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『多としての身体』を読む

『多としての身体』は、オランダの医療人類学者、アネマリー・モルが2002年に発表した本で、日本語にも翻訳されています。タイトルは詩的で難しそうですが、実際に読んでみるととてもかみ砕いて説明されていて、わりと読みやすい本です。彼女の提唱する理論が上段に、背景知識として知るべき内容が下段に説明されている特殊な書き方をしています。個人的には、上段に原文が、下段に解説が書かれている古典文学の本みたいだなと思いました。

今回は、この本について、どうして面白いのか?何が新しいのか?を中心に紹介していきます。

本の主な内容は、モルが動脈硬化にかかわる医師や研究者と関わる中で見聞きした実践をまとめたプラクソグラフィ(=実践誌。患者や医師の語りではなく実践に焦点を当てた記述)です。

彼女の研究は、それまでの社会科学研究の主流だった「病気」の認識論的研究、つまり一つの病気というものが患者や医師のそれぞれの視点からどのように見えているのかをしらべるスタイルを批判し、「病気」の存在論、つまり患者や医師のそれぞれにとって病気が存在しているととらえる考え方、に焦点を当てた点でユニークだと言われています。この理論は、医療人類学の研究のみならず、科学技術研究、フェミニズム研究、政治学にも応用されています。

ざっくりと彼女の主張をまとめると、こんな感じです
・一つの病気を多様な視点で「認識」するのではなく、患者、医師、検査機器などが協働して通院や診断や治療を「行う」ことで病気が存在する。
・病気や身体は場所や観察方法、観察者によって複数のバリエーションを持つが、同時に一つにまとまっている。互いに調整することで矛盾は起きないようになっている。

たぶん、私の説明が曖昧過ぎて、ここまでで何を言っているのか分からん…と思われるかもしれませんが、本文でさらに細かく説明していきます!

本文ではまず、背景的な知識として人類学の存在論的転回について簡単に紹介します。
そして、この本から学べる3つのポイントを紹介します。
①身体の多重性とはなにか?
②病院における二元論的枠組みを見直す
③「善」もまた多重的である

最後に、私なりの視点として、身体の時間の流れという側面からこの理論について考えてみようと思います。

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