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[暇なので]私にとって書くということ

私にとって文章を書くということは何なのだろう。
暇なので考えてみることにする。

最初からこんなことを言ってしまうのもどうかとは思うが、
考えたところで結局答えはないんだろうなと思う。

なぜなら、私は結構気分屋だからだ。
これはもう昔っからでどうにもならない。
自分でもびっくりすることがあるくらいには、
その時々によって言っていることが違うらしい(友人云く)。

友人からするとたまったもんじゃないだろう。
前回聞いたときはこう言っていたのに、
今日もう一度同じことを聞くと違うことを言うのだから。

でも、私はこう考える。
自分で自分を擁護するわけではないが、
日々色んな人や、出来事に出会い、色んな経験を経て、
時には理不尽なことにもみくちゃにされたりと
振り回し振り回されながら生きているのだから当たり前ではないのだろうかと。

それは私だけではなく、皆に当てはまることだと思う。
人が成長していくにあたって考え方が変わっていく事があるのも当たり前なのだ。

だが私の場合、その期間がちょっと短いというだけのことだ。
(それによって友人が迷惑に感じてたらごめん。)


本題に戻ると、浮かんできたのは
昔から創造することが好きだったからではないかということだ。

人は一日に35,000回も何らかの選択(決断)をしているという研究結果があるように、生きていると必ず小さなことから人生を左右する大きなことを選択していることになる。
その時、とても悩んだ末に選んだ出来事に対し、もし反対の選択をしていたらと想像し、よく言えばイメージすることが大好きというか、昔からの癖であった。

その小さな頃からの癖が、大人になるにつれ物事を判断し、選択しなければいけない出来事も大きくなっていった。
それに伴い、私の想像という名の妄想も幅広く深い物になっていき、次第にスマホのメモ帳に記することが根付いていた。

そしてある時、
せっかくやしなんかブログみたいなとこに投稿してみよっかな
という考えに至り、投稿を始めたのがきっかけだ。

何が目的かという話になると、自己満が7割を占めるだろう。

そして、あわよくば、私の拙い創作文や、ひとり言をみて読んでくれた人が
ちょっとでも面白いと思ってくれたり、
そんな考え方もあるのかと気付きを得られたり、
何かを感じられる一つのコンテンツになれたらなと思っているのも
間違いない本音である。(暇つぶし程度でももちろん充分嬉しいです)

つまり、私が文章を書きそれをnoteに上げる(今のところの)理由は、
自己満が何かに繋がればという期待、から成るものだという結果だ。

なんとなく漠然と自分の中ではそれがあったが、
こうしてnoteに書き示すことによって自分の中で確信に変わるのではという思いから、ここに残すことにした。

私にとって書くということに関しては、
ここまでです。



追記


自己満のひとり言とは言っていますが、コメントやスキなどの反応をもらえるとやはりすごく嬉しいです。
初めましての方も、いつも読んでくださっている方も本当にありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いいたします。

最終何が言いたいのか分からなくなりましたが、
以上、私のひとり言兼、一人語りでした。


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