絶滅した動物のこと
お盆に妹一家がやってきた。
とはいえ、暑すぎて外で遊ぶわけにもいかないので、ディーン・ボーエンさんの作品展を観てきた。ディーンさんはオーストラリアの画家で、丸く愛らしくデフォルメされた動物や、賑やかな車や、キャンバスいっぱいの人の笑顔を描く人だ。
前にも一度一番下の妹一家と来たことがあるが、大人でも子供でも楽しめる企画展だった。
ずっと作品を観ていくと、ウォンバットやツーカン(オオハシ)、コアラやハリモグラに混じって一羽のドードーの絵があった。甥っ子が首をひねる。
「ドードーって何?」
「ドードーって言うのはね、もういなくなっちゃった鳥だよ」
ドードーは当然私も見たことがないけれど、名前は知っている。なんなら飛べない鳥であることや、その絵がドードーであることが分かる程度には知っている。
でも、ひょっとしたら甥っ子くらいの年代には、名前さえ忘れられてしまうものなのかもしれない。それは少し寂しい気がした。
可愛らしいドードーの絵に背中を向ける時に、ほんの少し後ろ髪を引かれるような、苦いような気持ちが湧いた。
その後、お昼を食べて県立の自然史博物館へ。そこではポケモンとコラボした企画展を行っていた。
恐竜や動物が大好きな甥っ子達が、割と楽しそうにトリケラトプスなんかを観ている。甥っ子の説明によると、トリケラトプスがモデルのポケモンもいるらしい。
化石コーナーが終わると、動植物コーナーだ。
野山にいる昆虫やサカナを筆頭に鳥や動物なども紹介されている。日本の割とメジャーな動物から、海外の、バイソンやムースなどの骨格標本もあった。子供の頃見たバイソンやムースはとても大きく感じたものだけれど、その感覚はあながち間違っていなかったらしい。大人になってから見ても十分大きな動物だった。
終わり近くの一角に、人間のために絶滅した動物のコーナーがあった。本当にこじんまりとしたコーナーで数匹の剥製と説明があるのみだった。
ケースの中で、ずんぐりした、小さな翼の鳥がすくっと立っているのが見えた。
デフォルメされていない、まごう事なき一羽の……。
「あ! これ! この鳥がドードーだよ! ほらさっき絵で見た鳥!」
「これ? 羽小さいねぇ」
少なくともこれで甥っ子はドードーと言う名前と姿を覚えることができたわけだ。人のせいでいなくなってしまったことは変わらないけれど、いた事を残していくことの手伝いは博物館と美術館のおかげで出来たのかもしれない。
その横にはトキ、ニホンカワウソ、そしてニホンオオカミ。
ちらっととある記憶が脳裏をよぎる。
「オオカミ、ねぇ。そう言えば昔……」
「ねー常ちゃん、昔さあ」
しげしげ眺めていると、妹が隣に並んでオオカミの剥製を指差した。
オオカミは中型犬くらいであまり怖い顔をしていない。つぶらな剥製の瞳が私達を見上げていた。
「おばあちゃんちから夜に家に帰る時に、遠吠えが聞こえたよね」
「ああ、野犬とか言われてたやつね。帰り道でも昼間でも、犬なんて見たことなかったよねぇ」
祖母の家は、長瀞の山の中にあった。
今は大分明るくなってしまったけれど、当時は夜になると真っ暗だった。一度外に出れば、伸ばした腕の先にある手が見えないくらいの闇の中。そして唯一見えるのは、頭上の星々。ぼわっと爆発したみたいにはっきり見える天の川と、怖いくらい満点の星空があった。そんな深い山の中に響く遠吠えが、幼心に星空と同じくらい怖かった。
遠吠え、と言えば、この山間の土地の神話や伝承には、とある動物が登場する。
「……三峯神社とか、宝登山とかにいる狛犬はさ、オオクチマカミって言って、オオカミだったらしいんだよね」
「ほー」
「最後のオオカミの目撃情報も秩父の山奥だったとか」
つまり、あの遠吠えは野犬ではなかった可能性もあるわけだ。
もしもあれがオオカミなら、ひょっとしたら、私達は絶滅動物の声を聞いた稀有な体験をしたのかもしれない。
今となっては確認しようもない。
でも、もし〝そう〟なら、博物館で甥っ子達がドードーと出会ったくらいには、ほろ苦くも浪漫のある話ではないだろうか。