吾輩は猫である。

大きくてのろまな猫¦思うこと、創作、過去など色々¦ …

吾輩は猫である。

大きくてのろまな猫¦思うこと、創作、過去など色々¦ スキ♥やコメント、励みになります!

最近の記事

幻の命

私には、絶対に忘れてはいけないことがある。 それは4年前、妊娠超初期の早期流産で消えた幻の命があったこと。 当時はいろいろと頭が混乱していたこともあり、 自分で調べることが出来なかった。 また、調べることによってより傷つくことが怖かった。 たくさん自分を責めた。 そんな時、当時の職場の先輩が実は妊娠しており、無事安定期に入ったことを知らされた。 おめでとうと口では言えたが、 どうして私の子なのだろう。 と、思ってしまった。 そんな自分も嫌だった。 昨年、付き合っ

    • 「明日を生きたい、」

      歩き慣れたこの一本道。 今この瞬間にも、通りすがる人々は あたりまえに明日を生きたいと思っているのだろうか。 それとも、生きたいとすらも考えず、ただ明日も生きていることを、あたりまえに受け入れているのだろうか。 某小説にもあるように、生きたいと思える人生を生きるため、同士と暮らすことにしたように、帰りを待っている人、帰りたいと思える場所があるのだろうか。 私には信じられない。 そんなわけがないだろうと、顔も知らない人々にすがりたい気持ちと、この感情に気付かれたくない気持ち

      • 書きたいことがない。

        最近投稿が疎かになっていることに気付いている人は、一体何人いるだろう。 たぶん、いないと思う。 自分でこんなことを言うのは、やっぱりちょっと虚しい。 寂しさは伝染するものなのだと、私は思う。 だから、あまり口に出さない方がいいのではないか、なんて考えてしまう。 でも、私の周りで寂しさを感じ、少しでも夜に眠りづらさを感じる人がいたなら、どうか口に出して伝えてほしいとも思ってしまう。 これはエゴなのだろうか。 春に花粉が飛ばなければ、川沿いに咲く桜や、まだ少し肌寒い夜の散

        • 母は可哀想な人

          母は可哀想な人。 私にとってはそういう存在だった。 とくに私が幼少期の頃は、父は気性が荒く、この人の機嫌で私達の生活は大きく変わった。 母は、日常的に父からモラル・ハラスメントにあたる暴言を吐かれ、「誰が骨が入ったもん食べんねん!」と、食卓に並んだ白身魚のあんかけを捨てられてしまったこともあった。 みんなで取り分けて食べるおかずなのに。 時には、初代PlayStationのゲーム、トゥームレイダーの攻略が上手くいかず、コントローラーが投げられることもよくあった。 そして

          味方

          お風呂は夜には入らず、出かける前に入る。 トイレの扉は開けたまま。 おならが出るのはあたりまえ。 「我猫ちゃん、猫連れてきて!」 と飼い猫に嗅がせたがる。 ゲームは頭脳戦。 私が一緒にすると基本勝てないので、 最初は「一緒にやろう」と誘ってくれていたが、 次第に誘ってくれなくなった。 寝る時はYouTube。 見ながら寝るから、朝起きた時になくなったAirPodsをよく一緒に探した。 「○○が悪い。」 今思えば、言い合いになった時によく彼が言っていた。 私の読めな

          Sちゃんがいなくなった日

          突然のことだった。 その日も外はまだ蒸し暑かった。 八月中旬。 長かった夏休みも、やっと終わりが見えてきた。 忙しない蝉の声に、つい眉を顰める。 私は夏が嫌いだ。 少し動いただけで汗はかくし、外は暑く日焼けするし、地面で息絶えていると思いきや、急に暴れだす蝉も、長いだけですることもなく、ただただ暇な夏休みも、全部引っ括めて嫌いなのだ。 そんな訳で、外には極力出たくはない私が、 何故、今日は重い腰をあげて灼熱の下に出たかというと、あまりに家でダラダラと怠けている私を見兼ね

          Sちゃんがいなくなった日

          いい子、わるい子ってなんだろう?

          ぼくには おなじ年の ともだちがいます。 ぼくと おなじ男の子で、ゆうきくんって名まえです。 みんな、ゆうくんって よんでるので ぼくもゆうくんって よんでます。 ゆうくんとは ようちえんから いっしょで、おうちも すぐちかくだから、いつも いっしょに あそんでました。 小学生になってから しってるともだちと はなればなれに なっちゃうかなと おもってたから、ゆうくんと おなじクラスに なれてよかったです。 ゆうくんは こくごと さんすうの じかんになると、すぐに イスか

          いい子、わるい子ってなんだろう?

          「たぶん」って言葉、ほんまに便利。

          この世は「たぶん」で片付けられることが沢山ある。 たとえば、人の気持ちだったり この先の未来のことだったり、 業務の矛盾、闇に気づいているが それを突き止め正す労力が惜しく 曖昧に表現する時、 そして、自分の感情でさえも分からない時。 その時、"たぶん" "〜だと思う" などの 抽象的な言葉で済ませたことが 誰しも一度はあるはずだ。 言ってしまえば、 この"はず"という言葉だって抽象的だ。 はっきりとは言い切ることはできないが、 たぶん大体の人がそういう経験があるだろ

          「たぶん」って言葉、ほんまに便利。

          今日、スターバックスに入ったら、 店内席いっぱいで どうしようかな〜って見回してたら 女性のお客さんが ここ座る?私出るからいいよって 譲ってくれた😭 優しい世界に心ほっこり💭💕

          今日、スターバックスに入ったら、 店内席いっぱいで どうしようかな〜って見回してたら 女性のお客さんが ここ座る?私出るからいいよって 譲ってくれた😭 優しい世界に心ほっこり💭💕

          漠然とした不安と寂しさに押しつぶされそう、

          この時間の街中は静かだ。 昼間の茹だるような暑さとは違い、柔らかな風が身体を掠めていく。 ふと携帯画面に目を落とすと、飼い猫のお福が気持ち良さそうに眠っている。 時刻はAM03:00を指していた。 イヤフォンの向こうからは微かなコントローラーの忙しない音と共に、「くそっ」「撃て撃て!」などと聞こえてくる。 私は思わずこぼれそうになるため息を飲み込んだ。 約2ヶ月後に付き合って1年を迎える彼とは、最近は喧嘩が増えた気がする。 彼から誘ってくる電話も、ゲームに夢中で空返事ば

          漠然とした不安と寂しさに押しつぶされそう、

          花火よりも綺麗なモノ

          提灯に明かりが灯る。 空はオレンジと赤に染まり、幻想的なグラデーションを作っていた。 賑わう人々の中に、微かな鼻歌と、コロン、カラン、という音が聞こえる。 君はわたがしを右手に、高揚した眼差しで辺りを見回しながら、僕の斜め後ろをゆったりとした足取りで付いてくる。 このままでは逸れてしまうのではないか と悩む僕に、君の手を取る勇気は到底ない。 あの日の威勢はどこへいったのだ。 何とも情けない。 大学生活にも慣れてきた二回生の7月中旬。 無事に前期試験を終え、長い夏休みが始

          花火よりも綺麗なモノ

          [暇なので]私にとって書くということ

          私にとって文章を書くということは何なのだろう。 暇なので考えてみることにする。 最初からこんなことを言ってしまうのもどうかとは思うが、 考えたところで結局答えはないんだろうなと思う。 なぜなら、私は結構気分屋だからだ。 これはもう昔っからでどうにもならない。 自分でもびっくりすることがあるくらいには、 その時々によって言っていることが違うらしい(友人云く)。 友人からするとたまったもんじゃないだろう。 前回聞いたときはこう言っていたのに、 今日もう一度同じことを聞くと違

          [暇なので]私にとって書くということ

          金と銀

          彼とよく行っていたごはん屋さんに、 ふと思いたち一人で行ってみた。 いつもの特選海鮮丼、 いつも通りの盛り付け。 もちろん、私の愛してやまない サーモンもしめ鯖もあの頃と変わらない味だ。 変わったといえば シェフがオーナーの男性らしき人から、 接客担当であった奥さんらしき女性になっていたことくらいだ。 たしかに、彼女の接客は淡泊で 無愛想だなとすら感じていた私にとっては、 そのことに大して驚きはしなかった。 私は箸を進める。 残り半分程になったところでなんとなく思った。

          上がらない時は、音楽を聴け。

          平日の昼下がり。 外は雨が降っている。 とくに外へ出かける用もない私には、 雨だろうが、曇りのち晴れだろうが、 はたまた雪だろうが、関係のないことだ。 しかし"しとしと雨"とはよく言ったものだ。 しとしと雨と聞いて、ほとんどの人類が 静かに雨が降っている様 を思い浮かべることができるらしい。 だが、音もなくゆったりと降る雨を見て "しとしと"という擬態語に何の疑いもなくたどり着けるだろうか? 一体誰が、 "この優しく降りそそぐような雨は、 しとしと雨と名付けよう!"

          上がらない時は、音楽を聴け。

          グッド・バイ、ホーム

          私は今日、この家を出る。
 この家で過ごした約5年間は、 本当に色々なことがあった。 もちろん楽しいこと、嬉しいこともあった。 だが、正直に言えば、 簡単には人に言えないような出来事や、 誰かに聞いてもらわなければ耐えられない夜の方が多かったのではと思ってしまう。 私は21歳になる年に、 親が離婚してすぐに飼いだした 猫2匹を連れ、実家を出た。 自分勝手な父の不倫をきっかけに家を出た私に、 父は少し負い目を感じているようだった。 突如始まった 私と、猫2匹の生活。

          グッド・バイ、ホーム

          毒親

          最近よく耳にするようになった言葉だ。 毒親とはなんだ。 Wikipediaには、 毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である... とある。 まだ説明文は続いていたが、 正直それだけでは解らなかった。 しかし、 色々なメディアやネットで目にするうちに、 私はいつしかうちの両親も毒親なのではと考えるようになった。 どこがと聞かれれば、長くなるし難しい。 根拠と言っていいほどの自信はないが あげると