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道を渡る猫たち

今日の夕方、枝豆で炊き込みご飯を作ろうと思って、流しにボールを置いて、冷凍枝豆のさやからせっせとなかみを出していたんですが、猫の千花ちゃんが、私の手のそばでその様子を凝視していました。
そのうち、前足で優しく私の右手を引き寄せて、もっと良く見せて、という仕草をしたので、ほんとに興味深かったんだと思います。

猫は人間がすることをそばで観察していて、そのうちマスターしたり、応用して思わぬことをしでかしてくれたりするのですが、さすがに千花ちゃんが枝豆をむくことを覚えたり、炊き込みご飯を作ってくれることはないだろうなと思います。
とにかく猫としては、母猫あるいは先輩猫と見なしている飼い主がすることを見て記憶してゆくしかないんでしょうね。何しろ猫には知識を共有するための言葉がないので。そうやって、猫たちは先祖代々、他の猫、もしくは人間のすることを観察し、記憶して生きてきたのでしょう。

昔、猫を外に放して飼うのがふつうだった頃、「母猫に道路の渡り方を教えて貰った子猫を貰う方が良い」なんてことがいわれていたものです。
母猫は狩りの仕方を教えるように、身をもって、車のかわし方を教えたりもするのでしょう。子猫たちは、道路を渡る母猫をひたすら観察して、時に応用をくわえたりしつつ、その方法を学んでゆくわけで。
いまの時代も、家がない猫や、外に散歩に出て行く時間のある母猫たちがいて、そういう猫たちの育てた子猫たちが、器用に道路を渡ったりして、生きているのだと思います。

ところで、実家の台所の窓から見えるところに、道幅が狭い、古い道路がありまして。
やや丘になっている住宅地と平地になっている商店街などがある辺りをその道路が区切っていて、住宅地になっている側に住んでいるとおぼしき猫が、たまにその道路を渡ってゆくのです。
遠目に見ると茶色もしくは黒っぽく見える猫で、たぶんいつも同じ猫。同じ道路の、同じ場所を渡るところからしても、まず、同じ猫。
その辺りにはいくつか押しボタン式の信号があって、ひとが通る時間には、車の流れが止まることも多く、猫はそのタイミングで上手に道路を駆けて行くわけです。
町の方へ走って行き、逆に住宅地へと駆け戻って行く。
家族なのか友達なのか、四匹くらいで連れ立って道路を渡っているのを見たこともあります。
賢い猫だなあと思いつつ、窓から見てる側としては肝が冷えるので、頼むから事故に遭わないで、と念じています。
その集団で渡ってた時なんか、最後の方の猫が見るからにトロくて、他の猫たちから遅れて渡っていたので、すごく心臓に悪かった。

昼間だけではなく、深夜や早朝に道を渡るのを見たこともあります。猫が道路を渡る辺りは、ちょうど街灯や駐車場の灯りがそばにあるので、猫の影も見えるんですね。
遅い時間もそこそこ人通りもある道なので、ゆらゆらと歩く人影のその足元を、影のように駆け抜ける猫の姿が見えるのです。
その時間は、車も速度を上げて走ってくるし、暗いから、猫に気づくのも遅れるでしょうし(猫がいると速度を落とすドライバーもいますよね)、昼間よりも危険だろうなと思います。

テリトリーの中に道路があるというのはやはり危険なことで、いつかはあの猫も命を落とすのかも知れません。それでなくても外にいる猫に危険は多く、伝染病にかかることも、トラブルに巻き込まれることもないとはいえません。
彼あるいは彼女がずっと幸運に恵まれて、幸せに生きてくれればと、いつも窓越しに願っています。

それにしても、長い道路の、あの場所を渡る、という知恵をあの猫に伝えた猫がどこかにいるのかもなあ。もしかしたら、さらにその前の代の猫も、と想像していたのですが…。
ある休日、同じ道路のその辺りを渡ってゆく、近所に住んでいるとおぼしきひとびとを目撃しまして。
ちょ、もしかして、人間が渡るのを見てここを渡ることを覚えたのかと。
人間はすぐそばにある横断歩道を渡りましょうよ、と頭を抱えたのでした。

いつもありがとうございます。いただいたものは、大切に使わせていただきます。一息つくためのお茶や美味しいものや、猫の千花ちゃんが喜ぶものになると思います。