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やさしいひと

去年のゴールデンウィークに、私はパートナーと氷ノ山(ひょうのせん)に出かけた。大好きな登山家・加藤文太郎氏の生誕地が近く、彼自身も何度も登っている兵庫県北部の山。いわば聖地巡礼だ。

せっかくだから前泊し、一日目は加藤氏の生誕地である浜坂(現:新温泉町)を観光することにした。氷ノ山登山は二日目の早朝から行う。

特段加藤氏に興味がないパートナーを連れまわし、加藤文太郎記念図書館や宇都野神社など、加藤氏に由来のある場所を巡る。海を眺め、猫を見て、用水路のそばを歩き、加藤氏が辿ったかもしれない道を散歩する。

大満足した私はパートナーとともにその日のホテルに向かった。ホテルというよりはペンションという佇まいで、家族で経営しているようだった。旅行サイトの口コミで夕食が評判だったから、食事の時間まで楽しみに部屋でごろごろしていた。

そのとき、胸とへその間のあたりで不穏な痛みが起きた。

ずき、という小さな刺激が、やがて刺すような痛みに変わっていく。先のとがったものでぎゅーっと内臓を突かれ続けているようで、私はベッドに丸く横たわったまま、両手でおなかを抱き続けた。

原因は察しがついている。きっと昼食を無理して腹13分目まで食べたからだ……。

夕食の時間になった。行かなければせっかくの料理がむだになってしまう。食堂に向かおうと部屋を出てみたが、すぐに腹痛に負けて戻ってしまった。パートナーはずっとおろおろと私を心配して、そばから離れようとしない。

「私は大丈夫やから、ごはん食べてきて」

後ろ髪を引かれるとはこういう状態なんだな、というくらいに私を気にしながら、パートナーは食堂に向かった。

それから私はずっと目をつぶり、半ば眠りの中にいた。

目を開けると心配顔のパートナーがおり、そばのコンビニで私が食べられそうなもの買ってきた、と言った。ゼリー、おにぎり、春雨ヌードルなど。少し眠れたことでおなかの痛みが和らいだため、お礼を言って春雨ヌードルを食べることにする。明日は登山だ。前日からちゃんと食べておかないと悪影響があるかもしれないという恐れも食事を後押しした。

そしてその夜、食事をしたことで私の腹痛はまんまとぶり返してしまった。パートナーに背を向け、縮こまって自分のおなかを抱く。

本当にバカ、なんで食べたんや、食べんかったら今頃治ってたかもしれんのに。心の中で自分に罵声を浴びせながら、泣きたい気持ちになっていた。

「大丈夫……?」

暗闇の中、背後からパートナーの小さな声が聞こえた。とっくに寝たと思っていたのに。

痛い、とか、大丈夫じゃないかも、などと答えたかもしれない。そのあと、パートナーは私のベッドに近づき、そっと背中に触れた。そのまま優しくさすりつづけてくれる。

「こんなことくらいしかできひんけど……」

かぼそく不安げな声だった。本当に私のことを心配してくれているのだと、だから伝わってきた。

この世の中に、ただひたすら目の前の人を心配して、心からそれだけを考えて背中をさすってくれる人が、親以外にいるとは思わなかった。

背中がぽわっと温かい。おなかが痛くて苦しい負の気持ちが、何か透明できれいなものによって薄められていく気がする。

なんて優しい人だろう。これほど裏表のない優しさを持つ人を、私は他に知らない。

同時に、私がこれまで他人に対して向けてきた優しさなど、本当の優しさではないと思った。背中をゆっくりとさすり続けてくれるこの手のぬくもりの前では、私の優しさなどすべて嘘になってしまう。

そんな自分が恥ずかしい気持ちと、背中をさすられて幸せな気持ち、そして依然ずきずきと痛むおなかを抱えて頭も体もごちゃごちゃになりながら、なんとかその日は眠れた。

後日、私はスマホのメモ機能にひとつのメモを残した。

『パートナーに怒りたくなったら、氷ノ山遠征のとき、おなかが痛くなった私の背中をずっとさすり続けてくれた手の温かさを思い出す』

正直、メモを忘れて瞬発的にずがーんと怒ってしまうこともあるが、それでも、まあまあ仲良くやっている。

サポートいただけたら、もれなく私が(うれしすぎて浮かれて)挙動不審になります!よろしくお願い致します!