ソウダルアが“出張料理人”をやめた理由
4月5日、友人のソウダルアさんが「出張料理人」の肩書きを下ろした。
唯一無二の出張料理人として、全国各地でパーフォーマンスとともに、和紙のうえに美味しい料理(世界)を披露してきたルアさん。
拡張家族Ciftのつながりで、彼の美味しいごはんを食べる機会に恵まれている。豪華な食材を使った逸品も、みんなで食べる鍋やたこ焼きも。20人を超える人たちが自由に持ってきた食材を丸ごと使って、即興で感動的な料理を作ってくれたこともあった。
まだ緊急事態宣言が発令される前に、ルアさんが立ち上げたのは、地方の生産者と料理人、そして都市部の人たちをつなぐ『地域と人を繋ぐ おいしいボックス』というプロジェクトだ。
新型コロナの影響で、まだ人々が先の見えない不安な日々を送っていた頃。誰もがこれからの生き方を模索する真っ最中に一歩を踏みだしたルアさん。
一体何を考えていたのだろう。ゆっくり話を聞いてみた。
※第一弾の「巨神兵」記事を読んだ、ルアさんから「あのナオくんを一般の人にもわかるように書くのはすごい」と感想が届いたのです。ゆる企画シリーズに、現代を生きる異能のひとたちが集まってきました。
「地域と人を繋ぐ おいしいボックス」
まずは、ルアさんがFacebookに投稿した「おいしいボックス」のコンセプトを紹介したい。
ソウダルアが今まで、培ってきた 料理の思想、日本中の地域との繋がりを活かせる形を考えました そのひとつめのご提案がこちらになります
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『地域と人を繋ぐ おいしいボックス』
日本中の地域と都市を“おいしい”で繋げる
地域のおいしい特産品
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地元料理人がつくるおいしい逸品
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地域食材でつくるソウダルアの一品
すべてのアイテムが誰かが歩いて、出会い その目で選び
誰かの手によってつくられたもの
その地域の“おいしい"を詰め込んだボックスをみなさまのご自宅にお届けします
第一弾は「香川 瀬戸内おいしいボックス」で、讃岐うどん、瀬戸内レモン、父母ヶ浜の塩(Cafe de flots)、いりこだしパック、瀬戸内の割れせんのほか、ルアさんや地域の料理人たちの料理や推薦の品が詰まって、1 ボックス5000円(送料別)。
(おいしいボックスの料理)
高松のリル-アペロ-カフェレストラン「さぬきのめざめ(アスパラガス)と小豆島オリーブオイルの優しいスープ」
観音寺のさぬき料理「あみ屋」推薦「仁加屋のえびかまぼこ」
香川初のテキーラバーAnejoによる「香川県庵治町産のベイカの冷製アヒージョ」
ルアさんの「骨付きひな鶏のコンフィ 瀬戸内のだしと香川本鷹の香り」
都市と地方を「おいしい」でつなぐ
Facebookの投稿によって、すぐに100を超える注文が寄せられ、外出自粛の日々がつづくなか、瀬戸内の特産品を料理が各地の家庭に食卓に上った。
ルアさんのもとには、本場の讃岐うどんを頬張る子どもたちの“おいしい”が伝わる写真が届いたという。
ルアさんは、お家で食べる「おいしいボックス」の意図をこう語る。
「コロナの間、都市部の人は家に引きこもらないといけない。地方では観光に来てくれる人を持っているところがある。だったら、東京に『おいしい』を届けよう、と」
「完全に仕上げるんじゃなくて、火を入れたり、スープを使ったり。今みんなひまで時間があるから、料理上手になった気分になれるもの(笑)。今回は90%(料理が)仕上がってるけど、次の段階では、地元の調味料とか野菜とかを入れて、50%くらいにしたいと思ってる」
瀬戸内の後も、季節に合わせて各地の「おいしいボックス」を展開していく予定だ。ルアさんは「旅行ができるようになったら、料理人とか生産者とか海を訪ねる旅をしてみてほしい」と話す。
おいしいボックスが並ぶ食卓
出張料理人を「やめよう」と思った日
ちなみに、ルアさんは出張料理人として、東京のイベントや地方各地で、パフォーマンスと料理を披露してきた。この動画を見てもらえばわかるが、“料理人”の枠を超えて、どうみても“アーティスト”である。
2月頃からイベントの中止/自粛が相次ぎ、ルアさんのスケジュールは、突如ぽっかりと空いた。
ただ、ルアさんは金銭的な理由で「おいしいボックス」を始めたわけではないという(ここ大事)。
Beforeコロナの時代において大事にされてきた、人と人をつなぐ「空間の共有」から、するりと脱却して、Withコロナの時代に新たに生まれた「時間の共有」へと価値転換を試みたのだ。
「アートや音楽でつなぐ人もいる。俺は『おいしい』で、人と人を、地域と人をつなぐ。いま足りないピースは、つなぐ人。つなぐ人がいないと、どっちも衰退していく」
「出張料理人として、いろんなところに行ってきた。地方の名産も、おいしい店も、夕陽がきれいな海も滝も知ってる。どことでもつながるハブになれる」
一体いつ出張料理人をやめようと思ったのか。ルアさんは「3月半ば」とふり返る。
「3月25日に小池都知事が会見して、飲食店の自粛を呼びかけて、金曜の夜にスーパーの棚が空っぽになった。生活環境が変わる人間の不安感。生き抜くために買い尽くす。同調圧力。震災直後とか、体験したことないけどまるで戦時中みたいやな、と。かなりまじで世界が変わるなと思った」
3月前半には、いろんな地域の生産者や料理人の苦境が聞こえてきた。
「でも、(いくら自粛といわれても)農業や畜産は止められない。料理人も彼らから買いたいと思っている」と、現場の心情を明かす。
ある生産者の売上は、前年同月比で10%、90%減になっていた。
「来る客が減っていても、食べる量は変わってない。届け方とか伝え方は変わるけど、みんなが断食してるわけじゃない。届ける方法はいろいろあるはず。いまどうお金を使うかは、めちゃくちゃ投票行為。絶対忘れないから」
「やろう」。そう思い立ったルアさんは、3月26、27日に瀬戸内へ。瀬戸内国際芸術祭の期間中に女木島のレストランで料理人をしていたこともあり、香川には縁があった。
こうして、気心が知れた料理人の仲間たちと、あっという間に「おいしいボックス」を形にした。
ルアさんに訪れた二度の転機
ここまで築き上げてきたブランドや肩書きを、なぜ軽やかに手放せるのだろう。そんな疑問が消えない。
するとルアさんは、「今の状況と重なる」と、二度訪れた人生の転機を教えてくれた。
一つ目は、阪神・淡路大震災。ルア少年は中学2年生だった。
当時住んでいた兵庫県の西宮は、震度7の揺れ。周囲の木造は全壊した。住んでいたマンションは無事だったが、水は戻らなかった。目の前に広がる深刻な被害。ルア少年は生き埋めで亡くなった人を掘り起こしたいう。
通っていた中学校は、市内で唯一死者が出なかった。しかし、学校や体育館は避難所になり、1月17日から授業は止まった。
「学校には避難した人たちがいたから、春まで授業がなかった。その間に、親の勝手な都合で大阪に引っ越して。隣の県とはいえ、大阪では(地震は)“対岸の火事”だった。転校したら全部(授業が)終わってた。初めて75点を取った」
「中2の終わり、受験を前に今まで積み重ねてきたものが全部なくなった。それまでは、バスケ部のキャプテン、風紀委員、上位の成績。なんのために積み重ねてきたんだ。なされるがまま。自分がコントロールできることはない。誰も担保してくれないって気づいた」
ルア少年は、夜遊びするようになった。いまなら親も考える余裕がなかったのだとわかる。けれど、少年の人生は大きく変わった。
東日本大震災のときに手放したもの
二つめの転機は、東日本大震災。
当時、ルアさんは東京・渋谷で自分のお店を切り盛りしていた。
被災地で炊き出しをしようと思ったが、自分にはお店がある。国産の食材を中心に扱っていたが、震災による原発事故の影響で、仕入れが難しくなった。しばらくして仕入れはできるようになっても、安全性を担保できない。
料理とお金の関係について実験したのは、この時期だ。
ルアさんは、メニューに値段をつけるのをやめ、飲食代を相手にお気持ち代で払ってもらう「ドネーション方式」に取り入れてみた。お店の入り口に壺を置き、帰り際に払ってもらう。誰がいくら払ったかはわからないようにした。
どうなったのか。実際、気持ちを乗せて払ってくれた人もいれば、少なめに払った人もいたという。結果として、人数あたりの金額は「いつもと変わらなかった」とルアさんは教えてくれた。
ただ、強く感じたのは、「箱物は弱い」という現実だった。
こうして2011年の夏、出張料理人ソウダルアが誕生した。
出張料理人として動きはじめると、東京で活動するアーティストや、地方の生産者や料理人、クリエイターたちとつながるようになった。
場にとらわれず、日本の各地へ。運転免許がなくても、いろんな人が手を差し伸べて助けてくれた。おいしい料理があれば、つながることができた。
新たな挑戦、「不安」はないのか
ルアさんの激動の歩みをふり返ると、二度の震災を経験し、積み重ねたことが失われ、その度に新たな道を切り拓いてきたことがわかる。
「不安」はなかったのだろうか。
するとルアさんは「子どもの頃から不安がない。不安が欠落して生まれてきた」と話した。
「何かあったときのリスクを考えるような、多数派の人と話が合わない。もし食中毒が出たら…? とか、リスクを考えたら始められない人もいるよね。それよりも、どう自分を飽きさせないかが大事。不安より惰性になる方が怖い」
むしろ「飽き」に恐れがあるようだ。
「料理も、その辺で売ってるもので作るのにはもう飽きている。食べたことない味、現地で手に入るもので作る。いつもより頭を使う。ジビエとかは個体や季節によって味が違う。めちゃくちゃ想像して、味と盛り付けが再現できたものをつくる。試作とかしない。実際、作ってるときは飽きてる(笑)」
家出や野宿、幼少期からの“修行時間“
とはいえ、ルアさんは無謀な挑戦をするわけではない。実はロジカルに計算したうえで、次の一手を打っている。
高校二年生で家出したときも、バイトしてお金を貯めて先輩の家に泊めてもらう目星をつけてから、「出てけ」と言われたときにカバンひとつで家出した。
先輩と喧嘩したときには、公園で野宿したそうだ。
「秋でいい季節だったからね。公園の水が飲めて、チョコチップスティックがあれば生活できた。先輩ホームレスがいて、段ボールもらった。金がなくても案外大丈夫だった」とルアさんは笑う。
母親の口癖は、「人間は考える葦である」。クリエイターの両親からの無茶ぶり(修行)を受けて育ったことも大きいのだろう。
「タイトルだけで決められて『文章書け』とか。ランドセルは買ってもらえなかった。制服とかは買ってもらえるけど、靴とかカバンとかダサいのは買ってもらえなかった。自分から望んでないのに修行してた(笑)」
コロナに到るまでに、災害や困難や修行を経て、並外れたサバイバル能力が身についていたようだ。でも、「大なり小なりみんな何かあったと思うよ。スルーしてたんだと思う」とルアさんはつぶやいた。
「オンラインレストラン」で見つめる次の世界
ルアさんは、「おいしいボックス」の次にある世界も見据えている。
世界中の食卓で同じ時間に、ルアさんのごはんを食べる「オンラインレストラン」も構想のひとつだ。
「オンラインで世界中がつながる面白い食卓が生まれるかもしれない。料理人が、大量の仕込みや在庫を抱えて、100人に料理を作る必要がなくなる。最後までやらなくても、片付けしなくても、食べられる。そこをデザインすれば、世界中に届けられる」
「シェフと客の関係じゃなくなる。例えば、俺のやり方を知るとフードロスが出ない。手間をかけるというより頭を使う。俺のように料理できるようになれば、俺から料理を買う必要もないし、学ぶこともないよね」
「オンラインレストランで、食のあり方は刷新される。どんな世界が来るかは楽しみ。週1でも、美味しいものが食べられたらいいよね。大手のチェーンやコンビニのマネーゲームによって乱れていた『食』が、いい感じに着地するんじゃないかな」
料理人の“ほんとうの仕事”
資本主義の現代では、「お金」がモノやヒトをつないできた。ルアさんは、お金についてどう捉えているのだろう。
すると、「お金はあんまり好きじゃない。ない方がいいと思ってる」という答えが返ってきた。
「お金は世界最大の宗教。でも本当は、9割くらいがお金以外の交換でできるんじゃないか。例えば、おいしい料理とかっこいいカバンを交換してもいい。その方が、コミュニケーションに密になる。“足りない”ことこそ、クリエイティブの原点。お金って便利すぎて最強すぎる」
「料理人って、世界最初の職業。最後になくなる職業なんだよね」
そういってルアさんは笑った。
「何か食べるものがあれば、おれに食料が集まってくる。『包丁と塩、持ってくるわ』って人がいたり、薪で火を起こす人がいたり。毎度、料理を作ると、結果みんなが手伝い出すんだよね」
食は、人を育み心を満たす。人と人をつなぐ原点だったのだろう。
「固有なスキルを、みんなが持てばいい。そしたら“集落”ができていく」とルアさんは語る。「空間」や「お金」を超えて、人と人がつながる、これからの“集落”が楽しみになってきた。
(食)ソウダルア
幼少の頃からの趣味である料理と寄り道がそのまま職であり、生き方に
日本中でその土地の食材のみを扱い、風土と歴史が交差する料理を和紙の上に表現する
“”わたしたちは自然の一部であり、自然もまた、わたしたちの一部である“”
フードインスタレーション映像
香川県 父母ケ浜
https://vimeo.com/275505848
奄美 徳之島
https://vimeo.com/329489892
〈経歴〉
2015 大地の芸術祭 うぶすなの家
2016 瀬戸内国際芸術祭 レストランイアラ 春夏秋会期
2017〜
長崎県壱岐島、京都祇園 ygion
山口県 道の駅 センザキッチン
岐阜 郡上、香川 父母ケ浜
福島県 泰山寺、奄美諸島 徳之島など
その土地の食材でフードインスタレーションを行う
フードカルチャー誌 RiCE.press クックパッド にて連載中
2020夏公開
フードロスドキュメンタリー映画「もったいないキッチン」出演
勢いでnoteをはじめて、続いています。今後も、これからの時代の体現者や各地の友人たちの声、あたらしいプロジェクトなどを自由に届けていきたいと思います。
(笹川ねこ @kaoris727)
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