人魚屋敷の脳先生 (第23話/全26話)
23
硝子の前をウロウロと行ったり来たり泳いでいると、急に尾鰭に激痛が走った。
驚いて足もとを見ると、ウツボが喰らいついていた。
私を再び海の底へと引きずり込もうとする。
──脳先生。脳先生。
──かわいそうな脳先生。
──人魚屋敷に一人きり。
──イカレているから、あんな夢や幻みたいな話を書くのさ。
──イカレているから、空っぽの金魚鉢に話しかけたりするのさ。
──イカレているから、『あんたみたいに居もしない娘』に夢中になるのさ
うるさい! うるさい! うるさい!
あたしの大事な人に酷いこと云わないでよ!
あんたたち、蒲焼きにして猫に喰わせてやるんだから!
生まれて初めて喧嘩をしようとしたその時、周囲の藍色の濃度がぐんぐん増してきた。
インク壺の中みたい。
あっという間に黄昏時だ。
ぽこん。と何か柔らかいものが頭にあたった──シャボン玉……?
それらは円くって虹色で、あたしは硝子の向こうからシャボン玉が降ってきたと思ったの。でも、違った。たくさんの海月だった。
射干玉の闇に輝く大小の海月たちを見ていると夜空の綺羅星のようで、いつかあの人が読んでくれた本に出て来た星海月を思い出した。
海月たちがすっとウツボをひと撫でするとビリビリと震え、鉛筆みたいに真っ直ぐに固まって、落ちていった。
たくさんの海月たち。いちばん大きなお化けみたいな子が大きな傘を広げたかと思うと、そのままばくんとあたしを飲み込んだ。
活字じゃない、それ以外の海の底の意地の悪い生き物たちの言葉。
あれは全部あの人に打つけられた言葉、あの人の心に刺さった棘だったんだわ……。
そんな恐ろしい事実に気が付いた私は、みるみる身体が冷えて、ふるえていた。
でも海月の中は温かく、ゆらゆらとした揺れて心地よくって……あたしはそのまま円いまるいお月様みたいな海月の中でいつしか眠りにおちた。
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