村山早紀SakiMurayama
長崎と猫のお話を季節の数だけ書く予定です。ここには春と夏と冬の童話があります。 *秋の童話は、エクスナレッジさんより刊行の『心にいつも猫をかかえて』で読むことが出来ます。よろしかったら。
長崎猫童話 夏 八月の黒い子猫 八月十五日。静かに満月が昇る夜。 日が落ちて、やや涼しくなったとはいえ、生ぬるい空気はまだまだ夏のものでした。 長崎は精霊流しの夜でした。国道の歩道側、普段はバスが通る辺りを、曳かれたり押されたりしながら、ゆっくり移動してゆく精霊船。つきそうひとびとが鳴らす、チャンコンチャンコン、という鉦の音と、どーいどーい、というかけ声が響きます。連なるように道を行く船たちには、提灯がいくつも飾られ、そのすべてに華やかに灯りが灯されています。 歩道
長崎猫童話 冬 クリスマスの女の子 クリスマス・イブ。長崎市。 大学生は、冬休みが長いところがいいなあ、なんて思いながら、舞衣は久しぶりのおばあちゃんの家の前に立ちました。 その家は、小さなカフェと画廊も兼ねているので、家をとりまく狭い庭にも、窓から見える部屋の中にも、クリスマスの飾りや灯りがきらきらしていました。 玄関を開ける前に、つい、スマホで写真を撮ってしまいます。あとでSNSにアップしようと思いました。 舞衣の友人知人、そしてたくさんいるフォロワーさんたち
Twitterをするようになってから、気がつくともう十年になります。 これくらい続けると、日々挨拶したり会話を楽しむ知り合いも多くなり、やりとりまではしなくても、発言をよく見るひとやら、ツイートを楽しみにしたり、気になって見守っているひとやら増えてきて、これはこれでひとつの街、日常の延長線上にある場所になってきています。 タイムラインという名前の近所の街があって、そこで暮らしていると、日々、窓越しに、いろんな言葉や会話が聞こえて来るような。 時にきれいな音楽が聞こえてきた
うちの母方は、長崎県の平戸島、いわゆる奥平戸なんて呼ばれる辺りの出身なのですが、母が昔、祖母から聞いたという話になかなかおもしろいものがありまして。 ひとが死ぬと、黄泉路の旅の途中、竹藪が続く場所にさしかかるのだそうです。その竹藪を、なぜか亡者は指で掘りつつ進まなくてはいけないらしいのだそうで、それはもう辛いらしい。 が、生前猫を可愛がっていると、その猫が現れて、一緒に竹藪を掘ってくれるのですって。 すると死者は、少しは楽に竹藪を抜けて先に進めるのだとか。 亡者が竹藪を指
先代の猫こと、縞三毛のレニは愛称レニ子。推定生後一日くらいで、公園にへその緒つきで捨てられていた子猫でした。 同じような柄で七匹まとめて捨てられていた赤ちゃん猫の一匹で、残り六匹のきょうだいは近所のペット美容院の方が育てました。子猫たちは可愛く育ち、大切に里子に出されました。 その方はお米屋さんの奥様でもあり、一匹手元に残したので、たまにお米屋さんに行くと、成長後のその子と遭遇することもあり、さすがきょうだい猫、レニ子と顔立ちや性格が似ていて可愛かったです。 残りのきょうだい
若い頃から香水が好きで、あれこれと買い集めてきました。季節ごとの新製品を追いかけるのは当たり前、製造中止になっていたり、過去の限定品だったりする香りなど、入手できない香水は、オークションで探し、競り落としたりもしたものです。 が。 我が家には長いこと猫がいまして。猫には香水は良くない、と以前からいわれておりまして。 ですから、長いこと、香水を部屋の中でシュッ、なんて使ったことはありません。 朝、シャワーを浴びたあと、浴室でおなかに少しだけかけたりとか(当然、換気扇はがん
長崎駅の近く、海のそばのマンションの、そこそこ高層階に仕事用の部屋を借りて半年ほどになりますか。 バスで通える距離にある実家から、通勤するように通って仕事をしています。忙しいときは、そのまま泊まったりもします。少しずつ、こちらの部屋にいる時間が増えています。 大きな窓から光が入る明るい部屋で、原稿を書いたり、ゲラを広げたり、新刊が出る頃には書店さんに飾っていただくための色紙を書いたりと、ひとりで過ごせる、広くて静かな空間は、ありがたいものです。 ベランダに緑を集め、ラジオを
長崎猫童話 夏 八月の黒い子猫 八月十五日夜。静かに満月が昇る夜。 日が落ちて、やや涼しくなったとはいえ、生ぬるい空気はまだまだ夏のものでした。 長崎は精霊流しの夜でした。国道の歩道側、普段はバスが通る辺りを、曳かれたり押されたりしながら、ゆっくり移動してゆく精霊船。つきそうひとびとが鳴らす、チャンコンチャンコン、という鉦の音と、どーいどーい、というかけ声が響きます。連なるように道を行く船たちには、提灯がいくつも飾られ、そのすべてに華やかに灯りが灯されています。 歩
猫が家にいるようになってけっこう長いのですが、代々のどの猫も私が風呂場に行けば必ず着いてきて、扉の前に付き添ってくれました。 真面目な顔でやってきて、シャワーやらお風呂やらが終わるまで待っています。 上がると、さ、帰りましょうというように、先に立って部屋に帰って行くのです。 飼い主のお風呂に付き添う猫は意外と多いようで、よくよそのお宅の猫たちのそんな話も聞くのですが、その理由としては、 「猫は水が嫌いなので、危険な場所にいる飼い主を案じて扉のそばで心配している。」 なんて
いつも、帰りたい子どもでした。 親が自衛官でしたので、数ヶ月から一年くらいで次の街、また数ヶ月から一年で次の街、というような、引っ越しばかりの子ども時代を過ごしました。 小さい時からそんな暮らしだったのですが、幼心にもどこか落ち着かない、寂しい日々だったような気がします。 特に、物心ついてからの最初の引っ越し、入学した小学校が千葉県で、二年生から九州に転校、というのが子ども心に辛かった。 一年生のときの担任の先生にとても可愛がられていたこともあって、その頃の私は学校大好き
長崎猫童話 春 あるとらねこの物語 中島川沿いの、石橋がいくつも並んでいる辺り。 苔むした石橋や、あたりに住んでいるひとたちが育てている緑や花々が美しいその辺りに、きじとらのとら子は住んでいました。 猫が好きなひとたちになでられ、ご飯をもらい、軒下や植木鉢のそばに寝床を用意して貰ったりしながら、気がつくと年をとり、すっかりおばあさんの猫になっていました。 とら子にはたくさんの素敵な寝床がありましたが、いちばんお気に入りの場所は、教会の庭でした。そこには一本
今日の夕方、枝豆で炊き込みご飯を作ろうと思って、流しにボールを置いて、冷凍枝豆のさやからせっせとなかみを出していたんですが、猫の千花ちゃんが、私の手のそばでその様子を凝視していました。 そのうち、前足で優しく私の右手を引き寄せて、もっと良く見せて、という仕草をしたので、ほんとに興味深かったんだと思います。 猫は人間がすることをそばで観察していて、そのうちマスターしたり、応用して思わぬことをしでかしてくれたりするのですが、さすがに千花ちゃんが枝豆をむくことを覚えたり、炊き
タイトルだけは今年の春の時点で決めていました。 Twitterには少し長すぎるようなことを、たまに書いていけたらと思っています。 新刊の時期には宣伝も多少はするかも。短めの作品の公開もしたりするかも。まあ追々。 新しいこと始めるの久しぶりでどきどきですよ。失敗しても大目に見てね。