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マインドフルネスを初めて約半年後

猫目石一家、マインドフルネスを続けて半年と2週間ほど間経ちました。現状も引き続き、伝染病騒ぎにはとらわれず、われわれのやるべきことに力を注いでおります。

4月下旬に外部よりちょっかいを出されて、とある面倒な事件が勃発しましたが、1週間で乗り越え、再びやるべきこと(猫目石のオリジナル曲録音)に戻りました。われわれ、自宅で生楽器を録音したことがございませんので、音をとるまでに相当の時間を要しております。始めたのが4/15日頃ですから、今は一ヶ月ほど経っていますね。

ピアノの録音なのですが、自分の思うところの最高音質ではなく、ある程度のところで諦める必要もあると思いました。スタジオでプロの人のとってもらうのとは違うのは当たり前。今のところはハンディレコーダー一つでとっておりますが、来月にはマイクを2本追加いたします。輸入に1ヶ月以上かかっておりますので、今回の曲はレコーダー1本(マイク2本)にしておき、次回からはマイク4本でとっていくことにしました。

それはさておき、マインドフルネスにおける気づき。

自分の人生を生きる

われわれマインドフルネスを理屈ではなく、身体や脳の内側から発せられる通達を大切にしております。先月は「自分の人生を生きる必要あり」と強く感じました。言い換えれば、自分の生き方に自信をもつことではないか?とも思ったのです。

われわれ、今までは良きポジションについたことは少なかったです。そういうこともあり、どこかビクビクし、自信がなかったと思います。それは自分を自分で理解していなかったことにありますね。

今は、以前の環境から100%足を洗っておりますので、何をやったとしても非難されることはありません。そういうこともあり、仕事は専門一つではなく、複業(副業ではなく、関連性のある仕事を同時進行)としてやることにいたしました。

過去の経緯からも、猫目石一家は一つの仕事だけでやっていく資質ではないと思っております。以前に瞑想中、「木を見て森を見ずにはなるな」とのお達しがありました。その通りです。われわれの力を認めてくださる方がいれば、なんでも、厚かましくやっていけばいいと思い、すでに行動しております。

(木を見て森を見ず・・・瞑想中の風景も、深緑の深山なんです。川のせせらぎも聞こえ、とても気持ちの良いところでして・・・この風景はわれわれの脳の内部ではないかと思っております。脳の作り出す世界は神秘的ですね。)

マインドフルネス瞑想と現実は別個のものではない

マインドフルネス瞑想やその他の瞑想に集中すれば、現実から離れたくなり、仕事をやめてしまったり、世間一般では通用しない方向へと進んだりする例をみてきました。われわれはどのように進んでいくのか?わかりませんでしたが、約半年過ぎてみまして、以前より現実的になったと感じます。

呼吸を観察することは、音楽でいえばフレーズを見ることと同様です。これは日本的に言えば、の世界です。文章やお話でいえば、間合いを大切にする。白紙の部分を大切にするとでもいいましょうか?そのほうが読者に伝わりやすく、楽に読めるのです。

また、身体が変わればライフスタイルも少しづつ変わり、かつてこだわっていた仕事のやり方が違うことに気づき、本来の自分にあった仕事(自分でなければできない仕事)へとシフトしていく。結果的に今自分のやっていることを、どうやって形にしていくか、青写真を描くことができています。

5月に入ってからは、オリジナルの仕事の準備として、複業のためのテストがありました。マインドフルネスのおかげか、相手の要求を分析しつつ、冷静に対応することができまして、上々の出来となりました。マインドフルネス後、外の世界の方とやりとりするのはお初ですが、おぼろげながら仕事のための要領をつかみつつあります。

自分を観察する=他猫を観察することなのです!以前は観察ではなく、他猫がどう思うだろうか?ここら辺で仕掛けてやろうという方法でしたね。これだと、冷静さに欠けるのです。マインドフルネスを通して、いつの間にか冷静な観察力を得つつあり、釈尊は天才であったのだなぁと思う日々です。

時間の観念

時間に操られるのではなく、猫目石独自の時間をもてるのではないかと考えています。マインドフルネスを始めて少し経った時から、ゆっくり行動しているのに、時間が余ることがありました。逆に慌てると時間がなくなる。これは今でも変わりません。

ゆっくり時間を使えるということは、寿命も延びるのではないかと考えました。老化とは、生き急ぐことではないかと思うのです。これは素人考えですが・・・いずれにしても、人生猫生をゆったりと充実したものにしたいですね。


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