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【食べたい、食べたくない】

 こんにゃちは🐈、猫月だんくるおすてうすです。
 子どもの、食べ物の好き嫌い、悩んでいる方はいらっしゃいますか。おそらく、なかなか子どもがご飯を食べてくれないと、あれこれ考えてらっしゃる方は多いのではないでしょうか。
 今回は、私が考える子どもの「食べたい、食べたくない」について記していきます。

○「食べる」のは誰?ー

 ”義務教育”でも勘違いされることなのですが、教育を受けさせる義務が大人にあるのであって、子どもに教育を受ける義務があるわけではありません。

 食事についても、同様のことが言えます。食事を提供する義務が大人にあるだけであって、子どもに摂食する義務はありません。簡単にいうと「好き嫌いをしないで食べなさい」と言える権限は、大人には無いのです。

 保育園が学校で、「給食を残さずに食べる」という風潮がいまだに残っているのは、時代錯誤と言うよりも、そもそもの権利と責任について、専門家であるはずの保育士や教員が学んでいないだけなのです。

○その食事は、誰の物かー

 上述の通り、大人に子どもに食事を提供する義務があります。裏を返すと、大人が責任を取れるのは食事の提供までなのです。

 何が言いたいかというと、「食べる」か「食べないか」の責任は、子ども自身にあるということです。(”いう”が多いね...💧)

 もちろん、粗悪な食事を用意して「責任を果たした」とは言えませんが、子どもの成長に必要な栄養価を揃えた食事を提供すれば、大人のできることは十分にやっているわけです。

 ここで間違えてはいけないのは、子どもが食べられるようにと、好物を提供することは、大人の責任ではないと言うことです。

 親の心境としては、できるだけ子どもには十分な食事量を取って欲しいと願うでしょう。それ自体は悪いことではありませんが、それに偏ってしまうと、やはり偏食を招きます。

 食べるか食べないかは、子ども自身の裁量に任せ、好き嫌いに拠らず献立を作ることが大事です。提供した食事を食べなかったとしたら、それはその子の責任です。

 食事だけではありませんが、子どもには自分の行動の責任を取る権利があります。好き嫌いをして空腹を訴えたとしても、それは食べなかった責任があるのです。

○何故、好き嫌いがあるのか―

 食べ物の好き嫌いは、一概に原因を特定できる物ではありません。

 家庭の食文化もありますし、個人の味覚・嗅覚・触覚の個性というのもあります。いくら”ゴルゴンゾーラチーズが美味しい”と言われても、あの匂いを受け付けないという人はいますよね。納豆が食べられない人もいますし、芋類は喉が渇くから嫌という人もいます。集合体恐怖症の人は魚卵や海ぶどうを見るのも嫌でしょうし、シラスの目に見られているような気がして食べられないという人もいます。

 話が逸れますが、子どもに何でも食べさせたい人は、ヴィーガンの方をどう思っているのでしょうかね?あれは、主義・思想だから良いのでしょうか。仮に、子どもが「ヴィーガンで生きたい」と言ったら、肉・魚を食べないことを許容するのでしょうか。

 食の好みを、当人以外が判断するというのは、あまりにおこがましいと思いませんか?

 本当に好き嫌いを無くしたいのであれば、極論「餓えさせる」ことです。実際、偏食の一つの原因は飽食にあります。何かを食べなくても、他の物で満たされてしまうからです。保育園の給食を食べなくても、家に帰ればおやつがある。好きな食べ物を提供してもらえる。好き嫌いをしても、困ることがないのです。

 でも、栄養価が偏るから、親としては心配になるわけですよね。

 それならば、まずは菓子類を買わないことです。おやつは、青果物やそれに類する物に置き換える。そもそも、お菓子を買うのは何故ですか?子どもは、食べたことの無い物は食べたがりませんよ。最初に与えた人がいるはずです。本当にお菓子を食べたい人は、誰ですか?

 意地の悪いことを言いました😄

 ただ、そういった環境面を整えずに、子どもにだけ「何でも食べなさい」というのは、フェアでしょうか。

○好き嫌いは、認める―

 以下は、あくまで私の考えです。参考にならないかも知れません。

 私が担任したクラスの子たちには、好き嫌いを認めるようにしています。

 ただし、約束がいくつかあります。

 ①食べたくない物は自分から申し出ること。

 ②箸を付ける前に自分で量加減をすること。

 ③食べず嫌いはしないこと。

 食事は子どもの物なので、大人が勝手に量加減することはできません。あくまで、その権限はその子自身にしかありません。ですから、申告してもらわないと、手を貸せないのです。

 そして、自分で食べられる量を見極めてもらいます。半分なら食べられるのか、一口で限界なのか。自分を知ってもらうためにも、自分で加減してもらいます(もちろん、求めに応じて手伝いはしますよ)。

 もう一つ大事なのは、知らないままにしないこと。匂いは、食感は、舌触りは、歯応えは、温度は、風味は、後味は、のど越しは。それらを知った上で「これは苦手だ」という物を、食べてもらおうと思いません。

 大丈夫、今は食べられなくても、成長したら食べられるようになるよ。

 この一言も添えた上で、子どもの好き嫌いは受容します。

 就学前の子どもに、わさびの付いた寿司を食べさせようとしますか?しませんよね。わさびだろうと、茄子だろうと、今は食べられないだけ。その”今は”がいつまでかは分かりませんが、「いつかは食べられる」と信じることが、まず必要です。自分を信じてくれない大人の期待に、応えようなんて思うわけがないですから。

 あくまで私の経験ですが、好き嫌いを受容し、食事環境が心地良い物になると、苦手な物にもチャレンジし始めます。そもそも、子どもは好奇心と成長意欲の塊ですから、現状に治まり続けるのは、本能に反することなのです。

 その本能を封じ込めるくらい、大人が「好き嫌いはいけないこと」という圧力さえ掛けなければ、ね。食事環境が不快だったら、意欲なんて発揮しようが無いです。生存本能からしたら、まずその場を避けることが優先ですから、食事そのものを忌避するでしょう。

 子どもの好き嫌い、根深いです。でも、解決の糸口は必ずあります。

 そのためには、大人が為すべき事を為し、あとは子どもを信じることが、解決の近道だと思います。

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