小中高生編:アスペルガー(自閉スペクトラム症)に加えてAPD(聴覚情報処理障害) の人生の始まり
自分がアスペルガーだとはっきり自覚したのは、我が子の学習障害(LD)を知ったときだったわ。
(当時は学習障害(LD)という言葉しか知らなかった)
思い返すと、自分の人生に心当たりがいっぱいあるんだもの。
だから我が子の学習障害(LD)のことがものすごく理解できたの。
学習障害(LD)を自覚してからは、なんとなく誤魔化しながらやってきたけど、多分気づいていた人もいたんじゃ無いかしら。
私の親は孫の「変な子ども」の部分にめっちゃイライラして、私にいちいち口出ししたり余計な嫌味を言ったりしていたの。
実は我が子の父親も似たようなものだったわ。
ただ、そんな親も孫の学習障害(LD)のことが分かって、ようやく状況が分かって何も言わなくなったのね。
この出来事から、同じ学習障害(LD)の「変な子」だった私が親からどんな扱いを受けてきたのかがよく理解できたのよ。
そう、変な子どもの私が理解できないから、すごく嫌がられてきたのは幼いながらに知っていたのよ。
ではどんなことがあったのかを思い出してみるわ。
もう半世紀以上前だから思い出せないことの方が多いけど・・・
変な子どもの幼少期
コミュニケーションが下手すぎ
言葉がスラスラ出てこない
聞いたことに対して答えるのが遅い
もしくは答えられない友達が一人だけ
人が怖い
幼稚園で絵を描いているときに関係ない絵を描き始め、それに夢中になっていたら怒られたこと
人が怖くて話せないのに、動物や植物には話しかけていたわ。
いつもアニメなどの空想の世界にいて、現実ではどこかぼーっとしていた感じがする。
そりゃ親からしたら怖いわよね。
反応の遅い、寡黙な子どもだったと思うわ。
変な子どもの小学時代
人混みで頭が痛くなる
友達が一人だけ
外では話せない
遠足前や遠足の日の朝は過剰なほど緊張
絵はいつもほめられる
漫画が好きで読書は嫌い
田舎では自由に振る舞えた
自分のことしか頭にない
小学生低学年で、漠然と消えてなくなりたいと思っていた。
多分友達もいないし家庭でも孤立しているし、いなくてもいいんじゃないかと感じていたようね。
家にいて絵を描いたりしていたわね。
写真記憶っていうのかしら、何も見ないでいろんなものを描けたから、周りに驚かれていたわね。「なんで見なくて描けるの?」って。
それが普通だと思っていたわ。
小学4年の時だったかしら?
先生に急に質問されて、咄嗟に意味が理解できなくて恥ずかしい思いをしたことがある。
この頃から「視覚」が優位で「聴覚」で文章の意味を掴むことが苦手だった。相手の言っていることも半分理解できていたかどうか疑わしいわ。
我が子と同じよね。
これって今だから理解できるけれど、当時は何が起こっているのかさっぱり分からなかったのよ。
さらに悪いことにものすごく口が達者な兄弟がいたから、家庭内でも話を聞いてもらえる環境がなくて、ますます寡黙になっていたわね。
親から嫌われていることも知っていた。
家庭内で会話の訓練をしていないから、さらに外でも話すことが苦手になっていったの。
その一方で田舎に行ったときだけは、大人がいっぱいいて話し相手がいるから、楽しく過ごせていた。
兄弟間で比較したらダメよね。
子どもはちゃんと話をしてくれる大人がいるだけで安心するのよ。
変な子どもだったけど、どこか大人な考え方も持っていたの。
父母は田舎から出てきた人たちだったけど、田舎の人が少なくなっていく危機感を感じて、なぜ父母は平気なんだろうって思っていたわ。
田舎の過疎を心配する小学生がいるかしら?
変な子どもの中学時代
言葉足らずな返事しかできなくて親に勘違いされて殴られる
友達が一人(小学生から同じ)
会話が幼い
人前に出るのが恥ずかしい
考え方も自分勝手
空想の世界にいることが多かった
他人の感情が理解できない、理解しなければならないとも思っていない
今から振り返ってみても、考え方がものすごく幼かったと思う。
親から見たらイライラしてたでしょうね。
おまけに反抗期にもなって態度にも出るから、取っ組み合いになったこともあるわ。
またコミュニケーション力が無い上に、無愛想で親に媚びるということも頭にすらなかった。
他人に関心が無いから、そうなっていたのかも知れない。
兄弟は正反対だったからますます差が開いていったわ。
親との意思疎通ができないとそもそも信頼関係なんて構築できないのよね。
そして親の勝手な思い込みで理不尽に怒られても、言語化するのが苦手だと言い返すこともできないのよね。
家では孤立していっていたと思う。
そして不登校ではなかったけど、友達も一人しかいないから、家にいることが多かったわ。
それでも家で一人でいることは嫌いではなかったの。
家族で一緒に見るテレビにも全く興味がなく、今のようにスマホやパソコン、ネットの情報もないし、一人で漫画やラジオを楽しんでいたわね。
洋楽が好きになったのもこのころね。
他人に興味や関心がなくて、自分の世界のことしか考えていなかった。
あと何かにこだわると周りのことが見えなくなっていたわね。
例えば、ある時教室で机に物差しを当てたの。
そうすると音が出るんだけど、当てる場所によって音階ができることに気づいたの。
それをずっとコンコンとやっていたわ。
そして、他人に注意されて初めて恥ずかしいと思ったの。
夢中になると周りが見えなくなるって自分で自覚していなかったのよ。
これは学習障害(LD)の我が子にもあったから、とても共感できたけどね。
変な子どもの高校時代
親に好かれたいという思いはなくて、ほっといて欲しかった。
この頃になると家族の中では孤立していたわ。
そして高校と自宅の往復の毎日ね。
ただ音楽を始めたことは救いだった。
友達は他にも出来たけれど、少数だったわね。
会話の時に笑顔を見せるということを知らなかった。
寡黙だけれど、落ち着いて見えたのか、不良っぽい子に好かれたりしたわ。
友達の話を根気よく聞くことはできたので(私があまり喋らないからね)それが良かったのか、相談をされることが増えていったわ。
相談されるキャラなんだと自覚したわ。
一方であとから変な子だったと自覚したのは・・・
人との会話の中で急に自分の思いついたことを話し出していたこと。
大阪のおばちゃんはよくやるけどね、でも大人になってからこの衝動は抑えなければと我慢できるようになったの。
美術の時間では人が描かないような絵の書き方をして先生に驚かれたり
音楽の時間では人がやらないような楽器を組み合わせた演奏をしたり
国語、特に古文や漢文が苦手
漢字が全然覚えられない
漢字が書けないので日本史はダメ
世界史はカタカナなのでまだマシ
数学は好きな方
とにかく「言語」に対してアレルギーがあったのよね。
音痴を自覚したのもこの頃からかしら。
一方で一人でコツコツと練習することや、好きなことに集中することはできたのね。
勉強は好きではなかったけど、やらない選択肢はなかっただけね。
周りと一緒に何かをすることがとっても苦手だった。
そして友達作りも苦手だった。
ちょっと変な子とは波長が合っていたみたい。
高校3年生の時から過換気症候群を起こしていたわ。
実はこのころ、生きにくさを感じていたのね。
思い出したくないくらい、毎日がグレーだったわ。
ただ生きづらさの原因は自分では分からなかったの。
大きなエネルギーを内側に溜め込んでいたんだと思うわ。
だからこのあと好きなことに打ち込んでいくんだけど、自由の無い高校生の自分にはどうしようもなかったわね。
自分の中が混沌としていて人生で一番思い出したくない時期だったわね。
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