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SDGsはアメでありアヘンである。『人新世の「資本論』(斎藤 2020)より、

大学3回生、そろそろ卒論のテーマを考える時期。
僕は(人新世の「資本論」)を元にSDGsに毒を吐くテーマを選んだ。

この著書は斎藤康平氏による現代の資本主義に対する疑問と改善点、提案を考察するものである。

はっきり言って僕自身の考え方とはまるっきり違う。だが共感できる面も沢山あるし賛成できる意見もある為にこのテーマを選んだ。
資本主義が生み出した責任転嫁と、格差社会に物申す内容である。

 近年、話題が拡大しつつある気候変動への対処。
これらの問題を生み出したのははっきり言って資本主義システムに従事する我々である。

2015年9月に国連決議で採択されたSDGs。2030年を目標に持続可能性のある公正と平和を目指す国際的な指針だ。しかしながらこれらの目標は躓き、国際連合の正当性すら危うい。2022年2月に起こったロシアによるウクライナ侵攻は国連の存続意義を疑問視させる典型的な例と言えるだろう。
二酸化炭素排出量は2016年のパリ協定以来も増え続ける現状だ。

 資本主義システムに従事する我々は、自らの生活を豊かにしてくれるソレがあるために目を背け、SDGsと言った免罪符を貼り、根本的な問題から目を背けている。
 気候変動の問題もいずれは科学技術の発展によっで解決できる。そう言い聞かせているのだ。

だが実際はそれも危うい。
ウィリアム・ノードハウスが主張する「経済成長と新技術があれば気候変動に対処できるようになる。」では、2100年までに気温上昇は3.5℃上がる計算である。(SDGsでは1.5℃未満が必要であるが)
また、バイオマスエネルギーの転換による大変革は、インドの国土の2倍の面積が必要だ。

 ここで重要なことは、「資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である。」と言うことだ。

 成長しながら二酸化炭素排出量を削減できるのかと言う疑問に、ヨハン・ロックストームは「すでにプラネタリー・バウンダリー(人類の必要な活動範囲)を超えている」と主張する。

資本主義列強による外部化・責任転嫁を、斎藤氏はマルクスの言葉を借りて「大洪水よ、我が亡き後に来れ」と皮肉ったのだ。

 ならどうしてこの問題に対処するのか?

それは我々民衆の民主主義に対する向き合い方の改革と、脱成長コミュニズムへの転換だと言う。


実際のところ、僕の本音ではそれは無理なのでは、と考える。
 グローバル化による民主主義の不安定さを改革することは難しい。だから僕は先進的な技術革新と、より便利な社会がどんどん加速し、究極の格差社会を作り上げてこそ革命の現実味が帯びるのだ!と考える。言ってみれば社会主義革命ならぬ自由民主主義的資本主義反逆革命だ。

 誰かに、「バカな事をw、」と揶揄されそうだがこれが今の僕の考えなのだ。

果たして今後社会はどのように変革していくのだろうか。良くも悪くもこれからの変化を一般市民として傍観していけたらと思う。


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