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瞑想が退屈で辛い時、どうしたらよいか

前回、基本的な瞑想のやり方として、呼吸に集中する瞑想法を解説した。

この記事の中では、まず一回5分程度から始めることを推奨しているが、これには理由がある。
一般に、瞑想というと30分~1時間くらいかけておこなうことが多いのだが、初心者がいきなりそんなに長い時間おこなうのはたいへん難しいからだ。

初心者からすると、たった5分でもかなり長く感じるだろう。
それくらい、人によっては瞑想の実践を辛く感じる場合があるのだ

今回の記事では、「なぜ瞑想している時間が長く感じられるのか?」について書いてみる。
「瞑想を始めてみたけど、辛くて続けられそうにない」という人は参考にしてみてほしい。
(なお、今回の記事は4500文字ほどある)


◎刺激に慣れている人ほど瞑想は苦痛に感じる

「瞑想中に時間がなかなか経たなくて、続けるのが苦痛だ」という感覚は、かなり多くの人が感じるものだろうと思う。
そもそも、瞑想をしている間、実践者は呼吸にひたすら意識を向け続けることになるのだが、これは非常に退屈な作業だ。
何の刺激もなく、これといって手応えのようなものもない。
だから、人によってはその「何でもなさ」に対してアレルギー反応を起こすことがあるのだ。

特に強いアレルギー反応を起こすのは、「暇な時間」が耐えられない人だ。
たとえば、私は週末によくラーメン屋に行くのだが、店に入って席に着くと、ラーメンが来るまでみんなスマホをいじっている。
むしろ、スマホをいじっていない人を見つけるほうが難しいくらいだ。

ラーメンが来るまでの時間なんて、5分か長くても10分くらいのものなのだが、多くの人はその程度の時間さえ「何もしないで待つ」ということができない。
ほとんどの人が「空白の時間」に耐えられないのだ。

たとえば、ほんのわずかな時間であっても暇になるとついスマホに手が伸びてしまう人とか、家ではテレビをずっとつけていないと落ち着かない人などは、受動的な娯楽に依存しており、「空白」に対する耐性がない。
こういった人々は常に刺激を求めており、見るものや聞くものがなくなると急に落ち着かなくなってしまうのだ。

瞑想中に初心者が感じる不快さは、こういったために生じる。
つまり、普段の生活で「空白」を避けるようにしてきた結果、瞑想中にその「空白」と直面することで、瞑想から逃げ出したくなってしまうわけだ。

私たちはみんな、多かれ少なかれ刺激中毒になっている。
スマホやテレビの刺激に慣れ切っている人もいるだろうし、仕事に取りつかれている人もいるかもしれない。
とにかく、外から刺激が入ってくるのが当たり前になっている人が多いわけだ。

だが、瞑想中というのは基本的に「超低刺激環境」だ。
美麗な映像が目の前に展開するわけでもないし、心躍るような音楽が流れてくるわけでもない。
仕事中のように慌ただしく何かをするわけでもなく、ただ呼吸を観察するだけ。
いつもの生活に比べたら、退屈極まりない時間だ。

だから、「高刺激環境」に慣れ切っている人ほど、瞑想中の「低刺激環境」に耐えられなくなる。
時間がなかなか経たないように感じ、すぐにでも瞑想をやめて何かをしたくなるだろう。
だがそれは、その人が「強い刺激」に慣れ過ぎているからなのだ。

これは、瞑想を続けていくうえでの「最初のハードル」となる。
少なくはない人たちが、この段階で瞑想に耐えられなくなってやめていく。

だが、それも仕方のないことだ。
なぜなら、今の世の中は退屈を誤魔化すための「刺激」でいっぱいだし、私たちはそれらに頼ることに対してすっかり慣れっこになってしまっているからだ。

◎「最初のハードル」を越える方法三選

このように、瞑想を始めたての頃は、とにかく実践が辛く感じやすいものだが、この「最初のハードル」を越える方法はいくつかある。
たとえば、以下の3つだ。

  • 瞑想する理由を明確にして、とにかく耐える

  • 瞑想をする時間を、耐えられる範囲まで短くする

  • 呼吸法や歩行瞑想から始める

では、一つずつ検討してみよう。


・瞑想する理由を明確にして、とにかく耐える

まず、「とにかく耐える」という方法だが、これは別に根性論ではない。
「何でもいいからとにかく耐えろ」というわけではなく、耐える際の条件があるのだ。

その条件とは、「自分が瞑想をおこなう理由を明確にする」ということだ。
つまり、「自分は何のために瞑想をするのか?」という問いにきちんと答えられるかどうかが大事なのだ。

これは瞑想に限った話でもないが、私たちは「無意味な努力」というものを長く続けることができない。
人間というのは、何の目的意識もなく、目指すべき場所もないまま、ただ努力しようと思っても続かないものなのだ。

忍耐と我慢は似ているようで全く違う。

忍耐は、求めるものがあり、目指すべき場所がある際にするものだ。
少しずつでも前に進み、次第に成長することでいつかは「目的地」に辿り着けると信じておこなうのが忍耐だ。

それに対して、我慢はただ現状に耐えるためだけにおこなう。
我慢することによってどこかに辿り着けるわけでも、何かが得られるわけでもない。
それは不毛な努力であり、人をどこまでも消耗させるだろう。

忍耐だったら人は努力を続けられるが、我慢は長続きしない。
もしも我慢を長く続けたら、おそかれはやかれ心身が壊れてしまうだろう。

同じように、瞑想を始めたばかりの頃に「続けるのが辛い」と感じることがあったなら、今自分がしているのが果たして忍耐なのか我慢なのかを自問してみることだ。
もしも瞑想をする理由が明確にあり、目指すべき場所が定まっているならば、「きっとこれは一時的なことだ」と思って耐えられるだろう。
だが、なんとなくの好奇心から瞑想を始めただけなのであれば、我慢が続かずやめてしまうのではないかと思う。

とはいえ、私は別に好奇心でなんとなく瞑想を始めるのが悪いと言うつもりはない。
実を言えば私だって好奇心から瞑想を始めたし、明確な目的意識を持って「瞑想をしよう」と決意する人のほうが少ないだろうと思う。

だから、もしもあなたが瞑想をする明確な理由や目的を持っていないとしたら、無理して耐えないほうが良い。
我慢は身体によくないので、次に紹介する方法を試してみることを勧める。

・瞑想をする時間を、耐えられる範囲まで短くする

次の方法は、「瞑想をする時間自体を短くする」というものだ。

私は前回の記事で、「最初は一回5分から始めよう」と書いた。
それは、いきなり30分とか1時間のような長時間実践するのは、初心者には難しいだろうと思ったからだ。

だが、人によってはその5分すら耐えられないと感じるかもしれない。
であれば、さらに時間を短くすることだ。

5分が無理なのであれば3分にし、3分も無理であれば1分でもいい。
さすがに1分だけであれば、「できるかも」と思えてはこないだろうか?

先ほども上で書いたように、瞑想中は「低刺激環境」だ。
これにはもう慣れるしかない。
というか、「低刺激環境」に自我を慣らすのが瞑想だと言ってもいいくらいのものだ。

そして、この「低刺激環境への慣れ」は繰り返し瞑想をすることで進行していく。
実際、瞑想を続けていけば、徐々にではあるが、退屈を辛いとは感じなくなっていくのがわかるだろう。
そして、そのためにはとにかく瞑想を繰り返すしか方法はないのだ。

だから、とにかく一回1分でもいいので、瞑想の実践を積み重ねよう。
それによって、瞑想中の「刺激のなさ」にも徐々に慣れていくはずだ。

ただし、もしも一回に1分しかしないのであれば、回数は多くしたほうが良いだろう。
1分の瞑想を一日に一度しかしないとしたら、いくらなんでも実践時間が少なすぎるからだ。

一回1分であれば気軽におこなえると思うので、その分、実践回数は多めにしよう。
ちょっとした隙間時間や暇なときなどを見つけるたびに、何度も「1分瞑想」を実践して、「低刺激環境への慣れ」を積み重ねていくことだ。

そうして1分に慣れてきたら2分に伸ばし、2分も慣れてきたら3分に伸ばす。
そうしてそのまま続けていき、一回に5分もできるようになるころには、隙間時間にちょっとだけ実践するのではなく、瞑想のためだけの時間を作ることにも抵抗がなくなっていることだろう。

とにかく、時間が長いと感じるなら短くすること。
その代わり、回数は多めに実践することが肝要だ。

・呼吸法や歩行瞑想から始める

時間を短くするのとはまた別なアプローチとして、「刺激の量を増やす」という方法もある。
要は、坐って呼吸を観察するだけだと退屈だから、「やること」を増やすわけだ。

たとえば、いきなり瞑想法から始めずに、まずは呼吸法から入るというのも有効だと思う。

呼吸法は、瞑想法に比べて「やること」が多いので、退屈しにくい。
それでいて、意識を何らかの対象に集中するという点は似ているので、瞑想法の入門にちょうどよいのだ。
詳しくは下の記事に書いたので、興味のある人は読んでみてほしい。

また、坐っての瞑想が落ち着かない人は、歩行瞑想を試してみてもいい。
歩行瞑想は、その名の通り歩きながらおこなう瞑想だが、瞑想中に身体を動かすのでジッとしているのが苦手な人でも実践しやすい。

詳しいやり方を下の記事で解説したので、興味のある人は読んでみてほしい。

◎まとめ

最後に、この記事の内容をまとめておく。

瞑想を始めたての頃は、瞑想中に落ち着かなく感じることが多い。
それは、日常生活の中で刺激を受けることに慣れているからだ。

瞑想中は坐って目を閉じ呼吸を観察するだけなので、「極めて低刺激な環境」となっている。
これに慣れないうちは、瞑想が苦痛に感じやすい。

だが、この時期を乗り切る方法はいくつかある。

一つ目は、「瞑想をする理由を明確にして耐える」というものだ。
求めるものや目指す場所に対して自覚的になって、それに向かって忍耐するわけだ。
理由がないままただ我慢しても続かないので、まずは「なぜ自分は辛い想いをしてまで瞑想をするのだろうか?」と自問することだ。
その答えが明確にあるならば、きっと乗り越えることができるだろう。

二つ目は、「瞑想する時間を短くする」というものだ。
瞑想が辛いなら時間を短くしてしまえばいいというわけだ。
一回の時間を短くして、その分、やる回数を多くすることでバランスを取る。
時間については、慣れてきてから徐々に伸ばしていったらいいだろう。

三つ目は、「呼吸法や歩行瞑想から始める」だ。
呼吸法では積極的にイメージを働かせて集中したりするし、瞑想法に比べてやることも多いので退屈しにくい。
また、歩行瞑想は実践中に身体を動かすので、ジッとしていられない人にはオススメの瞑想法だ。
まずはこれらで心身を慣らして、それから坐っての瞑想に入ってもいいだろうと思う。

いかがだっただろうか?
瞑想初期はとかく実践が辛く感じやすいものだ。
だが、その状態はいつまでもは続かない。
実践を続けていけば、徐々に退屈を辛いとは感じなくなっていくはずだ。

そこまで行けば、また新しい世界が開けてくるので、初心者の人には頑張って実践を続けてみてほしいと思う。