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Sちゃんがいなくなった日


突然のことだった。

その日も外はまだ蒸し暑かった。

八月中旬。
長かった夏休みも、やっと終わりが見えてきた。
忙しない蝉の声に、つい眉を顰める。
私は夏が嫌いだ。
少し動いただけで汗はかくし、外は暑く日焼けするし、地面で息絶えていると思いきや、急に暴れだす蝉も、長いだけですることもなく、ただただ暇な夏休みも、全部引っ括めて嫌いなのだ。

そんな訳で、外には極力出たくはない私が、
何故、今日は重い腰をあげて灼熱の下に出たかというと、あまりに家でダラダラと怠けている私を見兼ねた母に、買い出しを頼まれたからだ。
もちろん断ったが、二度目の私の返答に母の表情が険しくなったことに気が付き、これ以上は面倒なことになると、嫌々ながら引き受けたのだった。

近所のスーパーへは自転車で十五分程度の距離で、この時期はとくに少し遠く感じてしまい正直億劫だ。
久々に漕ぐ自転車に脈が上がり始めた頃、地元では有名な急勾配坂、その名も”見雲坂”を二十メートル程一気に登った所の右手がスーパーだ。
自転車を降りると汗がドッと吹き出てくるのがわかり、私はそそくさと店内に吸い込まれていった。

しっかりと汗を鎮ませ、無事に頼まれた物を購入し帰路に着く。
店に到着してから二十分も経っていないはずだが、どこから流れてきたのか、雲は怪しく薄ら黒く、時々遠くの方で雷の怒号が鳴り響いていた。
雨が降りそうだ。
私は急ぎたい気持ちを抑え、購入したばかりの卵が割れないよう細心の注意を払いながら、ひたすら自転車を漕いだ。

自宅に到着し、まだ汗も引かない頃に雨が降り始めた。
なかなかの土砂降りで、あたらなくてよかったと、自身のタイミングの良さに心から安堵した。

今日の夜ご飯はあんかけチャーハンのようだ。
私は母の作る、程よく甘酸っぱい特製あんが大好きだ。
きっと好物の買い出しなら行くだろうと、母は践んだのだろう。
残念ながらそれだけでは母の思惑通りに動いていなかったかもしれないが、夜ご飯があんかけチャーハンであることに心を弾ませながら、二階にある自室に入る。

スマートフォンを見ると、LINEの通知が72件になっている。
通知を溜めたくない私は、すぐにトークを開き古い順からチェックをしていく。
通知の正体は、決して多くはない友人からの"大丈夫?"だの"連絡して"だの、身を案ずる連絡が数件と、ほとんどがクラスのグループチャットだった。

とりあえず、身を案じる友人たちに”何の話?”とだけ返し、残りの56件のグループチャットを読んでいく。

そこには、
”Sちゃんが昨日亡くなった”
”飛び降り自殺だったらしい”
とあった。

思考が止まり、先ほどまで機敏に動いていた指も止まる。
理解が追い付かず、何度もその文章を目で追う。

Sちゃんは、私が小学五年生の時に慣れ親しんだ街を離れ、この島の学校に転入し、初めて出来た友達だった。
今でも同じ学校に通うくらいには仲が良く、クラスは違えど、一緒に学食を食べたり、たまには街へ遊びに出かけたりもした。
私にとっては、親友と呼べる唯一の存在だった。

人間関係に疎く、友人が少ない私に比べ、Sちゃんは明るい性格で、誰にでも分け隔てなく接し皆に慕われる、所謂人気者だった。
頭が特段に良い訳ではなかったが、スポーツは得意で、何をしても難なくこなす器用な子だった。
私はそんなSちゃんを羨ましく思う反面、憧れの存在でもあった。
Sちゃんを知る者なら、”明るくて優しい、気の利く女の子”と、皆が口を揃えて言うだろう。

そんな人気者が、特別仲良くしていたのが私だった。
正直、何故私なのだろうと秘かに疑問に思う私に、Sちゃんは、「梨咲は普通やから、一緒におって落ち着く。」と、よく口にしていた。
その"普通"が、何を意味するのかよくわからなかったが、それ以上深掘りすることはなかった。
Sちゃんがいいならいっか、と思っていた。

そんなSちゃんが死んだらしい。
自ら命を絶ったらしい。

脳が理解を始め、私は唐突な吐き気と頭痛に見舞われ、すぐにトイレへ駆け込んだ。

扉も閉めずに一頻り吐いた後、私はそのまま絶叫に近い嗚咽をもらした。
その声に驚いた母が、階段を勢いよく駆け上がり、私に何度も何があったのかと問う。

「Sちゃんが、、、自殺したって・・・。」

やっとのとこで声を絞り出し、整わない呼吸の隙間と母に、そう放った。
母は一瞬目を見開き、動揺した様子を見せた。
そしてすぐに、ただ泣きじゃくることしかできない私を、ただ抱きしめた。


涙も枯れ、少し落ち着いてきた頃、呆然とする私に、「とりあえず、下降りといで。口ゆすいで、何かあったかいもんでも飲もか。」と、母に腕を引かれ一階へ降りる。
言われるがままに口をゆすぎ、静かにダイニングチェアに腰かけた。

ホットのカフェラテを注いだカップを、私の前に置き、ブラックコーヒーを手に、母が横の席に着く。
エスプレッソの渋く苦い香りが鼻をかすめ、いつもなら心地良さを覚えるこの香りでさえ、今は何も関心を抱けなかった。
テーブルの木目すらも捉えられないほど、俯き放心する私の肩を、母はずっと擦っていた。

どれくらい経っただろう。
外はまだ降り続く雨のせいか、すでに暗くなり、街灯に明かりが灯っている。

やっと落ち着いてきた私は、グループチャットの内容を全て読めていないことに気付き、スマートフォンを自室に置いてきたことを思い出した。
気になるという気持ちと、今はこれ以上知りたくないという感情が葛藤していた。

母は、今はいいんちゃう?とだけ放ち、口元を少しだけ緩めた。
あまりの優しい表情に、張り詰めた糸がプツンと切れ、私はいつの間にかソファで眠っていた。

微かな父の声と、甘酸っぱいあんかけチャーハンの香りで目を覚ました。
私に気づいた母が「ご飯、食べる?」と、声をかけ、父が私に目をやり、少し微笑み「ただいま」とだけ呟いた。
お腹が空いているという感覚はなく、寧ろ食べたくないくらいではあったが、そんな感情は無視するかのように、私の腹は無神経にも大好物の香りにそそられるように音を立てていた。

やはり、思ったより食べられず、半分程食べたところで残し、自室にこもった。
LINEの通知に、スマートフォンの画面が何度も点る。
その明かりでさえ鬱陶しく感じ、通知音をオフにしたが、今度はバイブ音が気になり、電源を切りベッドに寝転んだ。
今は一人になりたかった。
一人で考えたかった。

何故、Sちゃんは自ら命を経ったのだろう。
何かあったのなら、何がSちゃんをそこまで追い詰めたのだろう。
何故、私に相談してくれなかったのだろう。
私に何か出来たことがあったのではないか。
もっと、話をしておけばよかった。
自分の話をしたがらないSちゃんに、無理にでも、もっと聞き出しておけばよかった。
もっと、電話やLINEをしたり、遊んでおけばよかった。
先月オープンしたばかりの、隣町に出来たパンケーキ屋さんに行こうって言ってたのに。
「いつか一泊で旅行とか行きたいな」って、夏休み期間中にでも行こうと思えば行けたのに、何故行かなかったのだろう。
歳をとっておばさんになっても、いつまでも一緒にプリクラを撮ろうって約束したのに。
将来、CAになって空を飛びまわるねんって、あんなに目を輝かせて話してくれたのに。
もう叶うことはないらしい。
Sちゃんはもう、この世にいないらしい。
よく分からないが、そういうことらしい。
もう話すことも、目を見ることも、できないらしい。
後悔と哀傷と、自分の無力さで複雑な感情に、また混乱し、涙が止まらなかった。
たぶん、何時間も泣いていたと思う。
そのまま気を失うかのように、私はまた眠っていた。

ふと目を覚まし、枕元の時計をみる。
AM05:21を指している。
二度寝をしようとしたが寝付けず、スマートフォンに電源を入れ、グループチャットに目を通した。
友人とのトークは相変わらず、私を案ずるものが届いていたが、返信をする気にはなれず、そのまま閉じた。
葬儀は、家族だけでするらしい。

一階へ降りると、母がすでに起きており、ダイニングチェアに腰かけている後ろ姿が目に入った。
ほんのりエスプレッソの良い香りがした。珍しくカフェラテを飲んでいるようだ。
母は私に気が付くと、「梨咲も飲む?」と席を立ち、キッチンへ行き、まだ何も答えていないのに、マシンにカップをセットし始めた。

私は一度洗面所で顔を洗い、リビングに戻ると、母が私の分のカフェラテが注がれたカップを、ダイニングテーブルに置くところだった。
「ありがとう」と、チェアに腰かける。
少しの無言の時間が流れる。
母は、なんて声をかけるか迷っているようだった。

「家族で、お葬式はするんやって。」
それだけ言い、注いでくれたばかりのカフェラテに口をつける。まだ熱く、ほとんど口には淹れられなかった。
「うん。」母もそれだけ口にし、冷めきったカフェラテを飲み切った。
庭に目をやると、昨日の大雨が嘘かのように、
眩しい朝日が射している。
ここのところ夕立が多い。私の嫌いな夏はもう終わるのだろうか。

カフェラテを飲みきり、昨日、お風呂に入っていないことに気付き、シャワーだけ浴びた。
一人になるとSちゃんのことを考え、答えの出ないことがぐるぐると思考を巡り、結果泣いてしまうのが辛く、リビングでテレビに熱中するよう心がけた。
父は変わらず、今日もAM07:50に家を出た。

スッキリ!!では、浜崎あゆみが番組のエンディングを知らせている。
「ドライブでもいこっか。」
ソファでテレビを見ている私に、母が突然提案してきた。
その時の母の勢いを文章で表すには、びっくりマークを二つほどつけても良いくらいだったが、ここは敢えて付けないでおく。

突拍子もない母の提案に驚いた。
とてもそんな気分ではなかったが、私の母は一度言い出すと聞かない、少々厄介な性格だ。

昨日の残りのあんかけチャーハンを食べるか聞かれたが、お腹が空いていなかったため断ると、「そう。」と、レンジで温め直し、母が全て平らげた。
昼食を終え、すぐに着替えた母を横目に、私は自室へ行き、着替える気にはなれなかったので、キャップだけ被って、この腫れ上がった瞼をどうにか誤魔化した。

既に車で待つ母を追い、助手席に乗り込む。
母はSpotifyで、いつもなら聴かない"洋楽"と検索をかけ、一番上の候補にあったプレイリストを選択し、車のオーディオから流した。
QUEENのWe Will Rock Youが流れ出す車内に、なんて私の心情に合わない曲なんだと思ったが、ツッコミを入れる元気もない。
「さぁ、出発。」と、母が小さく呟き、車がゆっくりと動き出す。

母も私も、とくに会話をすることはなかった。
母はハンドルを持つ右手の人差し指で、楽曲に合わせてリズムを取っている。
私はというと、車窓の向こうで流れゆく景色を、ただ目に流し込んでいた。

私はドライブが好きだ。小さい頃はよく色んな所へ出かけたが、ドライブの好きな私のために、両親はいつも車で連れて行ってくれた。
私が中学にあがり、テニス部に所属してからは、家族で遠出することもほとんど無くなった。
ドライブと称して、出かけるのはとても久しぶりだった。

そういえば、私が車の免許を取得したら、一番にSちゃんを乗せてあげる、なんて約束をしたこともあった。
それももう、叶うことのない夢の話になってしまうのか。
また、切なく悲しい感情が押し寄せる。

ふと、外に意識を向けると、少し遠くの方で黒煙が見えた。
Sちゃんの葬儀は、場所は聞いていないが今日らしい。心がざわついて落ち着かない。
あの煙から、目が離せないでいる私に、「Sちゃんのお母さんから連絡あって。どこでやるんか教えてもらってん。どうにかお別れ出来ひんかなって思ったけど、やっぱSちゃんのお母さんのこと思うと言われへんくて。中には入られへんけど、近くまでなら行けるよ。梨咲は、どうしたい?」と、母は前を見ながら、表情を変えず言った。

正直、まだSちゃんの死を受け入れられる程、私の心は穏やかになれる訳がなかった。
それどころかまだ、"亡くなった"というのは、嘘なのではとすら思っていた。
というより、"嘘であってほしい"というのが本音だ。
葬儀に参列することで、それが本当になることを恐れていた私にとっては、家族葬にすると知った時は、少しほっとした自分もいた。
でも、本当だとしたら、もう二度と会えない。
それもまた私にとっては恐怖だった。
母に判断を委ねられた時、すでに決心はついていた。
だが、間もなく率直に伝えて後悔することを怖れた私は、わざと間をとった。

「行きたい・・・、行きたい。」
二回目は母の方を見て言った。
自分の気持ちに嘘がないとわかったからだ。
母は頷き、「わかった。」とだけ言った。

斎場の近くのコンビニの駐車場に車を停め、見える場所まで少し歩いた。
車外はやはりまだまだ夏だ。
暑いし、蝉はうるさい。

煙はいつの間にか、黒から白煙に変わっていた。
量も先程より少なく、ほとんど出ていなかった。

あぁ、いってしまうのか。

近くで見ると、より実感し、涙が溢れる。
私は、人目も憚らずに思いっきり泣き崩れた。
斎場前には、しっかりとSちゃんのフルネームが書かれた看板があった。
あの煙はSちゃんなのだと、はっきりと痛感してしまった。
分かりたくなかった、理解したくなかった事実。
本当だった。

Sちゃんは死に、もうこの世にはいない。
その事実だけが残った。
私の中で"らしい"から、"~だ。"に、変わってしまった瞬間だった。

泣きじゃくる私には目もくれず、煙は夏の空へと消えていく。
転入して独りだった私を気にかけ、独りにしなかったSちゃんは、私に何も言わず、たった一人で死んだ。
今だって、一人で灰になって、一人で消えていくのだ。

どれくらい経っただろう。
気が付けば煙はなくなり、母も膝をつき私の肩を抱いていた。
私はまだ煙のなくなった煙突をぼんやりと眺めていた。
近くに行けば、Sちゃんが幽霊となって現れ、何か話を聞けるのではないか、なんて考えていたが、Sちゃんが現れることはなかった。
煙の消えていった先に目をやる。

あぁ、そうか。
「空、飛びまわりたいって言うてたもんなあ・・・。」
Sちゃんはきっと、空を飛びたかったのだ。
だから、飛んだのだ。
そう思うと、心の中のSちゃんが、少し笑った気がした。

車に戻り、母が冷房を20度に設定する。
二人とも汗びっしょりだった。
帰りに母が、「スターバックスのあの抹茶のやつが飲みたい」と言い出し、わざわざ島の橋のサービスエリアまで車を走らせた。

私は、自分が何を飲みたいかわからず、いらないと言ったが、母はせっかくなのに勿体ないと、母と同じ物を注文した。
少しすると、私に生クリームいっぱいの抹茶クリームフラペチーノが差し出された。
母はすでに、それはそれは嬉しそうに頬張っている。
私も仕方なくストローを咥え、中の液体を吸い込む。
甘い抹茶が口の中に広がる。美味しい。
時刻はPM15:30をまわっていた。
よく考えたら、今日一日で口にしたのは、朝、母が用意してくれたカフェラテのみだった。



Sちゃんの死から八ヶ月ほど経ち、私は晴れて高校三年生になった。
あの夏休みが終わり、二学期が始まった頃は、Sちゃんのいない教室に、違和感と恐怖と底知れない寂しさを感じていたが、それは皆同じだった。人気者だったSちゃんだからこそ、皆が動揺し、困惑している様子だった。
それでも皆、過度に励まし合うことはなく、ただ"Sちゃんのいない生活"を送っていた。

人間というものは、哀れな生き物だ。
嫌な物事から目を背け、それを正当化し、初めは後ろめたい気持ちがあったモノも、仕舞いには慣れ、いとも簡単に忘れゆくことができてしまう。

私も同じように、Sちゃんのことは思い出さないようにと、自分の身を守るため、その事に蓋をした、哀れな生き物の一人だ。

その日は午前授業のみで、特に予定もなかった私は、PM12:00を過ぎた頃に帰宅した。
玄関に知らない可愛らしい黒のサンダルがあり、お客が来ていることを悟った。
リビングから、そのサンダルの主と思われる知らない声が聞こえる。
恐る恐る顔を出す、私はその主を知っていた。
Sちゃんの母親だった。
悪いことをしたわけでもないのに、動揺し、混乱した。
何故、今になってSちゃんのお母さんが家に来ているのだろう。

「あっ、梨咲。Sちゃんのお母さん。ちゃんと挨拶しなさい。ごめんなぁ、ほんま。」と、母がSちゃんの母親に何故か謝る。
「あっ、お久しぶりです。」と、慌てて挨拶をし、早々に自室に上がろうとしたが、母親に引き止められた。
「なんかあんたに渡したい物があるって、わざわざ家まで来てくれてん。」
「そうそう、Sと仲良くしてくれて、ほんまありがとうね。この前、Sの部屋掃除しとったら、梨咲ちゃんに宛てた手紙が出てきてね。辛い思いさせちゃったし、渡すか迷ったんやけど、それやとSが浮かばれへんなって思って・・・。」と、Sちゃんの母親は、私にスマートフォンより少し大きいサイズの、薄茶色の封筒を渡してきた。
「S、家でしょっちゅう梨咲ちゃんの話してて。こうして手紙も残すくらいやから、ほんまに梨咲ちゃんのこと大好きやったんやろなぁ。」そう話すSちゃんの母親の目が、心做しか潤んでいるように見えた。
読んだってくれへん?と最後に言い、続けてごめんなぁとSちゃんの母親も何故か謝った。

Sちゃんの最期の手紙。
私は何が書いてあるのか、この場で開けて今すぐにでも読みたい気持ちを抑え、Sちゃんの母親に、「持ってきてくださり、ありがとうございます。もちろん、受け取ります。」とほとんど早口で言い切り、足早に階段を駆け上がった。

自室に入り、いつもなら制服の下にあるフックにかけるカバンを、ローテーブルの横に置き、その場に座り込み、"梨咲へ"と、たしかにSちゃんの字で書かれた封筒を、急いで開ける。
封筒はのりやシールで貼られておらず、すぐに開いた。
中に入っている便箋を取り出し、一つため息を吐き、息をのんだ。
ゆっくりと便箋に目を通す。



"梨咲へ

手紙なんか書くん久しぶりで緊張するわ(笑)
中学以来かな?梨咲もびっくりしてるやろうなぁ。
なんで急に手紙なんかというと、最近悩んでることがあって。
でも、直接、顔見て話すん難しいなと思って、
手紙に書くことにしました!(笑)
なんか照れるけど、最後まで読んでね〜"

なんだか、すごく久しぶりに感じる。
Sちゃんの字に、話し方に、懐かしさと寂しさがふつふつと湧き上がる。

"前に、お母さんとお父さんに、CAなるために専門学校に行きたいって話したんよ。
そしたら、金銭的に難しいって言われて。。。
私、ずっとCAになることしか考えてへんかったからさ。
ならせめて、今からバイトして、奨学金?とか使って行かれへんかなと思って、バイトしたいって言うてんけど、それもあかんって言われて。

私、初めて親に口答えしたわ!(笑)
めっちゃ悔しくてさぁ〜。
昔から割と親に厳しくされてて、したいことやらせてもらえへんかったり、私ん家で友達と遊んだらあかんとか、友達ん家にだって泊まりに行ったあかんって言われてて。
なんかちょっとでも親の気に食わんことしたら、すぐ不機嫌になってさ。
晩ごはん無しとか日常茶飯事やって(笑)
これまで我慢してたんが爆発したみたいな感じ!(笑)
ってか、学校の皆にもCAなるって言うてもうてるし!
今更、お金ないから無理になったなんて言われへんやん??(笑)
そんなん言われても皆なんて返したらいいか分からんやろうし、気まずいやん!
だから、誰にも相談できひんくて。
でもなんか、梨咲には言えるかもって思ってん。
何年も一緒におったから、私が真面目な話とか人に相談するん苦手なん知ってるやろ?(笑)
だから、手紙でならと思って!

あぁ〜、CAなりたかったなぁ。"

手紙は、そこで終わっていた。
何故、途中でやめてしまったのか、本当のことはわからないが、きっと最後まで書く勇気がなかったのか、書いても渡せないと思ったのか、書けなかったのだろう。
私は何故か、何となく最後の考えが一番近いのではないかと思った。

Sちゃんは、絶望していたのだろう。
私はこう考えた。

何度思い返してみても、記憶の中のSちゃんは、いつも笑っていた。
そういう子だった。辛いことがあっても、言わない子だった。現に、手紙に書いているSちゃん家の環境も、私は知らなかった。
私は何も知らなかったのだと、改めて思い知ることになった手紙を、何度も何度も読み返した。
Sちゃんの、本当の心の声が書かれているのではと、必死に探した。
でも、結局見つけることはできなかった。

私は諦めて、水を飲みに一階へ降りると、Sちゃんの母親はまだそこにいた。
手紙を読んでしまってから見ると、それまでのSちゃんの母親の記憶はなかったかのように、憎く見えて仕方がなかった。

何も言わずに部屋へと戻り、手紙に目を落とす。
今度は気持ちを落ち着かせ、一字一句、噛み締めながらゆっくりと読んでみた。


この文章の中で、Sちゃんの思いが一番こもっているのはどこか。
最後の一文である、
CAになりたかったの続きはなんだろう。
彼女は、彼女を取り巻く環境から、逃れたかったのではないか。
Sちゃんのあの日の一言を思い出した。

"CAになって、空を飛びまわる。"

やはり、あれが本質なのでは、そういう気がした。
あの煙が消えたあとの、空を見上げて感じたことが、全てだったのではないか。

私は思い立ち、急いで一階へ降りた。
よかった、Sちゃんの母親は玄関で黒いサンダルを履いているところだった。
私の形相に驚いているその人に、私は無言で、封筒を差し出した。
「やっぱり、返します。読んだけど、Sちゃんは私に読まんとって欲しかったんじゃないかって。渡したくなかったから、最後まで書かれへんかったんじゃないかなって思って。」

驚きながらも、封筒を受け取ったSちゃんの母親と、どんな表情をしているかすら気をとめる余裕もない自身の母を背に、私はまた階段を駆け上がり、自室に急いで戻った。
その後、母は少し機嫌が悪かった気もするが、特別なにか言ってくることはなかった。

後々わかったことだが、Sちゃんの父親はリーマンショックの影響で職を失い、なかなか再就職先も決まらず、生活はとても苦しかったそうだ。これは私の憶測だが、大学にも行かずに働いてほしいと、言われていたのかもしれないと思った。


手紙を読んで、私はこれまで考えたこともなかったことを、あの時はっきりと決心した。
先に言っておくと、Sちゃんのためではない。
自分がそうしたいと、望んだからだ。
勉強は元々得意だったこともあり、難なく専門学校に入学することが出来た。
その後も順調にいき、私は今、日本中を飛びまわるCAになった。


時々、考えることがある。

Sちゃんが私のことを見守ってくれていて、空を飛んでいたら、偶然、空を飛んでいるSちゃんに会えるのではないか。
また、その時がきたら、何を話そうか。

きっと、あの頃と変わらず手を振り合い、私はSちゃんに感謝するのだろう。
そして、たまには夢に出てきてと、伝えるのだ。




Stories by,あの日の煙と空と、



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