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大学〜大人として:アスペルガー(自閉スペクトラム症)に加えてAPD(聴覚情報処理障害)の大人になって
前回までは幼少時、小学生、中学生、高校生の思い出せる出来事を書いたけれど、実際にはもっともっとたくさんある。
そしてここからは大学、社会人になってからの思い出せる出来事を書くわね。
30代後半で、子どもの学習障害(LD)のことを学び、自分もアスペルガー(自閉スペクトラム症)だと知るのよね。
大学時代
この頃になると家に寄り付かなくなっていたわ。
家族に全然関心が無かったのよね。
でもこれも「他人に関心を持てない」私の特徴だったのかもしれない。
そして親に好かれたいとも思わなかったし、親の顔色を伺いたくもない!
どうせ嫌われているなら自分の好きなことをしようと思っていたわ。
家で食事をすることはなくて、バイトと音楽の練習、外食ばかりだったわ。
勉強はちゃんとしたのよ。
で、アスペルガー的なエピソードと言えば・・・
友達との会話の中で関係ないことをぶっ込む
場の空気を考えない自分寄りの発言をする
他人の感情まで汲み取れない
自分勝手な空想を展開する
友達も何人かできる
他人の立場を思い遣った発言ができない
(これは今だに時々やらかすわ)
高校生までとあんまり変わらないのだけど、少しずつ周りと仲良くやっていけるようにはなっていたわ。
きっと遅いけれど、それなりに社会で学んだのね。
あと高校生までは内弁慶だったんだけど、大学に入って好きなことをするうちに徐々に社交的になっていったんだと思うの。
これは大きな成長だったわ。
今から思うと「好きなことをする」
このパワーだけで家という檻から解き放たれて行ったわね。
サークル活動に打ち込んだりして、勉強もバイトも頑張って本当に楽しかったわ。
社会人として
それなりに社会人として生活はできていたわね。
そういえば、人生で初めて「笑顔がいい」と言れたの。
お世辞でも嬉しかったわね。
家でそんなこと言われたこともなかったもの。
でも今から考えると幼かったわ。
働く意味を考えたこともなかった。
ただ言われるがままに仕事をしていただけよね。
言われたことしかできない
人の気持ちを考えない
真面目で融通が効かない
人の言葉を言葉通りにしか受け取れない
この頃、人生でいちばんのモテ期があったの。
でも人の気持ちを考えられないから勘違いさせたりしてしまった。
うまく立ち回れたら良かったけど、そんなコミュニケーション力は無いわけなので・・・
なんかいろいろ残念なことをやり散らかしていたわね。
そして、まあいろんなストレスが重なって、摂食障害を起こしたのね。
当時は摂食障害だと自覚していなかったけど、これは10年ほど続いたわ。
医者には「拒食症」って言われたんだけど・・・
多分母を見て親子関係に起因するって思ったんじゃ無いかしら。
母はヤブ医者って怒っていたけれど、医者の見立ては正しかったと思うわ。
とにかく早く家を出たいけど、一人暮らしはダメって言われて、結婚することになったの。
とっとと家出すれば良かったけど真面目だったのよね。
結婚と子育てと離婚
自分でも不思議だけど、よく結婚できたなと思うわ。
巡り合わせよね。
ただ中身も考え方も幼い。
人の気持ちを思いやる優しい気持ちがそもそも無い。
一応あるフリはできるし、自分でもあると思っていた。
あとから考えると、全然足りなかったわね。
子育てをしながら自分も子どもと育ちなおしていったの。
結婚生活は10年で破綻したわ。
そして我が子の学習障害(LD)で自分の学習障害に気づくのね。
大人になってからは、とにかく人とのコミュニケーション力の低さからいろんな苦手意識を持っていて困ったわ。
公園でママ友ができない
PTAの集まりが苦手
自治会での発言が苦手
どこに行っても話すことが大の苦手
そんな自分が好きになれない
場の空気を読めない
生きにくさを感じる
活発な意見交換はついていけない
(ケンカの場面は呆気に取られて何も言い返せない)急に話しかけられると動揺する
邦画が見れない(何言っているか聞き取れない)
洋画は字幕なので安心
ただこの頃になると流石に自分が場の空気を読めていないとか、考え方が幼いんじゃないかとか、気付けるようになったの。
アスペルガーの私を私が認める・・・
これは成長した証拠よね。
普通の人が15年くらいかかるところを、私は30年(倍の時間)をかけて成長していったんじゃ無いかしら。
とにかく離婚をきっかけに、自分について、自分の悪いところについて徹底的に考えるようになったの。
自分と親との関係、親とその親との関係の見直しから始めたわね。
それで今まで信じていたものに対して疑問を持つことになったわ。
いろんな価値観がひっくり返る経験をしたのね。
学習障害(LD)という個性を持つ子を理解することは、自分自身をも理解することになる。また過去の自分を理解することは、目の前にいる我が子を理解することにもなる。
我が子たちとは分け隔てることなくしっかり向き合っていったわ。
苦手を克服することを選ぶ
そしてある時・・・
自分を好きになれない親に育てられる子どもは幸せじゃ無い
と思ったの。
だって私自身がそうだったから。
父母もそれぞれのコンプレックスを抱えていて、私がそれを見せていたから二人とも私を嫌っていたの。
だから私は自分を好きにならなきゃ。
そのためには人とのコミュニケーション力を上げたい!
苦手なことを克服できたら少しは自分が好きになれるじゃない。
苦手なことを無理に克服せずに避ける道もあるけれど、この苦手だけは一生着いて回る。それは嫌だもの。
なら徹底的に向き合って、ある程度乗り越えた方が絶対良い!
そして、人とお話しするお仕事に就いたの。
しかもダブルワークで両方とも話すお仕事に転職した。
だって、働かないと生きていけないし、授業料払って克服しているような時間的金銭的余裕は無かったんだもの。
話すお仕事を始めて分かったのは・・・
自分はこっちを向いてくれる人との会話は嫌いではないということ。
そして・・・
一対一の会話は嫌いではない
大勢の前で話すのも台本を丸暗記すれば怖くない
高校生の時によく人から相談をされていたことを思い出したの。
田舎での経験もそう。
ちゃんと話を聞いてくれる大人の中ではお話しできていたのね。
仕事で一対一での対話はちゃんと成り立っていたわ。
また大勢の人前で説明をする場面も、注目されて楽しく感じたほど。
もちろん相手のことを深く理解したり、言葉の裏まで感じ取ったりすることや、大勢の集まりの中に入っている場面は今も苦手だけど。
人とのコミュニケーションといってもいろんな場面があったのよね。
大勢の会話の中では聞き取ることだけでいっぱいいっぱいになるから入れなかったの。
これは最近自分のAPD(聴覚情報処理障害)を知ったから、もうそういう場面に無理に行くのはやめる事にしたわ。
自治会など必要最低限にして気が楽になった。
そしてアスペルガー(自閉スペクトラム症)が起こしていた、これまでの生きにくさについて自分を理解していったんだけど・・・
アスペルガー(自閉スペクトラム症)が良い方向に人生を導いてくれたという経験もあるの。
ここ先はそのお話をするわね。
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