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このゲームがRPGであるという意味。「セパスチャンネル」

人生はRPG。人は役割を求めるというか、なにかになりたいという気持ちが強いのだと感じます。勇者とかなりたいですしね。一回くらい。真っ暗な洞窟とか無理ですけど。細菌とか気になりますもん、コウモリとか怖いし。なりたい気持ちとやれるかどうかはまた別問題。だからゲームで勇者でありたいのです。僕としては。

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記憶のない主人公。失った自分の何かを探しているガール。ノリノリで人気大絶頂のラジオ番組のDJセパスチャン。とセパスチャンのことが大好きな飼い犬ザ・ワンの物語です。ラジオ番組がキーになっていて、この物語に大きく関わってきます。

4人それぞれが悩みや葛藤を抱え、一つ一つ丁寧に書き込まれ、人物のこころをしっかりと深ほりしてあり、ストーリーもスッキリとしたサイズなので、物語に迷う事なくエンディングまでいけます。多少敵が強いと感じることもありましたが、そのヒリヒリ感も楽しめました。最後は少し意味深な含みを混ぜつつ終わりますが、この世界は「何かの影」という解釈もあり、うまいこと盛り込んできたなぁと感心してしまいました。

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RPGでのセリフってドライに感じます。人物、というよりナビゲーターのような人が多く、世界観の説明をしてくれる人であり、あまりこころが通っているように感じません。プレイヤーが迷わないようにナビ役は必要ですがそればかりだと少し寂しいと思います。

「セパスチャンネル」は主役だけじゃなくみんなが情緒的で印象に残ることを言います。というかすべてのセリフをスクショしたくなるくらいテキストが素晴らしい。こういう事言いたいし、伝えたいし考えたい。登場人物一人一人がこの世界に溶け込み、浮いてる人がいません。言わされてる気がしないんですね。人が思う事を自由に表現しているからこの世界が身近に感じ取れるのです。しかしゲームのことだからと思う事なかれ。これはすぐ隣にある物語なのです。

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人生で一度は考えたことがあると思う小難しいこと、例え答えが出なくともこころのどこかに閉まってある悩み。終わらない事だとわかっちゃいるけど考えたりする。厨二感と言われればそうかも知れませんが、とても大事なこころの一部。セパスチャンネルは人が苦手とするこのよわよわした部分にとてもフォーカスしていて、テキスト読むだけでもドキドキ。普段なかなか言いにくい事がたくさん出てきます。

でも彼らの悩みは決して他人ごとではなく、説教でもなく、上からものを言うスタイルでもなく、彼ら自身が考え、悩んでいることで、プレイヤーが寄り添い、自分の事として捉える事でこれは自分自身のことだとハッとさせられる場面のオンパレードなのです。

彼らが悩むのは主にアイデンティティのこと。自分ってなんなのさ、という、古代ギリシャから考えられている人としての普遍的な問いです。それでもどこかで正しくはないとしても、答えのようなものを感じ、言葉でゴマかす事なく認め、肯定しそれに基づいた行いで日々を生きる事で、自分が自分でいる意味を見いだすことが出来るのではないでしょうか。

これが成り立つ時、他人のアイデンティティも許すことができ、ぼくときみという関係性が意味を持つと思います。セパスチャンネルは今に生きる僕らの物語でありゲームだけの世界ではないのです。

4人それぞれが自分を認めてそれぞれの勝手な理由でラスボスに向かう時、プレイヤーは4人の役割をしっかりと演じていたことに気づき、セパスチャンネルというRPGを堪能し、セパスチャンネルがRPGであるという意味が深く刺さります。

ボーイもぼくで、ガールもぼくでセパスチャンもぼくで、ザ・ワンもぼくなのです。そしてきみでもある。

どこをきりとってもその人らしい人。人はそうあった方が面白いし楽しい。不器用だと知っていてもそれも含めて自分を愛している。そんな人はとても魅力的です。

さいごにとても素敵なセリフをご紹介します。

ぼくがぼくであること、きみがきみでいること。きみがきみでいるほど、ぼくはきみがすきになりきみがきみであるからこそ、ぼくはきみがすきなんだ。かんたんにいうと、きみがすきってこと。

セパスチャンネルというゲームはRPGとしてとても大切な作品であるといえます。

コケでした〜。








サポートいただけるなんて奇跡が起きるのかは存じ上げていませんでしたが、その奇跡がまさかまさかに起きました!これからありがたくゲームのオトモ代(コーヒーとかお茶)いただけると大変喜びます。サポート設定ってあなどれないぜ…。