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「外注」の是非

私自身、「コスパ」に毒されて2年くらい経ったと思う。かつては休みに何をしていいか分からず休日のたびパチンコにいそしんでいた。しかし時間の有限性に気づいてからはいかにパチンコが金のみならず時間をも浪費させる愚行であるかを自覚しきっぱりと行くのをやめた。

時間はお金以上に貴重であるような気がしているので、何かをするのに無駄な時間を使うくらいならお金を払って解決する。その「相関係数」を自分の中で確立できていないのが悔しいところだが、例えば安く済ませようと100円ショップを渡り歩き時間を消費するのを辞めようと思っている。たまにやってしまう自分の悪い癖だ。

冒頭での「コスパ」という表現において支払うコストというのはもちろんお金ではなく時間である。プライベートにおいて「この行動の対価は実行に際して消費する時間に適したものか?」というふうに考える癖ができ始めてしまっている。正直、なんともめんどくさい人間になったしまった感は否めない。

だが自分にはそれだけ時間が足りないと思っている。30代になり、理想と現実のギャップに驚いている。自分には何のスキルもないことを自覚している。それは端的には世の中に価値を生むスキルだ。会社の肩書に頼りながら生き続けるのは苦しい。私個人の力で世の中に対して価値を提供したいのだ。「価値創造」というゴールに向かうステップとして何が一番コスパがいいか、ということを考えてしまっている。段々と頭でっかちになる。

そんな自分が愚かに思える一方で、頭でっかちになる弊害が少ない世の中になった。分業が進み、何事も外注できる時代になった。自らがスキルを持っていなくても、他の人に頼んでしまえばいい。単発ならそんなにお金もかからない。信用の名のもとに赤の他人に頼れる時代になった。素晴らしいことだ。

ただしこれは「何を頼っていいか」が明確な場合だ。

現代は課題解決能力よりも課題設定能力が大切なんだなとつくづく思う。課題が表面化さえすれば誰かが解決してくれる。重要なのは「何を課題と設定するか」。具体的なゴールを実現するために必要なステップをいかに細分化できるか。それは自分で解決できるものか、他人に解決させるものか。他人に頼った場合に今後の運用保守に問題が生じるか。他人を頼った場合にいくらかかるか。自分で解決するとなった場合にどれほどの時間が必要か…

個人事業を愚直に独りで営む時代は終わった気がする。外注は使いようだ。

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