あーすればこーなる
たまには身の上話しでもしようか。
生まれた頃にはゲームがあった。
正確には物心着いたときには
テレビにくっついていた。
機械が好きで2歳の頃にはすでに
ビデオの録画を覚えていた。
機械の「あーすればこーなる」仕組みが
おもしろかったのだと思う。
それを見ていた親がファミコンを買ってきたのか•••はわからない。とにかくミーハーな親だったので最新機器は手に入れないと気が済まない親ではあった。そこはぼくもガッツリ遺伝している。
ゲームばかり遊んでいるとトモダチができなくなるなんて教わっていたがそんなことはなかったな。ぼくは友達が多くて困っていた。毎日毎日10人以上家に集まるもんだから、男くさくてたまらんかった(笑
小学生高学年でサッカーをはじめてゲームをするとサッカーが下手になるジレンマを抱え、一時休戦。その反動で高校でバイトを始めると稼いだお金はほぼ全てゲームに費やす人生になった。
プレステが好きだった。次から次へとさまざまな色合いでゲームの世界へ冒険していく。プレステは新作のリリース期間が短くて、毎週なにかしらのソフトが追加されていった。気が付けば毎日ゲームを買っていた。任天堂ソフトは中古ではなかなか値下がりしないので、手がでない。
中古の流通を考えれば当たり前なのだけれど、中古にならない、ということはそれだけ手にしたお客様が手元から離さない、ということなので、それだけ愛されているメーカーなのだと学んだ。
任天堂に染まるのはお酒ではないがほんとに20歳をこえてからだ。それまではとにかくプレステのゲームを遊んだ。プレステ1だって6台も壊したのだ。壊れる前兆も傾向も手にとるようにわかる。
親の遺伝子の「新しいもの好き」が今も生きていて、気になるゲームは即ダウンロードする。いつからだったかともだちとゲーム屋へ行こうという話になって、一本のゲームを買うのに1時間費やす彼に対して、ほんの数分で買い物かごいっぱいにソフトを放り込むコケに「野菜を買うようにゲームを買うな!」と怒られていたっけ。
そんなこんなだからゲームソフトは1年間で213本集まっていた。当時のゲームだったらおおかた遊んだとは思うけれど、それ以上にリリースされるものだから、全制覇なんてわけにもいかなかった。ぼくはやっぱり好きにカタヨリがある。似たようなジャンルばかりが集まっている。
ゲームは「あーすればこーなる」遊びではある。
基本的にはカウンターリアクションだから、相手がCPUだろうと対人だろうとあまり変わらない。
言い換えれば「あーすればこーなる」を見つける遊びであるから、「それさえ抑えておけば問題ない」もの。
もしかしたらコケは一般的なゲーマーよりは数はこなしているかもしれない。いやそれも危ういが。昨今のゲーマーは攻略が早く、あっと言う間にクリアしてしまい、考察から攻略動画 やらサイトで埋め尽くされてしまう。よもや「あーすればこーなる企業」まである。
ゲームはたしかにそうだ。クリアが目的になる。でもそこにぼくは退屈を覚える。クリアしたからなんだというのだろうか。それはゲームを楽しむひとつの通過点でしかない。大切なのはそのプロセスであり、通ってきた道筋。
クリアするまでにたくさんの想いが生まれるハズだし、思い悩みすぎてAボタンを押せないシーンだってある。右見左見して「寄り道」が面白かったゲームもある。(まぁコケはほぼ寄り道なんだが)
それが読みたいし書きたい。
「あーすればこーなる」の"さなか"に居続けることがゲームの面白さの発見につながる。
あぁいつかのプレステ派だとか任天堂派だとかのバトルの最中に"くだらない"と言っていたやつがいたとしたら、それはぼくかもしれないです。
ゲームは「あーすればこーなる」から一抜けするエンタメなのだ。
コケでした〜。
この記事が参加している募集
サポートいただけるなんて奇跡が起きるのかは存じ上げていませんでしたが、その奇跡がまさかまさかに起きました!これからありがたくゲームのオトモ代(コーヒーとかお茶)いただけると大変喜びます。サポート設定ってあなどれないぜ…。