秒速・言の葉・君の名は。の連作性—追いかけて、追いついて。

秒速・言の葉・君の名は。の連作性についてなんですけど、僕個人としては、男女の関係性に着目してみるとわかりやすいのかなと思います。

秒速は、男性が女性を追いかけていた作品のように思われます。それは恋慕の情という点よりかは、精神的な余裕だとか、どれだけ先を見据えているかだとか、どれだけ過去を振り切れないでいるかという点でのことです。男性主人公は、ヒロインを常に追いかけている。エピソード1の、電車が遅れて遅れて女性の待つところになかなか到着しない描写などはその極地にも思えます。もちろんあのシーンでは女性が待っていてくれたので、一時的には彼は彼女に追いつき、時を共有したと言えるかもしれません。しかし全体としては、彼が彼女(の影)を追いかけ続け、やがて最後にもう追いつけないんだと悟ったという話のように思います。そして、もう追いつけないんだと悟った段階で逆説的に彼は彼女に追いついたのかもしれません(踏切を挟んで二人が逆方向に歩いて言って物語が終わるシーン。あれは二人の対称性、すなわち対等性を示しているようにも思われます。しかしやはり彼は彼女に追いつけなかったとも思います(最後に彼は彼女の方を振り返らずにはいられなかった。そしてその時もう彼女の姿はなかった))。

画像1

言の葉も、男性が女性を追いかける作品です。その構図は秒速よりもより一層はっきりとした設定に現れています。教師と生徒という関係性がこれを裏付けているように思えます。しかしこの物語では明確に、男性主人公は女性主人公に「追いつき」ます。それどころか、少しだけ追いつ追われつの様相さえ呈します。象徴的なのはやはりラストシーンです。部屋に残された女性は最後、男性を追いかけ、階段で追いつきます(ここでもし女性が男性を追いかけなければ、むしろ女性に男性が追いつけなかった物語となっていたかもしれません。女性が追いかけたからこそ、男性は「追いつかれる」存在となったと言えます)。しかしその後の「本当の」ラストシーンでは、遠くに赴任した女性を男性主人公がいつか訪れようという趣旨の説明があります。ここではまた女性を追いかける存在として男性が描かれているかもしれません。しかし全体としては、これはやはり彼が彼女に追いついた物語と見るべきでしょう。

画像2

そして最後の君の名は。ですが、これは逆に女性が男性を追いかける物語です。全体を通して、本当は三葉の方が年上なのに、瀧の方が大人びている印象を受けます(そこに都会と田舎という極めて重要なテーマも絡んでくるのですがここでは割愛します)。
そして実際に、三葉は瀧の影を追い求めます。先に瀧を追って東京にまで来たのも、瀧の身体で先輩との(擬似)恋愛的な関係にまで至っているというのも、どこかに「瀧くんはどんな男の子なのだろう」という心理作用があるように思われます。これはもちろん瀧にも言えますが、やはり三葉の方がこの要素は強いように思われます。

物語終盤、たしかに瀧が三葉を「追いかけ」ます。しかし他の二作品と異なり、走っている三葉を追っているのではありません。三葉は彼を待っているのです。三作品において際立って受動的なこの女性のあり方は、実際には彼女が彼を追いかけていることの示唆のように思われます。

ラストシーン、描写としては瀧が三葉に声をかけ、ここで「追いついた」ような形が見て取れます。しかし実際には、瀧の主導性によって、彼女たちの未来が前進したとみるべきで、先導しているのは瀧です。そして三葉は受動的な形で、彼に追いつくことができたのです。

画像3


まとめると、
秒速:男が女を追いかける:追いつかず
言の葉:男が女を追いかける:追いつく
君の名は。:女が男を追いかける:追いつく
と見れると思います。このうち、君の名は。だけ二段階(女が男を追いかけるも追いつかない・追いつく)をまとめてしまっているように見えますが、その通りだと思います。実際に、新海監督は当初バッドエンド(追いつかない)を想定していましたが、作っている間に、こんなに(三葉と瀧が)頑張ったご褒美として、二人を再会させたんだと後に語っています。

新海監督は君の名は。に、女が男を追う物語二編をまとめたと言って良いでしょう。つまり、本当はこの後にもう一作作られても良かったのです。

それはともかく、実際は君の名は。は「まとめられた」作品となり、ここに連作は終結しました。それを示すものとして、タイトルの句点があります。新海監督自身も、この句点は、今までの区切りだと言っています。君の名は「。」で、この連作は終結したのです。

※以上に述べたのはやや男性からの目線の考察です、監督が男性ということもありある程度妥当だとは思いますが、それにもましてぼくが男だからという要素が大きいかもしれません

※君の名は。は、女が男を追いかけたが追いつかなかったというストーリーも包含しています。それは三葉が瀧を東京で見つけた際に、(当時中学生の)瀧にわかってもらえなかったという描写に現れています。また、追いつけなかった物語と、追いつけた物語が一作品の中に両方盛り込まれているからこそ、多くの観客を納得させ惹きつけた、もっと軽く言えば「スカッとさせた」のかもしれません。

※秒速の「明るさ」
上でも述べましたが、秒速では、男性が女性に「追いつけなかった」ことをはっきりと受け止めたことで、結果的に彼は彼女に「追いつけた」のかもな、と思えるので、そう思うとラストシーンは悲劇的な喜劇と見れるような気がするのです。また、追いつくという観点だけでなく、あのラストシーンの「別れ」によって過去から解き放たれた彼の新しい人生が始まるのだろうなと思えるので、そこも「明るさ」を感じる点の1つですね。


サポートをいただいた際には書籍の購入費に充てさせていただきます。ありがとうございます。