「幼稚園では遅すぎる」を読んでみたら考えさせられた
こんにちは、ベビーシッターのねこばすです。
今年は既に猛暑ですね、どうしましょ!
お子さんとお散歩に行く時の緊張感も気温とともに一気に上昇。
皆さんも熱中症などにはお気を付けくださいね。
さて、今回は読書感想文です。
6月前半までかなりバタバタしていましたが、最近また新しいリズムに入ったので久しぶりに本を読み始めています。
今回は、誰かの何かの記事でおすすめされていた「幼稚園では遅すぎる」という本です。
これを執筆したのはソニーの創業者の一人であり、教育活動もおこなってきた井深大さんです。
そして、この本の初版が出されたのは40年以上前と、ほぼ私と同い年です(笑)
40年前といったら、その時にあかちゃんだった子達が今子育ての真っ最中、もしくはひと段落ついたところでしょう。
子育ての世界も日進月歩で変化があります。
ということは、その頃の本を今読んでも違和感があってしかりです。
個人的な感想を先にお伝えすると、
「違和感も大いにあるけれど、普遍性もあって、読んだら一層考え込んでしまう」
という感じでした。
子育ての本って、身近なネタで分かりやすく書いてくれているものが多いので、「分かったような気になる」ことが多いです。
ですが、実際に自分の子育てに戻ると書いてあるようにはうまくできないことも多い。
そういうものですよね。子育てってとても難しいのです。
頭も感情も体力もフル回転の連続。
だから、本当は子育ての本も難しくなって当然なのです。
この本は、読んだことにより「子育てについて学ばなきゃ」と思わせるところがあります。
親としての責任をより強く感じるようになる方もいるでしょう。
ということで、個人的には「気持ちにゆとりがある時に読んでね注意報」を発令します(笑)
それだけ勉強になります。
普遍性と時代錯誤性が混在しているのです。
子育てには普遍的な側面がある
先程、子育ても日進月歩だと書きましたが、そういった側面があるのと同時に「普遍的な側面」というのもあります。
井深さんが書かれたことで特に共感したところをいくつか挙げてみます。
その通りだと思いますし、どのママ・パパさんもそう思っているでしょう。
幼児教育という言葉からは「天才を育てる」という雰囲気を感じる方も多いですが、そうではありませんよ、ということを井深さんはおっしゃっています。
同時に、「低い頭脳の子や性格ひねくれた子がいるとしたら、それは親の責任」ともおっしゃっています。
これが難しいところです。
親だって完璧じゃないし、毎日奮闘していたらエゴが出る時だってありますから。
でも、そうなのです。幼児教育の目的自体は普遍的なものであり、どんなに日常生活やメンタルに山や谷があっても、そこは忘れないでいただきたいのです。
因みに、「素直な性格」ってけっこう要注意ワードです。
誰に対して素直な子がいいでしょうね?親や先生、友達から見て「素直」というのは、裏を返せば「都合がいい」「従順」ということにもなり得ます。
私は「自分に対して素直な子」と解釈しています。
これはその通りであるのと同時に、絶妙に難しい部分だとも思います。
◆どんな環境を我が子にとって「よい」とするのかは、親の価値観による
◆子どもが本来持つ能力に対しての理解も日進月歩なので、それを知る必要がある(時としてガセネタも入り混じる)
こういった要素がある以上、いい環境を作るためには、両親が勉強をした上で話しあう、という工程を省くことができません。
子どもにとっていい環境を用意するためには、お金をかけようと思えばいくらでもかけられます。
天井はないと言ってもいいでしょう。
一方で、お金をかけなくても作り出すことも可能です。
ただし、いずれにしても「手間暇」はかかるのですね。
私が思うに、子育てをする上で「親の責任」と言われることは多々ありますすが、
「適切な時期に手間暇をかけてあげて、適切な時期に手を離していく」ことができれば、親は子育てを全うしたと言うことができるのではないでしょうか。
手間をかけてあげた方がいい時期に子どもに手間を割いてあげることをしていれば、その結果がどうであろうが、そこからは子どもの人生の問題であり、子どもの課題・責任です。
私は、現代の親を応援しているので、自分の人生を犠牲にして子どもに尽くすことが正義だとは全く思いません。
ですが、子どもを育てあげる責任がある以上は、手間暇を割く必要はあるのです。
家事や仕事をサボっても子育ての手間はサボらない方が、いい結果につながります。
だいぶ回りくどい話になりましたが、親が手間暇をかけて子どもにしてあげられる最大のことは、「よりよい環境を提供すること」なのです。
あなたはお子さんにどのような環境をつくってあげたいですか?
そして、次の言葉が「よき環境とは何か」のヒントになるかな、と思います。
井深さん曰く、子どもにとって、興味こそが最大のモチベーションになるが、好奇心が旺盛な子どもの興味を持続させることが難しい、とのことです。
これはどの親も実感しているのではないでしょうか。
我が子の「好き」や「得意」を見つけてあげたいから、興味を示したものに対して親が反応します。
ゲームなどルールのある遊びに興味が出てきた子に、ボードゲームやカードゲームなどを沢山買い与えて一緒にやるけれど、気が付いたら違うことに興味が移っていた。
といった現場を私も見てきました。
発達の段階により興味が移り変わるのは当然のことでもあります。
子どもにいい環境を作るためには、
◆本人の興味を探るためにいろいろなもの・ことに触れさせる
◆実際に興味を持ったもの・ことへの探求を深める環境を用意する
この2つが大切なのでしょう。
時代錯誤性について
この本にある言葉の端々に「母性神話」を感じるのは私だけではないでしょう。
◆子どもの教育の責任を一身に背負ってるお母様がた
◆音痴の母親に育てられた子どもは音痴になる。母親の「心配性」は子どもに伝染する
◆本当の幼児教育は母親にしかできない
こういった言葉を目にする度に、ママさんたち特に初めての子育てに奮闘中のママさんたちはプレッシャーを感じるだろうな、と思います。
核家族でワンオペ育児をしていて、そしてコロナで家から出て他者と交わる機会が激減。
孤独が深刻な環境で子育てをしているママさんに、「子どもの教育の責任は母親にある」というメッセージを送るのはとても酷です。
よって、この本はご夫婦で一緒に読むか、むしろパパさんが読むのがいいかなと思います。
「母親」という言葉を「親」に置き換えて読むのが現代的だと思います。
一方で・・
こういったこともおっしゃっていて、これって大人になっても同じなのではないでしょうか?それが親であっても。
性別による違いというのはある、と私も考えています。
(体格・体力とか分泌されるホルモンだとかね)
ですが、子どもにとってはどちらも親であり、子育ての責任は両親で背負っているのです。
現代では多くのママさんが仕事を持っていますし、仕事をしていないとしてもママさんが1人で子育てをするのには限界があります。
子育て・教育は親(両親)がしていくもの。
せっかく子どもの頃に「性差で可能性を狭めないように」育てられた子が、大人になるとレッテルを貼られるようになるのをいたる場面で見かけますが、もったいない話です。
スポーツを始める時期はいつがいい?
オリンピックを見ていると選手の若さに驚くことがよくあります。
実際多くの国でスポーツエリート政策が展開されています。
しかし、そういった光景や上記のような言葉に触発されて、早期からスポーツ教育にのめり込むのには疑問があります。
最近はスポーツ選手のメンタルヘルスが問題視されていますが、あまりにも早期から一つのスポーツ漬けになることにも原因があるでしょう。
そして、ある調査によると「国際レベルの選手と国内レベルの選手のスポーツ経験は、前者の方が幼少時代のスポーツ経験が豊富で、小学校高学年から中学校にかけて、適正に合った競技を絞り込んでいったケースが多い。」という結果が出ています。
子どもに向いている競技の見極めが早ければ早いほどいい、とは言い切れないということです。
小さいころからスポーツになじむのはいいことですが、あくまでも楽しむことが大切ですよね。
うまく言葉にできないけど
この本を通しで読んで感じたのは「経営者の男性が書いたらしさが強い本んだな」ということです。
子どもには親を越える存在、これからの世界で活躍できる人間に育ってほしい。
という願いが根本にあって、その上で幼児教育はどうあるべきかを説いてます。
保育者や子ども・人間の研究者が書く文章とはちょっと違います。
研究者はもうちょっと主体を子どもに置いた文章を書くかなと。
どちらが勉強になるのかと言ったら、どちらもなります。
ただ、親は我が子に願いを持っているものです。
「子ども」という存在に対する願いとは別の、もっと個別的な願い。
だとすると、井深さんがおっしゃっていることはすごく響くのではないでしょうか。
ただ、ここで注意点が一つ。
書かれていることをまっすぐに受け止め過ぎるとママさんが辛くなります。
話半分で読むか、「母親」という言葉を全部「親」に置き換えながら読むくらいでちょうどいいです。
ということで、今回も色んな意味で勉強になる本でした!
それでは、また。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?