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♯13お金と幸せの関係は、お金に関する量で決まる

幸福の源泉が外部にあると思う人は、幸福になるために多くのお金が必要になる。


お金は3つの使い方があると思う
①最低限の生存の為に必要なお金
②自分がこうありたいと思うことに使うお金
③他者にこう見られたと思うことに使うお金


生きていくために、最低限、必要な衣食住にかかるお金
 これは特に説明はなくてもわかると思います。
 ここでは必要最低限、生命活動を維持するためのお金です。あまり多くは必要ではない。


自分がこうありたいと思うことに使うお金
 自分の内面の話 こういう気持ちでいたい 自己探求 自分との対話
 自分と話をするのにそこまでお金はかからない。
 心の赴くままに旅行をしたくなるかもしれない。旅行をする目的も自己探求であれば、過度な欲望による贅沢をすることもない。
幸せな気持ちが持続するお金の使い方になる。満足度高い


他者にこう見られたいと思うことに使うお金
 他者にどう見られたいかを基準にお金を使う為、いくらあってもお金が足りない感覚になると思う。満足度低い
 他人からよく見られたいと思い、いい住まいに住む 住むだけで必要以上のお金がかかる。
 他人からよく見られたいと思い、いい服を着る。服に必要以上にお金がかかる。
 他人によく見られたいから・・・と続く所有欲。

 

欲望の源泉が外部にあるとお金がかかる

20代は他人がやっていること、他人がもっていること うらやましいと思ったし、同じように買っていった。幸福感、うれいしいとかワクワクするとは長くは続かないといつも思っていました。
それは自分が起点ではなく、他者が起点で、他者にどう見られたいかを考えてしまっているから。

TVを見たり、ネットを見たら、キラキラした人、成功しているように見える人が多く、うらやましく思えたり、なりたいと思ったりした。

それ自体は悪いことではないと思っていますが、内部的動機なのか、外部的動機で動き出すかで、かわってくると思う。

社会には物が溢れてる。
日本においては、物があふれていて、欲望を刺激するシステムになっている。何を持っているかで、その人の価値が決まるような優位感覚
物を所有することで、他人に尊敬されたい、よく見られたいと気持ちをもつ。物やステイタスは次々と新しくなるので、買っても買っても常に上位あり、満足できることはないように思う。

他人との比較が日常的に可視化された社会
よく言われることで、SNSの普及で、日常的に他人と比較できるようになった。極端に他人のうらやましい部分が、可視化され、欲望をブーストしている。
このことに気がつかず、これが幸せなんだと思い込んでいる。もしくは思い込まされている気がする。

私自身は40代になり、物欲主義だった20代だった過程を経て、今ではほんとに好きなものにだけ、お金を使うように意識をしている。

自分の幸せってなんだっけ?
自分の内側と向き合うことが少しずつ増えて、なんでもほしいから、取捨選択をして、まずは自分がやらないことを考えるようになりつつある。そしてやりたいことを厳選していく作業もある。

物を手放していくと、身も心も軽くなるような気がする。整える感覚

他人からみてすごいと思われたい私 よく思われたい私 さようなら

私は私 他人は他人 他人の中に私の幸せはない。私が幸せと感じる気持ちは私の中にしかない。だから私と私と話をする。

みんな幸せになりたいと思っている。これは誰もが思う共通認識だと思う。
幸せを感じるのは、自分の内側にあるもの

物を買うなは本筋ではない。欲望に流されないという事。
本当に気にいって購入したものは大事に長く使う。周りが変わろうが、関係ない。自分軸をもつ事が幸せの源泉になると思っています。
    
話が長くなってきたので、今日はこれくらいにして、次は、幸せと介護現場で思うことについて、話をしたいなと思っています。

子供が早く大人になりたいと言える。そんな社会にしたい。
できれば福祉職が、選ばれる仕事の片隅にあれば、うれしいなと思っています。

一日一感謝 ありがとうございました。 

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