立てば芍薬、座れば牡丹~、もとは美人の形容ではないらしい。
お寺の蓮池に一輪、華やかなお花が。
蓮が咲くにはまだ早いのに、狂い咲きかしら?
近くに寄ってみると、池ではなく、すぐそばの岸に生えていました。
まっすぐに伸びた茎の先に、鮮やかなピンクの花。
聞くと、芍薬だそうです。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
で有名な芍薬です。初めてみたー。
確かに、すっくと立っている様子は、凛と立つ女性のよう。
これを目指せばいいのか、と背筋を伸ばす。
この言葉、もとは生薬の使い方を言い表したものなんですって。それが江戸時代の流行り歌で美人の形容に使われるようになったんだとか。
立てば(イライラしている人には)芍薬の根と用いなさい。痛みや筋肉のこわばりを和らげます。
座れば(血流の流れが悪くなっている人には)牡丹の根の皮を用いなさい。血液の流れを良くします。
歩く姿は百合の花(心身症で百合のようにユラユラと歩く人には)百合の根を用いなさい。不安や不眠を改善します。
↓参考にさせていただきました。
美人とか全然関係ない!使うのも花じゃなくて根っこだし!
ここで気になるのが百合の花。
もとはといえば、百合の花のようにフラフラしている人には生薬を用いなさいという例えなのだから、「歩く姿は百合の花(のように美しい)」とは180度ちがうような…
美の基準が時代を経て変わったということ?
あるいは、保護欲をかき立てる美しさ?
そういえば以前、坂東玉三郎さんが、歌舞伎の女形は女性らしさを見せるために直立しない、と言っていた。体への負担がとんでもなさそうだなぁくらいにしか思っていなかったけれど、それでいうと「立てば芍薬」もまた、ちょっと違うのだろうか。
でも現代の女性は強くあれ、だから、今も「立てば芍薬」がいいのかな。
そういえば以前、京舞井上流の井上安寿子さんは、井上流は代々女性がやってきているから、男性が女性らしく見えるようなシナをつくるような振りはせず、直線的な表現をしている、というようなことを言っていた気がする。
ということはやっぱり、芍薬のようにまっすぐ立つ姿が美しい、は今も昔もそうなのかな。
とりとめもなくそんなことを考えた今日でした。