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母親を亡くす予定の男の渡航備忘録

ここ数日間、様々なことがあり、また不慣れな土地ということもあり書く余裕がなかった。なので完全に忘れてしまう前に備忘録として、手記を参考に出来事を書き記したいと思う。

12月31日
飛行機から降りるとそこはアトランタ空港。気温は16度で、少し肌寒いが日本よりは暖かい。到着時刻は現地時間で17時前後(記憶が曖昧なため詳細は不明)。時差ボケの心配をしていたが、飛行機内の窓のシャッターが閉じられていたためかそれほど影響はなかった。強いて言えば、やや体に残る倦怠感のみだ。
合計20時間を超えるフライトの割には疲労は感じない。共にやってきた従姉妹は、隣の人がとても親切で良かったと言っていた。
イミグレーションにて、従姉妹がチェックに引っかかった。おそらく受け答えができず、さらに従姉妹は終始笑顔なので不審に思われたのだろう。時間にして1時間半ほど拘束されて、ぼくはと言うとそれがツボに入ってしまった。そしてそのことを荷物受け取りのベルトコンベアの所で、職員の人と笑いながら話していた。
しばらくして従姉妹は開放され(結局滞在先の方に電話がいき、説明してもらうはめになっていたらしい)従姉妹の荷物を探したが無い。無いわけがないのに無い。航空会社のカスタマーセンターに問い合わせた結果、中身のチェックがあるので受け取りは夜の10字以降になるとのことだった。とことんついてないと笑いながら、予約していたリムジンバスの運転手と合流し、滞在先である母の家へと向かった。

到着すると母と旦那さんが迎えてくれた。母とハグをし、久しぶりに会えて嬉しいと、二人で笑った。
旦那さんが「本場のバーガーを食べさせてやるぜ」というので期待していると、車でバーガーキングまで行くから一緒にこいと言う。テイクアウトをするつもりらしい。ぼくは一緒について行った。
バーガーキングで頼んだメニューについては書かないが、行く道中で少し話をした。来てくれてありがとう、と。母の病状について。そして母は今日、階段から落ちたらしい。
ぼくは気づかなかったが、打撲で体中に痣があるらしい。毎違いなくぼくのせいではないが、なんというか申し訳ない気持ちでいっぱいになって泣いてしまった。ぼくに気を使わせないように振る舞う母の姿を思い出して、嗚咽を漏らして泣いた。
泣いてもどうにもならないと、頭で分かっていてもふいに感情が波のように押し寄せてくる。このままではいけないと思った。ぼくを悲しませないように、という気持ちを、自分のエゴで無駄にするわけにはいかないと思ったのだ。
癇癪を起こして叫び狂うのは猿でも出来る。冷静に。おそらく出来ることは少ないけれども、最善を尽くせるように努めたい。

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