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成功の定義は人による

私はとても頭が悪い。
今日も銀行で、「経営」の漢字が出てこず大恥をかいたのだが、既にもう過去のことなので全く気にしていない。
漢字が出てこないのは今に始まったことじゃないし、20代半ばから早くも老化を感じていた。
なんなら今の賃貸に住んで半年も経とうというのにまだ住所を覚えられていない。
どうせまたすぐに引っ越すのだから、覚える必要性を感じない。

映画を観てもすぐに忘れるので、2回目の鑑賞でも新鮮な気持ちで見られる。
夫に、「次はこの映画を見よう!」と誘うと、「それ、この前見たよ!」と言われることが多々ある。
「じゃあこれは?」と聞くと、「それも見たよ!」と言われた時には流石に焦ったが、その程度の焦りは3分もあればなかったことになる。(要するに忘れる)
夫は記憶力が良く頭がいいので、私はもはや夫の記憶力を頼りに生きている。
夫もそれでいいと思っているし、私の能力が年々低下することに関して何も思っていない。(多分)

さて、ここまでで既にかなりヤベェ奴だな思われていると思うが、私は自分を成功者だと思っている。

人から見れば、頭は悪いし、漢字も思い出せず住所すら覚えていない。
どう見ても負け組だしなんならこの先どうやって生きていくんだこの人って感じだろう。
しかし、そんな私のヤベェ部分をカバーしてくれる夫がいるし、記憶力の低下については特に問題だと思っていない。

しかし、成功というものは人によって基準が違う。
もっと言うと、幸せの定義も人によるだろう。

大金を手にしなければ幸せを感じられない人もいるだろうし、私のように、晴れているだけで幸せ。なんて幸福度の低い人間も存在する。

私は自分の暮らしに満足し、なんなら結構恵まれていると思っていた。(とんでもねぇ難病だけど)

そんな私に父が言い放った言葉がある。

「早く成功して恩返ししてくれよぉ〜〜;v;」(いかにも馬鹿な言い方で)

その時は、そっちがさっさと成功して楽をさせてくれよとしか思わなかったが、そんな能力は父にはない。
父は桃太郎電鉄では何百億と稼いで見せるが、現実で稼いでいるところを見たことがない。
ゲームばかりやっている父にそんな風に言われるとは心外だ。

こんなことを言ってはなんだが、父よりはよっぽど成功している。

眠る時、枕元で猫が丸くなり、朝、互いの気配で自然に目が覚める。
夫がいて猫がいる。
たくさんの尊いものに囲まれている。
こんなに満足に暮らしているのに、これ以上何を望めというのだろう。

人によって、成功の定義は大きく違う。

自分がより高みを目指したいのであれば勝手にすればいい。
成功に執着し高みを目指すことは自分にとっては無意味なことだし、どうか巻き込むなと思う。

幸せはもうここにある。

ちなみに父が成功できなかった敗因を、私はなんとなく分かっている。
それは恐らく、自分が意味のある人間だと勘違いしたことだろう。
アリとキリギリスのアリのようにせっせと働くような人間ではなく、人を動かすことを得意とする生産的な仕事をする人間だと思い込んでいた。

成功者の本を読み漁り、時代背景も著者の能力も加味することなくサンプル数1を自分に当てはめる。

ある日、「金持ち父さん貧乏父さん」という本を私に読むよう指示をしてきたのだが、父は明らかに貧乏父さんそのものだった。

お金に関する価値観や投資の方法、資産形成の重要性、負債と資産の違いなど、到底理解しているように思えない行動を取り続けていた。
アメリカの本なので、不動産投資など丸っと参考にするのは問題点も多いが、だからと言って「え、それに投資するの?」という謎の企業やプロジェクトに率先して投資を行い、いつも借金があった。

父は何も学んじゃいない。

これが、「金持ち父さん貧乏父さん」を読んだ私の感想だ。

もう一度読むべきはそっちだぞと言わんばかりに、父の本棚に戻しておいた。
いや、なんならもう何も読まなくていいから、何もするな。

nekogaki

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