やさしくなりたい~格闘家たち~

もううんざりだ。
どこを見ても悪く言われてる。
主にネットでだけど。
あの試合とは関係もない、ありもしない憶測なんかも、本当のことのように出回ってる。
魔女狩りかよ。
心底、うんざりする。

つい十日前、総合格闘技の試合に出て、対戦相手の腕を折って勝利した。
試合前と試合中にいろいろあって、対戦相手とレフェリーに対する怒りをリング上でぶちまけた。
その結果、なぜか俺だけが非難され、この世の理不尽を思い知らされた。

上四方固めからの腕絡み。
キムラロックとも言われている、肘と肩を同時にねじる関節技だ。
左手で相手の右手首をつかみ、外側から相手の右腕を巻いた右手で自分の左手首をつかみ、そのまま相手の腕を背中の方へねじって完成する。
試合の決まり手はこれだった。

試合開始と同時にすぐに組み付き、小外刈りの要領でテイクダウンした。
相手はスタンドでのパンチが持ち味だ。
そんな相手に対しては、調子が出る前に背中を着かせてしまえばいい。
相手の寝技は大したことないと知ってたし、相手の持ち味を潰して自分のテリトリーで戦うのが総合格闘家の仕事だ。
必死に足を絡ませようとするが俺はさっさとパスガード。
パスガードがなにかって?
パスガード知らないならば総合見る資格ねえわ、、、ごめん、ウソ、説明が難しいので今回は許して。
そのまま上四方固めで相手にベッタリ背中をつかせた。
そして件の腕絡みに至る。
腕だけではなく、さらに右足を相手の首にかぶせて、脱出不可能な状態にする。
余裕を持って、ゆっくり、関節の稼働域の限界まで捻った。
しかし相手はタップしない。
もう少し力を入れれば、よくて肘関節脱臼、もしくはもっとひどいことになる。
顔が苦痛に歪んでいる。
相手選手にとって完全にダメな状況なまま、一分ほど経った。
会場は大音量の歓声と怒声が交差し、耳が痛いほどだった。
相手はタップしない。
相手側のセコンドはタオルも投げず、「落ち着け」や「耐えろ」しかいってない。
レフェリーはまだ止めない。
俺はまだ関節技を外せない。
何だかんだで全力だ。
両腕に乳酸がたまっていくのを感じる。

ふと、嫌なことを思い出した。
今はまだ1ラウンドだ。
次のラウンドがある。
相手選手は俺が腕を折らないのをいいことに、ラウンドが終わるまで粘って次のラウンドで取り返すつもりなのではと。
さらに連想された嫌なことがもう一つ、レフェリー、というよりかはこの興行自体が俺が勝つことを望んでいないのではということ。
選手の安全を第一に考えるはずのセコンドがタオルを投げないのも裏があるのでは、と。
以前、とある人気選手の復帰試合で彼がパンチでノックダウンさせられて、その後もグラウンドパンチを何十発ももらってるのにレフェリーが止めず、相手の海外の選手が困った顔で手を止めたところでなぜかスタンドからやり直すという珍事があった。
その後、海外選手は試合を放棄、人気選手の反則勝ちということに。
興行とメディアは黙殺、当の人気選手も復帰したはずが次の試合ができるようになるまで8ヶ月かかった。
まったく嫌な話だよね。
誰も幸せにならない。

もういいや、やってしまえ。
俺は折った。
裏に何があってもなくても、格闘技だ。
スリルのある競技で、荒々しくて残酷なショーなのだ。
参ったしないのは相手とあっちのセコンドの責任だ。
ミチミチッ、ボコッという感触が肘関節から伝わってきた。
対戦相手が短く悲鳴をあげた。
レフェリーが慌てて止めに入ってきた。
「さっさと止めろよ!!アホか!?」
唐突にそんな言葉が出た。
次に対戦相手に向かって
「そんなに痛がるくらいなら我慢するんじゃねえよ!!おまえ、バカか!?」
相手の目を見ると、痛みで俺の言葉を聞くどころじゃないようだ。
完全に極まってから長時間待たされる間に、思っていた以上にフラストレーションが溜まっていたようだった。
腕折りは対戦相手の長期離脱に繋がるので、なるべくならばやりたくない。
それをあえて誘発させた彼には怒りを禁じ得ず、怒鳴ってしまった。
その後、マイクを渡されたけどムカついてて話せる状況じゃなかったので、マイクを突き返して俺は金網を出て花道を去った。
ちなみに「あちらを勝たそうとした」疑惑は誰に聞いてもいないので、真実は闇のなかだ。
俺の思い過ごしかもしれないし、もし聞いてみて薮蛇が出たら、仕事もなくなりそうだったし。

で、試合以上にクソ・オブ・クソな状況は次の日から始まった。

動けなくなった相手の腕を折って、しかも罵声を浴びせかけたヒールとして俺はネットやスポーツ新聞で有名になっていた。

さすがにビックリした。
格闘技ってなんのためにあるのかとか、哲学的なところから考えちゃったよ。
イライラさせられてレフェリーや相手選手に怒鳴ったのはたしかに俺の不徳の致すところだ。
不満をあの場で撒き散らすべきではなかったのだろう。
それは間違いない。
でも総合格闘技の試合で関節技を極めて折って、いったい何が悪いの?
それを言われちゃあおしまいだよ。
殴り合いみたいなら、ボクシングを見なさい、ボクシングを。
そもそも自分の体、命をベットして俺たちは試合に出て、金をもらっている。
それがプロだ。
体と命、ベットしてるから捨てて構わないわけではなく、むしろ大事にせねばならない。
折ったことを悪いと言う人々に聞きたい。
俺がもし関節技を外したらどうなってたと思う?
レフェリーがなにもしなければ、試合続行、ずっと技をかけてヘトヘトになっている俺がハードパンチャーである相手にノックダウンさせられていただろう。

見た目的に関節を折る方が残酷に見えるかもしれないが、ノックダウンは脳にダメージを負う。
折れた骨や関節は対処をきちんとすればきれいに治るしさらに丈夫になるが、脳のダメージは治らない。
現在では脳震盪によるダウンをした場合は、一ヶ月は練習禁止を勧められる。
脳震盪を起こすということは、脳が歪んでしまうということだ。
その歪みが元通りになるまで一ヶ月かかる。
歪みが戻る前にさらに脳を揺らせば、さらに脳が傷つく。
脳のダメージは治せないが、さらに悪化するのを防ぐのだ。
その知識が浸透する以前、ほぼ毎月試合をしていた重量級の格闘家はパンチドランカーの症状が出ていたものの現役を続けて、さらに40を過ぎてから重度の脳障害を負ったという。
正直なところ、俺はサブミッションよりノックダウンの方が怖い。
サブミッションはかけられても参ったすればそれで終わりだ。
ノックダウンはそういうわけじゃない。
レフェリーが止める頃にはもう取り返せないダメージがあるのだから。
よく知ろうともしないで、みんな勝手なもんだと思ったよ。

理解を示す声も普通にあったけれど、しかしどうしても悪口ばかりが目立つもので、世間の俺に対する印象はなし崩しに悪くなっていった。
腕を折ったのが悪い、抗議したのが悪い、それだけでは飽きたらず、俺を嫌うためならその理由をいくらでもでっち上げる人々を見てきた。
同門のA選手の女にちょっかいを出したとかな。
先輩でもあり天上人であるA選手はそもそも俺が入門した頃には他県のジムに移籍していて、俺は会ったこともないんだが世の中には不思議なこともあるもんだ。
そうやって騒いでるのは実のところ、一握りのノイジーマイノリティーかもしれない。
だけど彼らが黒と言えば白が黒になってしまう。
噂は、人々が考えている「あってほしいストーリー」が形になったものだ。
俺は悪役にされてしまった。
今まで経験はなかったけど、いじめられっ子ってこんな気持ちなのかなと思った。
SNSで言い返すこともできたし、試合後にインタビューの依頼もきた。
でも負の感情をそのまま吐き出してしまいそうだったのでやめた。
一応、知名度的に格上の選手に勝ったのだから試合がなくなるわけじゃない。
レフェリーに不手際があったことを後に認めて謝罪してくれたのは嬉しかったし、本来ならば仕事の結果はオーライなんだけど、山火事はおさまりそうもない。
プロモーターもどうしていいかわからない感じだ。
俺はただ、普通に試合がしたいだけなんだけどな。
もう海外にいくしかねえかなあ、こりゃ。

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