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母は可哀想な人


母は可哀想な人。


私にとってはそういう存在だった。
とくに私が幼少期の頃は、父は気性が荒く、この人の機嫌で私達の生活は大きく変わった。


母は、日常的に父からモラル・ハラスメントにあたる暴言を吐かれ、「誰が骨が入ったもん食べんねん!」と、食卓に並んだ白身魚のあんかけを捨てられてしまったこともあった。
みんなで取り分けて食べるおかずなのに。


時には、初代PlayStationのゲーム、トゥームレイダーの攻略が上手くいかず、コントローラーが投げられることもよくあった。
そして、その宙を凄まじい勢いで横切るコントローラーが、昼寝をしていた母の顔にあたることもあった。
そんな父だから、ゲームで苛立ち始めると、私達は物音を立てないよう、逆鱗に触れないよう努めた。


とにかく、気に入らないことがあるとすぐに暴言と暴力に直結する父だった。
そして、その矛先は母だった。
姉弟の名誉のために厳密に言うと、"母に向けられることが多かった"が正解だ。


時が経つにつれて減っていった気もするが、減っただけで、家庭内は変わらない。
何故なら、このどうしようもない父の言動の記憶は、多々蘇ってくるからだ。


母は鼻が曲がっている。
その事の前後の記憶はないのだが、その要因は父だと、姉も私も践んでいる。
「エアコンが壊れたから、それを直そうとしてエアコンが顔に落ちてきた」と母は言うが、あれはきっと母の優しさだ。
そもそもエアコンが落ちてくるなんて、滅多にあるはずがないし、そんな話をこの家庭内で一度も聞いたことがない。


母が顔を殴られ、蹴られている場面が、私はしっかり脳裏に焼き付いているのだ。
それなのに、その言い訳で通すにはさすがに厳しすぎたのだ。


私達姉弟が、父の暴力の的になると、必ず母が割って入ってきてくれた。
母も父のいないところでは、怒りに興奮すると物に当たったり、足が出る人ではあったが、それでも父に比べるととんとマシだった。


もちろん、辛いことばかりでもなかったと思う。
母の楽しそうに笑う顔も、嬉しそうに身体を揺らす姿も覚えている。


だが、日常的にモラハラ発言を受けるのは、きっと想像もつかないくらいに、心が疲弊していたはずだ。
そのたまのお出かけや、美味しい物を食べて発散するだけじゃ、打ち消せないに決まっている。


私は母に一度、何故、父と結婚したのかと聞いたことがある。
「なんでやろうなぁ」と、母は薄ら笑みを浮かべて応えた。
私はその時、母は照れて素直に言えないだけなのだと、中学生ながらに考えを巡らせ、気に留めないようにした。
でも、今ならわかってしまう。



私が高校二年生の九月。
母は突然、家を出ていった。
父へと手紙を置いて。


後から聞いた話だが、父へ向けられた手紙には、"十数年前からあなたに愛はなかった"とあったらしい。



離婚をし、数年経った今、母は再婚をしている。


母の旦那さんは、母を肯定し、寄り添い、支えてくれる人 という印象だ。
それを示すように、母からはなんだか安閑として、生きやすくなったような様子が伺える。
娘としては安心だ。


母は父と離れ、新たな人と出会い過ごし、私にとっての"可哀想な人"ではなくなった。


こんなことを言うのもなんだが、両親の離婚を機に、私の生活は言うまでもなくガラッと変わった。
だけど、それとこれとは別の話だと、私も考えられる年齢にまではなっている。



ここまで長々と語ったが、結局私が言いたいことは、安心してほしいということだ。


私の現状を知っている者は、何をもって?と思うだろう。
それはそれでいい。
自分でも大丈夫か?と、思う面はもちろんある。


母はこのnoteを見ていないから伝わることはない。
私は母に対して、この事に関しては、恨んでいないということを記したかっただけなので、端から伝わることに期待していない。




私は大丈夫。
結局は幸せになれれば、結果オーライだ。



もちろん皆様も。お互いに!






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