもいいけれど、母のことだ、苦学生である息子相手に遠慮して簡単には答えてくれないだろう。
――そうだ。
俺は再び引き出しの鍵をあけ、中から小箱を取り出した。
――蚕珠サマ、どうか、どうか、母さんの願いを叶えてあげて下さい。
手の中が微かに揺れた。
**
最終の新幹線に飛び乗り、『今から帰る』とLINEを送る。二時間ほどで最寄り駅に着き、バスを待つのももどかしく薄く積もった雪に足をとられながらも走った。実家までもう少しの所でなまった身体が音を上げて、両膝に手をつき肩で息をする。
肺に冷たい空気が入り込み、心地良い。
そうして呼吸を整えながらゆるゆる歩いているうちに着いてしまった。
――よし。
俺は何故か少し緊張しながら「ただいま」とドアノブを回した――。
何もこんな日に帰って来なくてもいいのに。
そう言いながらも母さんは嬉しそうに出迎えてくれた。
――こんな日だからじゃん。
――これ。受け取って。クリスマスプレゼント。
「蚕珠サマ……。まだ持っていたの?」
――うん。あと一つ、願い事が残っているんだ。
「え? ……でも、これは私が実にあげた蚕珠サマでしょう?」
――お守りは人から渡されないと効き目が無いんだよね。
「ええ。そうよ」
――だから俺から母さんへ『プレゼントとして渡せば効く』んじゃない?
「あぁ……なるほど。そうね、でも」
それでも躊躇う母に重ねていう。
――それに……ほら。聞いて。
――シャララ。ルララ。ララン。
――ね。俺、お願いしたんだ。「母さんの願いが叶いますように」って。
――だからさ。蚕珠サマの中にはもう母さんの願いが実っているんだ。
――実ったって事はさ、何か強く願っていた事があるんじゃない?
「……ありがとう」
ようやく蚕珠サマを受け取った母は優しく封を剥がすと珠を取り出すべく、そっと傾けた。
だが、蚕珠サマから出てきたのは願いの珠ではなく、白くてふわふわした蚕にそっくりの生き物で、ひょこんと顔を出したかと思うと、のびするように羽をひろげ、ぶるりと身を震わせ舞い上がると、少し空いていた窓の隙間から藍色の闇の中へ綺羅綺羅した軌跡を残しながら消えていった。
――やっぱりキレイだなぁ。蚕珠サマ。
「そうねぇ」
――……ところでさ。
「なぁに?」
――何をお願いしていたの?
ふふふ。と照れ臭そうに笑いながら母は言った。
「実がたまには帰って来ますように……って」
窓の外ピンとした空気の中、星も雪も柔らかく輝き、妙に滲んで見える夜であった。
――シャララ。ルララ。ララ。ララン。
(了)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?