極東から極西extra:世界の果てへ・ 中編
前回の粗筋
サンティアゴ・デ・コンポステーラを出てフィニステーラへのルートを歩き始める。
これまでの登場人物と位置関係
・フィニステーラに既に到着しているひと
シシリアさん:extra・Day2からバス使用
レヌスカ:3日で友達と一気に歩き通した
・半分歩いたひと
私:extra・Day2で28km歩く
・歩き始めたひと
カリマさん&クリスティーン(独):なんと二人で一緒に歩いている!
今回は、フィニステーラ直接のCee(セー)という町まで。悪天候の中を歩き通した。
・Lago-Abeleiroas〜朝ごはん
10月24日(火)
目が覚めた。時刻を見ると4時30分。まだ起きるには早い。強風と屋根や壁を打つ激しい雨音が室内でもはっきりと聞こえていた。
雷も酷く、時折稲光が走るのが小さな窓から見えた。これでは外に出ることなどできない。
もう一度布団に潜り込んで、天気の回復を願いつつ寝直した。
再び起きた時に雷は鳴っていなかったが、雨は降り続いていた。ばちばちと鳴る雨音に耳を澄ませてから用意を始めた。
日本人の男の子はまだ休んでいるようだ。ゆっくり歩くと言っていたから、起こさないようにそっとベッドを片付ける。忘れ物がないかスマホの画面の光で最終確認し、荷物を持って階下に降りた。
靴下を返してくれたご夫婦も丁度出発するところだった。奥さんは頭にベッドライトを着けている。夜明けが近いとはいえ、雨雲が厚く空を覆っているといつもより数段暗く感じるのだ。
「まさに巡礼者の格好だね!」
「ずっとこんな格好でしょうが」
奥さんは旦那さんにそんな風に言われて笑っていた。仲睦まじくて、ほっとした気分になる。カリマさんの英語に近いから、ひょっとしたら二人はイギリスから来たのかもしれない。
ご夫婦はヘッドライトを着けたまま、レストランに朝ごはんを食べに行くようだ。ドアを開けると、レストランから漏れる灯りが暖かそうで、一瞬踏み出すのを迷う。でも、スタンプ二つの縛りがあるから先に進むことにした。
昨日と打って変わって、酷い風だ。
フードを被っても、吹き飛ばされる。冷たい雨粒が身体を叩く。シシリアさんが「火曜日は酷い」と言っていた意味が歩行開始10分くらいで身に染みて理解できた。
普段チェストベルトに着けているライトを手に持ち替えて、足元を照らしながら進んだ。さぐりさぐりの歩行だ。ラゴは、家が数軒しかなく、すぐに街灯のない畑の中に入ってしまう。
時刻は夜明けに近いのに、全く明るくならない。自分を取り囲む空間は真っ暗で、ライトの光が届く範囲だけ雨粒が灰色に見えていた。まるで昔のテレビの砂嵐みたいだ。
今まで歩いた日の中でトップ3に入る酷い天候に、思わずぎりっと軋むほど歯を食い縛る。そうしないと足が進まない。
畑の端に掘ってある用水路だか水を逃す溝だかは、川みたいに泥水が流れていた。下手したら流されるかもしれない。なんせ深さが分からない。
偶に後ろを振り返り、誰かのヘッドライトがいないか確認しながら、モホンや矢印を見落とさないように気をつけながら少しずつ進んだ。
無理はしない。
無理はしない。
急がない、焦らない。
そんな風に唱えながら、スタートしてしまった以上は、兎に角避難できる安全地帯を見つけることを最優先に歩いた。進みは極めてゆっくりな割に、神経を使うせいかお腹が空く。
ちらっと、朝ごはんを食べておけば良かったなあ、なんて後悔する。
オルベイロアの町に着く頃に、やっと明るくなってきた。雨も少し小降りになる。
町に入って少し歩いた所に大きめのカフェがあったので漸く避難できた。
屋根の下の席で柱にストックを立て掛けて、レインウェアを脱いで引っ掛けておく。中に入って朝ごはんを注文し、スタンプをもらって席に着いた。
丁度入れ違いで出発しようとしている人に声をかけられた。
「酷い雨ね」
「本当に! 身体がすっかり濡れちゃいました」
「でも、私達は行かなきゃいけない。そうでしょ?」
その通り。
雨は約2時間の歩行でゴアテクスのレインウェアの袖をすっかり濡らしていた。レインウェアの下はびしょびしょでは無いものの、バスに乗るのを断られる可能性がある程度には情けなく濡れている。
だからこのあと取れる行動は二つしかない。
ちょっと進んで宿に泊まるか、予定通り進み続けるか。
朝ごはんは、はまっているトスターダをまた頼んだ。チュロスは無かった。
昨日会った日本人の男の子が言っていたのだけれど、チュロス自体はそんなに甘くなくて、美味しいらしい。チョコやカフェに浸して食べるのだとか。
ともあれ、目の前に運ばれてきたトスターダ(トースト)も美味しいのだ。
パンの形はボカデージョ(バリバリの生ハムやチーズを挟んだサンドイッチ)のそれなのだけれど、少し柔らかくて、切ってある。
あったかいそのパンにバターとジャムをたっぷり塗って、珈琲と一緒に食べるのはかなり幸せだ。
全部食べ終わり、身体の温かさが戻ったところで気合いを入れ直した。
レインコートを着た子供がお店の奥から現れて、私より先に外に出て大はしゃぎ。お母さんが慌てて追いかけている。そういえば、子供の頃は台風の日が好きだったことを思い出した。風に乗れそうだなんて思っていたものだった。
・朝ごはん〜Cee
ロゴソの村を抜けた時、小さな橋の上まで川の水が溢れて流れている光景に遭遇した。ストックを使いながら慎重に渡りきったものの、かなり恐ろしい。
町の店もやはり全て閉まっていて、カメハメハ大王の歌が頭をよぎる。アプリを確認すると、地名はオスピタル(Hospital)となっていた。
「あー、まずいなあ」
ブエンカミーノのアプリは、一番上に次の街までの距離が表示されている。これを参考に(マカレナに教えてもらったカミーノニンジャは町から町の総距離がすぐ分かるので便利で併用した)、次の町に進むか休むか確認しながら歩く。ところがオスピタルから次のカミーニョスまで、なんと13kmもあるのだ。時速4kmで3時間以上かかる。
「……」
幸い叩きつけるような雨では無くなったが、またいつ強風になるか分からない。でもオスピタルの町に何もない以上は進むしかない。※
「行くかあ!」
佇んでいても仕方がないので進むことにした。
※後から冷静にアプリを見返したら、オスピタルには収容人数18人のアルベルゲがあるそう。13km不安な人や悪天候で進めない人は参考にしてね!
畑を抜け森に入る。
木陰は雨風が少しだけ防ぐことができる。でも、枝がみしみしと音を立てていて、いつ折れるのかが分からなくて怖い。道には折れた枝が幾つも落ちていた。キャンプで薪の重さを知っているから、枝の一本でも当たったらまずいことは容易に想像がついた。
ブエンカミーノのアプリで、横断注意と表示されている道路を越えて歩き続けた。
途中、フランセで会ったことのある韓国のご夫婦を追い抜いた。お二人も私の顔を覚えていてくださって、ムシアとフィニステーラの別れ道で写真を撮ってくれた。
ご夫婦と別れ、再び森の中へ。
狼男の像を見た後で、森は山となりぬかるんだ道を登る事になった。
泥の中にはまだ真新しい靴の跡があり誰かしらが先を歩いていると知ることができた。
横殴りの雨の中、ガタガタの泥路を車が三台登ってきた。すわ、レスキュー隊や警備の人かと思って身構えたのだけれど、近づいてみると苗木を積んだトラックで、レインウェアを着たスタッフ達が斜面で測量をしていた。
今までも整然と並んだ木立を見たことはあったから、きっとこんな風にして木を植えていたのだろう。……にしても、こんな悪天候の日に山に入るなんて、カメハメハ大王なんてちょっとでも考えてごめんなさい。
登りが終わり、下りに入って急に雨が止んできた。スマホが震えた気がして見てみるとレヌスカから連絡が入っていた。
「今、引き返してる途中なんだけど、どの辺? 雨がひどくてさっきまで雨宿りしてたの」
「セーに向かってる途中だよ。雨が弱まったよ!」
ぽつぽつと、小さな水滴がレインウェアを打つだけだ。見上げると雲が薄くなっている。遠くに海らしいものが見えて、地図で確認してからスクリーンショットを撮ってレヌスカに送った。
「今この辺。セーまであともう少しみたい」
「私ももう少しよ。セーで会えるかも」
「雨止んだね」
「嘘でしょ神様!」
ワッツアップで話しながら山を降り、マリア様の前を通って町の中に入る。
青空が顔を出して、日が差していた。家々は石造りから、白い壁に瓦の乗ったものに変わっていた。
海の方へどんどん道が降りていく。
セーに入る一歩手前で、レヌスカが待っていてくれた。
「レヌスカー!」
「やっと会えたわね」
再会と、天気が良くなったことを喜んで暫し話した。レヌスカの友達は先に帰り、彼女はこれからサンティアゴまで歩いていくらしい。
「さて……長い道のりが私を待ってるわ」
「今日はどこまで行くの?」
「オルベイロアまで行かなきゃ。14kmくらいかしら。多分到着は夕方の5時ね」
オルベイロア?
朝ごはんを食べたところだ。
確か、オスピタルからここまで14kmくらいの距離のはず。確認するとやはり、18kmくらいある。レヌスカも自分のアプリで調べてため息をついていた。
「……到着は7時かな」
「気をつけてね。山道が酷くぬかるんでた」
「他の人も言ってた。そろそろ行くね」
「うん。私もアルベルゲ行ってみる。次は空港で会えるといいね」
会えるわよ!
レヌスカは笑って、サンティアゴへ向けて歩いて行った。その姿を見送り手を振ると、束の間の青空の下、振り返してくれた。
・Cee〜夕飯
ブエンカミーノアプリで高レートのアルベルゲを探していると韓国のご夫妻に出会った。いつのまにか追いつかれていた。
夫妻は私が入ったアルベルゲの斜向かいを今夜の宿に決めたようだった。
夫妻と手を振りあって別れ、私もドアを潜る。中は薄暗く少し不安になったが、やがて出てきたオスピタレロは優しい方だった。
「ベッドは空いてるよ。どこがいい? 場所を決めてシャワーを浴びてからチェックインでいいよ。風邪ひいちゃうよ」
「ありがとうございます!」
実際歩みを止めると身体が冷えてしまっているのがよく分かる。お言葉に甘えて、ベッドを整え、熱いシャワーを浴びた。
チェックインの時にお札が濡れてしまっていて、恐縮しながら支払いを済ませた。
「酷い雨だったもんね」
受け取ってもらえたお札は、金庫ではなく乾きやすいように別の場所に持っていかれた。
休む場所を得たことで余裕ができたのか、改めて宿を見てみると壁にクレデンシャルやコンポステーラが飾ってあった。
きっとオスピタレロもかつてカミーノを歩いたのだろう。
シシリアさんから「本日のムシア」と言うタイトルで写真が届いていた。やはり悪天候で、彼女はアルベルゲに缶詰めだと言って嘆いていた。
「昨日も今日も外出しないで結局自分でご飯作ってるのよ」
「今日は少し青空見えましたよ」
「どこにいるの?」
「セーです」
良くやったわね! と褒められた。
カリマさん&クリスティーンからはほとんど進められなかったと連絡が着ていた。添付された地図を見ると、確かにネグレイロのそばだ。
「私は明日フィニステーラに到着予定。26日の朝か27日の朝のバスでサンティアゴに戻るね」
「そう……26日に私達が到着するのは難しいみたい」
天候回復の見込みがない上に、足場が悪い。カリマさんとクリスティーンとは、もう会えないだろう。
「そっか。でも無理しないで歩いて! 安全が一番大事だからね」
返信をした。サンティアゴが最後になった人は多い。カミーノは出会いと別れの繰り返しだから、仕方の無いことなのだ。それでもシシリアさんに次ぐ突然のお別れに多少のショックを受けて、暫くベッドにひっくりかえっていた。
その内にアルベルゲの宿泊客が増えてくる。ラゴの村で出会った日本人の男の子もやってきた。そういえばここに泊まると言っていたのだった。時計を見ると午後4時くらい。
私より後に出たはずだけど、のんびり歩いてこの時間ならやっぱり彼は速いのだ。
そして、同じく靴下を返してくれたご夫婦も同じ宿。あれ? また会ったね! なんて話しかけてくれた。
シエスタ時間の終わりを見計らって、町に出た。流石にチュロスではなくて塩気と量が欲しい。オスピタレロの奥様に「この町のおすすめはなんですか?」と訊くと、シーフードだと言って、お店を教えてくれた。
雨は降っていない。
アルベルゲ横の狭い石段を降りて、右に曲がるとあるお店。言われた通りに進んだのだけれど、残念なことに閉まっていた。
海の方へ足を向けると、公園で子供が沢山遊んでいる。日曜日じゃないのに、昼間子供がいるという事は国民の祝日である可能性が高い。植林作業の人達がいたから失念していたのだけれど、朝からどの店も閉まっていたのだった。
グーグルマップでレストラン検索をしたけれど、高レートの場所は軒並み閉まっていた。
カフェやバー、ビール店は開いているけれど、気分じゃないしお酒は飲めない。
レストラン、レストラン……と探して町を彷徨って思い出す。カミーノ沿いに一軒開いている場所があった!
スマホのバッテリーは10%。もしも電源が落ちたら宿に帰りつけないかもしれないという状況で、店を目指した。
着いたのはローカルな定食屋さん風なお店。入り口に蜘蛛の巣が掛かり、何やらおどろおどろしい雰囲気だった。
でも看板に、ペルグリーノ(巡礼者)の文字があり、勇気を出して入ってみる。犬を連れたスペインの家族が食事をしていた。ふくよかで気の強そうなカマレラに、席はどこでも良いと言われる。
「何にする?」
「ペルグリーノのやつ、で」
「……スープかパスタ、どっちがいいの」
カマレラはめちゃくちゃ無愛想で、思わずビビりつつ、スープを選んだ。
普通ペルグリーノメニューは前菜(サラダ、パスタ、スープから一点)メイン(魚か肉)、デザート(プリン、アイス、果物から一点)と選ぶのだがスープしか訊かれなかった。
「飲み物」
「炭酸水で」
ドンッと置かれた炭酸水とコップ。
そしてやがてやってきたのは……。
「びっくりした?」みたいなことをスペインの家族に言われた気がする。
びっくりした。
なんというか、雑炊? 何かキヌアみたいなプチプチしたものが大量に入っている。ひよこ豆、トマト、それに鶏肉が入った卵とじのようなスープ状の何かが丼以上に大きな器で運ばれてきたのだ。
今晩の夕飯はパンと炭酸水と、大量の何か。
恐る恐る口に運ぶ。
味は…‥悪くない。
スープっぽいし、身体があったまる。ついがっついて食べてしまう。すごくお腹にたまる。残り三分の一くらいで実際おなかがいっぱいになった。
カマレラに何か言われた。
心なしか無愛想な感じは薄れている。
スープ? はどうかと尋ねられたのかと思って美味しいです、と答えたら、特大丼を持って行かれてしまった。
食事は終わった? の問いだったかと思っていたら、それもまた間違いで……。
「!!!!」
「沢山食べてね!」
丼にまたてんこ盛りにスープ? が足されていた。お替わりいる? だったかー、とスプーンを進めた。
食後にプリンと、カフェ・コン・レチェ。
口から何かはみ出そうだったけれど、翻訳アプリを使ってカマレラに伝えた。
「雨で身体が冷えていたから、スープ美味しかったです。本当にありがとう!」
良かった、と最後は笑顔の店員さん。
チャオ! と言って見送ってくれたのだった。よく見ると店内にハロウィンの飾り付けがしてあって、蜘蛛の巣は飾りの一部だった。
宿への帰り道、地元のお婆様に声を掛けられる。何を言っているかは分からないけれど、コリア?フィリピン? ブラジル? と言われた事で見当がついた。
「すみません、スペイン語はほとんど分からないんです。日本から来ました」
「日本から! 珍しい……あなたの他にも日本人いるの?」
「私ともう一人、ここにいます。だから二人」
「それだけ分かれば十分よ。言葉が分からない人が沢山なんだから。ブエンカミーノ!」
お婆様は杖を持たない方の手で、固く握手をしてくれた。
アルベルゲに辿り着き、二匹の犬の歓迎を受ける。暫く撫でていたら、キッチンで何か作っていた日本人の男の子が食べてきたというカラマリフリット(イカの揚げ物)の写真を見せてくれた。
「美味しかったですよ、柔らかくて。何か食べました?」
「食べた……けど、なんだかよく分からなかった」
巨大丼二杯分のスープ? が口から溢れそうだったので、この日は早めに寝たのだった。
明日はいよいよ、世界の果てに到着する。
後編に続く。
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