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司法試験の予備校について

私が司法試験を受験したのは2015年で、もうかれこれ6年も前のことになりました。その時は、ほとんどの受験生が司法試験のための予備校にお世話になっていたように思います。現在では、どうなのでしょうか。

私は、大学の法学部に在籍していた頃は、某予備校の授業を受けていましたが、どうしても正解が与えられているような錯覚に陥ってしまい、覚え込んで吐き出すという思考から逃れられず、司法試験はおろか、学部時代の法律科目の成績も悲惨なものとなっていました。

ですので、心機一転、ロースクールでは、予備校はなるべく回避して、絶対的な正解はないんだということを念頭において、常に「答案を読んだ人を説得できるように」ということをイメージして文章を書こうと心に決めていました。そのように「対話」を意識していると、法律の議論が非常に楽しく、あ〜でもないこ〜でもないと教授たちと日が暮れるまで語り合って、悦に入っていました。その教授たちとの会話を、時間が許す限りコンパクトに文章に起こしたのが、自分の「答案」でした。とにかく考えること、考えたことを文章にすることが楽しくて仕方ない。変態だったのかもしれません。

予備校はなるべく回避すると決めたのですが、「正解がある」という錯覚をどうしても自分が抱いてしまい、自分の言葉でうまく考えられなくなる病気を患ってしまうという体質が大きな原因で、予備校そのものを否定したいわけではありません。

答練なんかは、よくできているし、試験の練習にもなるので、受けようかどうか、悩んでいたりもしましたが、結局ロースクールで教授と話したり、その会話の末に見つけたものを言葉でまとめたりするのに時間のほとんどを費やしてしまい、行かずじまいでした。(ただし、本試験直前の模試は参加しました。なんと判定はF… 結果は大事ではないのです。細かいことをいちいち気にしないのが大事なのです。)

ロースクールの同級生からは、ありがたいことに、何度か答案練習会なるものにお誘いいただいていたのですが、勉強が楽しいあまり、「とにかく時間がない!」「答案をわざわざ全部書き起こす時間もない!」という症状も発症していたので、答案を書き起こすタイプのものはすべてお断りしていました。唯一、答案練習らしいものをしたのは、答案構成メモを作って思考過程を友人と共有するというものでした。それも、親しい友人と二人で、あ〜でもないこ〜でもないと言い合いながら、終電近くまでやっていたりして、また非常に楽しい時間でした。

予備校は、うまく活用できる方はぜひそのリソースを最大限に活用してください。でも、唯一の「正解」でもないと思いますので、合わない方は自分の道を試行錯誤するのも、楽しいかもしれないです。


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