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徳島 不退転の女神

今回のよもやま話も猫にまつわるお話である。
なぜかというとそれは吾輩が猫またであるからでござる(「ФДФ)「
さて、以前のよもやま話にもあるように、神社というのはそこに建立された理由があるわけで、それが言い伝えだったり、実際の事件事故がルーツになっていたりと建立の起源は様々である。
今回のお話もこの神社の起源に関する内容なのだが、いつもと違うのが、猫の世界では日本一有名な神社であるということ。
猫好きな人間であれば一度は聞いた事もあるだろう「猫神さま」についてのお話でござる。

ふわっと聞いてくれればよい。


庄屋 惣兵衛とお松

1682年頃のこと、阿波国那賀郡加茂村(現在の徳島県阿南市加茂町)に暮らしておった庄屋 惣兵衛とその妻お松、そして2人が可愛がっていた三毛猫お玉のお話。

この頃、村は不作に苦しめられておった。
これによって村人は苦しい年を過ごしておった。惣兵衛は村の緊急事態をなんとかして救おうと考えあぐね、自分の所有している土地(田んぼ)を担保にして、別の町に住む大富豪 野上三左衛門からお金を借りることにした。
このお金を使って村は持ち堪えることができたそうな。

お松大権現に展示されている絵
切り絵作家 宮田雅之さんの作品

それから時が経ち、惣兵衛はようやく返済期限前にお金を工面することができた。
ある日のこと、野上三左衛門と偶然、通りで遭遇した惣兵衛。ちょうどよかったと思い野上に借りていたお金を返すことにした。
お金を受け取った野上は
「通りすがりゆえ、証文(返済の証明書)を持っておらぬから、後で届ける」
そう言って帰っていった。

すでにこの時点で野上の策略は始まっていたのかもしれぬ...

それからというもの、待てども待てども証文が惣兵衛の手元に届くことはなかった。困っていた矢先、惣兵衛は病に倒れ帰らぬ人となってしまった。


非情の裁判

惣兵衛の死後、主人に代わって妻のお松が野上に証文を請求することに。
しかし野上はいっこうにそれを渡そうとしない。その後もお松は何度も証文をもらいに行ったが、結局もらうことができなかった。
そのうち野上は「お金はまだ返済されていない」とウソをつき始めたのだ。
お松は途方に暮れてしまった。
主人の惣兵衛が亡くなった今、お松が一人であることをいいことに野上は悪行を加速させる。
返済期限が過ぎたということで惣兵衛が生前、担保にした土地を奪ってしまったのだ。
これにはお松も耐えきれず、野上の卑劣な行いを奉行所に訴えたのだった。

左上:野上三左衛門 右上:お松とお玉 下:長谷川奉行

しかしお松の訴えは長谷川奉行によって棄却される。
野上はおとがめ無し、お松は土地を奪われただけでなく惣兵衛が返済したはずのお金も証文がないために支払われていないことになり、返済期限も過ぎていたため利息付きで返さなければならなくなった。

残念ながらお松がいくら訴えようとも、長谷川奉行が判決を変えることはない。なぜなら野上は奉行に賄賂を渡しておったからだ。最初から裁判は形だけのものであったということである。
それだけではない。お松の美しさに惹かれた長谷川奉行はお松に言い寄る。しかし彼女はそれを拒否。これに腹を立てた長谷川奉行がお松の訴えを聞き入れることなどあるはずもなかった。


お松の覚悟

野上や奉行の非道な行いにお松は立ち向かう覚悟を決める。
彼らの悪行に対し抗議をすることにしたのだ。
その方法はただ一つ「直訴」である。
直訴とは、農民や町民、下級武士が奉行所などを飛び越えて直接将軍様や幕閣に訴え出ることである。
貞享3年(1686年)、お松は藩主の行列を横切り、殿様に直訴する。
しかしそれは非常に無礼な行為であり、お松はその場で捕らえられてしまった。
その後、お松は死罪を言い渡されてしまうのだった。

同年3月15日、お松の死刑は執行されることになる。
そして執行の直前、お松のもとに駆け寄り必死に彼女を守ろうとする三毛猫の姿があった。

惣兵衛とお松が可愛がっておった猫お玉であった。
お松はお玉に自分の悲しみや恨みを伝えた後、死刑が執行されたのであった。


受け継がれる意志

お松の直訴による騒動はこれで終わり...

ではなかった。

お松が処断されてからというもの、野上や長谷川奉行の家に化け猫が出るようになったというのだ。
それはまさにお松の意志を受け継いだ三毛猫お玉であった。
化け猫によって呪いをかけられた野上と長谷川奉行の家では不幸が続き、とうとう両家は断絶してしまう。

当時、この祟りを鎮めようとした長谷川奉行が「王子神社」にお松とお玉を祀り、お松のあまりにも悲しい生涯を偲んだ村人たちがお松とお玉を祀った「お松大権現」を建立したと言われておる。

正義へのかぎりなき執念に死をも厭わず貫き散ったお松さまの悲しい生涯、その美徳を偲び今も参詣者は絶えない。現在、お松大権現と崇められ、その社殿には千万の招き猫が奉られている。
-お松大権現-


お松大権現

王子神社


さいごに

以上がこの神社にまつわる悲しいお話でござる。
ちなみにこの言い伝えは物語ではなく真実がもとになっておるそうな。
死罪であったゆえ、お墓を立ててもらえなかったお松のため、後にお松大権現には立派なお墓が立てられた。

お松の意志を受け継いで化け猫となったお玉だが、その後の行方は言い伝えには残っておらぬようだ。

それと、お松が決死の覚悟で行った「直訴」であるが、世間では 直訴=死罪 というイメージが強い。命を捨ててお上に訴え出るというような感じ。
しかし実際は死罪を言い渡されることは少なかった。藩の行列を横切ったり妨害するのは非常に失礼な行為であったことは間違いないのだが、直訴にも作法というものがあり「捕らえられた」というのは、罪人として拘束されるという意味ではなく、事情聴取のために連れて行かれたというのが正しい。
また、直訴の内容があまりにも不届きであったり、お上に対し非常に無礼な内容でない限り、罪に問われるということは少なかったそうな。さらに言うと、特定の殿様や幕閣にのみ直訴をしても揉み消されることもあったため、複数の役人に直訴状を渡すのが常套手段だったと言われておる。
ただ、言い伝えから察するにお松の場合はそれをしなかったようだ。
問答無用で死罪になったのは、お松の絶対に悪に屈しないあくなき執念を見た殿様が、このまま開放しても面倒が起きるのが目に見えておるからなのか、はたまた野上と長谷川奉行からの賄賂があったのかはわからぬ。
ただ間違いないのは、直訴をしてもなお認められなかった正義があったということであろう。

己の正義を信じ、命尽きるまでそれを貫いた不退転の意志

力や権力というのはあくまで人間が作り出した尺度に過ぎぬ。
真の強さと言うのはやはり目には見えない「心」に宿るものなのだと改めて教えられた気がするでござる。

ちなみにちなみに三毛猫というのはほとんどがメスなのである。
オスの三毛猫が生まれる確率は30000分の1と言われておるぞ。


今回のよもやま話はこれでおしまい。
いつも最後まで読んでくれる方々、ありがとう。



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