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自傷行為は「生きたい」という命の叫び

あなたは自傷行為の経験はあるだろうか?
私はリストカットはしたことがないが、過量服薬(オーバードーズ)を三回したことがある。
精神科で処方された薬を一気飲みしたのだ。

私はそのまま昏倒してしまい、精神科の閉鎖病棟に強制入院になった。
そして、保護室という独房のような部屋に入れられ、自殺につながるようなことができないように、ベッドにベルトで縛り付けられて過ごしたのだ。

だが、その時の私は別に死にたかったわけではなかった。
では、「何を考えていたのか?」という話になるが、今回はそれについて書いてみたい。
「自傷行為がなかなかやめられない」という人や、「知り合いに自傷行為をする人がいるんだけれど、何を考えているか理解できない」という人は参考になる部分もあるかもしれない。

では、いってみよう。
(なお、今回の記事は5000文字近くあり、やや長文だ)


◎自傷行為は「生きたい」という命の叫び

先に結論を言ってしまうが、自傷行為は「死ぬための行為」ではなく、むしろ「生きたい」という叫びだ。
普通に考えると、「自傷行為をする人は、死にたいから自傷するんだろう」と思えるかもしれないが、必ずしもそうではない。
むしろ、多くの場合、本人の中で自傷は「生きるための術」になっているのだ。

ここに児童の自傷行為に関する統計データがある。
このデータによると、自傷行為をする理由として一番多いのは、「不快感情への対処(55%)」であり、「自殺企図(死のうとして)」は全体の18%だったそうだ。

つまり、自傷行為をする子どものうち、本当に死のうと思ってそれをしているのは、5人に1人くらいなわけだ。
そして、全体の半数以上は、不快な感情をどうにかしたくて、つまりは辛さを解消したくて自傷行為をしているということがわかるのだ。

◎ストレスを感じると、「内的なエネルギー」が出口を求める

自傷行為をしたことがない人は、どうして自傷が辛さの解消になるのかわからないかもしれない。

しかし、そういう人でも、上司や教師に理不尽に怒られた時なんかに、むしゃくしゃして暴れたり叫んだりしたくなった経験はあるはずだ。
どうして暴れたり叫んだりしたくなるのかというと、それをすると自分の感じている辛さが解消できるように思えるからだろう。

そもそも、何らかの理由で心身に強いストレスがかかると、私たちの中ではそのストレスに対抗しようするエネルギーが発生する。
理不尽に怒られた時に暴れたり叫んだりしたくなるのは、そういった「内的なエネルギー」が出口を求めて「何とかしろ!」と訴えているからなのだ。

そういう時、実際に暴れたり叫んだりできるのであればストレスは解消されるだろうが、現実問題、何か嫌なことがあるたびに暴れたり叫んだりしていては社会生活を営むことができないだろう。
なので、多くの人は友人に愚痴を聞いてもらったり、困ったら誰かに相談したりしながらストレスをやり過ごしているわけだ。

◎「内的なエネルギー」が出口を見つけられない人は自傷をする

だが、もしも子どもの頃、辛くても愚痴を言える友人がいなかったり、相談できる大人がいなかったりすると、その子は辛さを内に抱え込まなければならなくなるだろう。
さらに親が子どもに無関心で、辛さを訴えても聞いてもらえなかったり、さらには「甘えたことを言うな!」と高圧的に説教してきたりする場合などには、その子はどんどん追い詰められていく。

また、子どもの頃に「我慢して頑張ること」や「弱音を吐かずやりとげること」を親から教え込まれていた場合には、大人になって親から独立した後も、その価値観を維持していく。
そういう人は、たとえ理不尽な目に遭って苦しんでも、「こんな程度で弱音を吐いてはいけない」「逃げたりせずに立ち向かわねば」と考えて、自分で自分を縛るようになっていくのだ。

そんな風に生きることが辛い人たちの中には、ストレスが極限まで高まった結果、自傷行為をする人もいる。
ストレスによって高まった「内的なエネルギー」が出口を見つけられずに暴発してしまうようなイメージだ。

私も経験があるからわかるのだが、自分の身体を破壊しようとする時というのは、「とにかくこの苦しみをなくしたい」という一心である場合が多いものだ。
それは、心的な反応パターンとして見れば、怒られて衝動的に暴れたり叫んだりしたくなるのと何ら変わらない。
ただ、エネルギーが「外側に発散する方向」に向かうか、「自分を傷つける方向」に向かうかという違いがあるだけなのだ。

◎「悲しくて唇を噛む」は自傷か?

水谷緑さんの『精神科ナースになったわけ』という漫画の中に、こんな話が出てくる。

主人公(精神科ナース)が、リストカットを繰り返す患者とかかわる中で、「自分も似たことをしていたかも…」と過去の自身の体験を思い出す。
主人公は、過去に母親が他界してからしばらくの間、無意識に唇を噛む癖があったと言う。
血が出て腫れるほど強く噛んでいたらしい。

主人公は当時まだナースになっておらず、OLとして働いていたのだが、時折、仕事中に母を失った悲しみが急に込み上げてきて、泣きそうになることがあった。
だが、「会社で泣くわけにはいかない!」と思い、なんとかして涙を抑えるために、痛くて血が出るほど強く唇を噛み締めていたのだ。

不思議なことに、唇を噛み締めると涙は引っ込み、感情的にも落ち着いた。
当時の主人公にとって唇を嚙むのは、仕事中に涙を引っ込めるための手段であったわけだが、同時に、「痛いけど少し気持ちよかった」とも振り返っている。

◎自傷行為は身体に悪いが「スッキリ感」がある

リストカットまではいかなくても、そんな風に自分の身体を傷つけてストレスをやり過ごしている人も世の中にはいるはずだ。

たとえば、ストレス発散のために暴飲暴食するのも、身体には良くないので、一種の自己破壊的行為、つまりは自傷行為のようなものだと言えるだろう。
ストレスから暴飲暴食すると、後でだいたい罪悪感や自己嫌悪の感情を抱くものだが、暴飲暴食しているその時にはけっこう気持ちよかったりするものだ。
ストレスを発散しているわけだから、一時的には、鬱屈していた気分が晴れるようにも感じられるだろう。

そう、自傷行為というのは「身体には悪いけれど、ちょっぴり気持ちいいもの」なのだ。
「心に溜まった何か」が発散され、スッキリする感覚がそこにはある。

そして、この「スッキリ感」は、誰かに愚痴を言ったり相談したりするくらいでは味わえないほど爽快感のあるものだ。
しかも、愚痴や相談の場合と違って、他人のいるところまで行く必要もない。
自傷行為は、自分一人で手軽に実行でき、やれば確実に「スッキリ感」を得ることができるのだ。

だからこそ、人生が辛く苦しく、ストレスが耐えられないものであればあるほど、その人は自傷行為に依存しやすくなる。
それは「強く確かな爽快感」をもたらしてくれる上に、相手を必要とせず自分だけでおこなえるからだ。

◎人は「辛い人生」を生き延びるために自傷する

このように考えると、「死にたい人が自傷行為をするわけではない」ということも見えてくる。
自傷行為というのは、「死にたい人」がするのではなく、「辛くて仕方ない人」がその辛さを何とかするためにやむを得ずにするものなのだ。

ところで、「辛くて仕方のない人」がその辛さを解消したいと思うのはなぜだろうか?

その答えは簡単だ。
それは、「できることなら幸せに生きていきたいから」だ。

誰だって辛い人生は嫌だ。
苦痛にまみれた人生よりも、少しでも幸せな人生のほうがいいだろう。

だが、人生が思うようにならない時、人は自傷行為に手を出すことがある。
なぜなら、辛くて辛くて仕方ない時に、自傷行為をすれば、その辛さを一時的には忘れられるからだ。

そういう意味では、自傷行為をする人というのは、「死のうとしている」というよりも、「辛い人生を何とかして生き延びようとしている」とさえ言えるだろう。
自傷行為は、それをしている当人にとって「生き延びるための術」であって、「少しでも苦痛を和らげるための手段」なのだ。

◎自傷行為は危険だが、「禁止」は逆効果

ここまで、「自傷行為は必ずしも死ぬためにおこなわれるものではない」ということを述べてきた。
だが、そうは言っても、自傷行為を続けていると、「死」は身近なものになっていく。
自分の身体を傷つけることを繰り返すことで、「死」について考えることが増え、徐々に「本当に死んでしまおうか」と考えるようになる危険性もなくはない。
また、「実際には死ぬつもりはなかったのに、リストカットで深く切りすぎて本当に失血死してしまった」という例も多くある。

だから、自傷行為を全面的に肯定するわけにはもちろんいかない。
「君が生き延びるために必要なんだから遠慮せずどんどんやりたまえ」とは言えないわけだ。

だが、頭ごなしに「やってはいけない」と言って禁止すると、かえって自傷行為が激しくなってしまう。
なぜなら、当人にとっては自傷行為こそが「延命手段」であり、人生の中でほとんど唯一の「スッキリ感」を得られる方法だからだ。
「それを手放せ」と言われると、ますますストレスが溜まってしまって、余計に自傷行為をしたくなってしまうのだ。

◎自傷行為をしないための方法

「では、どうするか?」なのだが、臨床的には「別の行為で置き換える」ということをよくするようだ。
たとえば、自傷行為をしたくなったら、代わりに紙をびりびりに破くとか、氷を強く握りしめるなどしてみてもらう。

もちろん、自傷行為ほどの「スッキリ感」はないかもしれない。
でも、自分の身体を傷つけることなく、「自傷したい!」という衝動を抑える効果は、少なからずあるだろう。

また、もし自傷行為をしていることを誰にも言えずに抱え込んでしまうと、余計に辛くなる結果を招く。
だが、誰かに言うと「そんなことしてはいけない!」と強く否定されたり、「自傷行為なんてするのは弱い人間だけだ!」と説教をされそうで、怖くて言えない人も多いだろう。

そういう人は、できれば精神科や心療内科で専門家に相談することをオススメする。
なぜなら、専門家は今回の記事で私が書いたような事情をよく知っているはずなので、頭ごなしに「やってはいけない」と否定はせず、きちんとこちらの話を聞いたうえで、どうしたらいいかを教えてくれるはずだからだ。

もちろん、話すだけでは簡単に自傷行為をやめられないかもしれない。
だが、とにかく話を聞いてもらうことで、「自分を否定しないでいてくれる人がここにいた」と思えれば、それだけでも心は軽くなるだろう。

◎まとめ

最後に、この記事の内容をまとめて終わろう。

まず、自傷行為は「死にたいサイン」ではなく、むしろ「生きようとする叫び」だということ。
死ぬつもりで自傷行為をする人は少数派で、過半数の自傷行為経験者は、不快な感情に対処しようとして自傷行為をしているのだ。

だから、辛く苦しい人生を送っている人ほど、自傷行為に依存するリスクは高い。
それは、自傷行為が辛さや苦しさを一時的に忘れさせてくれるからだ。

辛さや苦しさを忘れ、少しでも幸せに生きたいがために、人は自傷行為をおこなう。
それは当人にとって「生き延びるための緊急手段」であり、「心を楽にさせるための安定剤」なのだ。

しかし、だからと言って自傷行為を放置するのは危険だ。
自傷行為を繰り返すうちに「死」について考えることが増え、本当に「死にたい」と考えるようになる可能性もあるし、実際は自傷行為で死ぬつもりはなかったのに、何かの間違いで死んでしまうこともあるからだ。

そうならないよう、「自傷行為を別な行為で置き換えてやり過ごす」ということを練習する必要が出てくるかもしれない。
「自傷行為をしたい!」という衝動を抑えるために、紙をびりびりに破いたり、氷を強く握りしめたりしてみるわけだ。

それでも自傷行為がやめられないなら、専門家に相談しよう。
特に、自傷行為をしていることを誰にも話さず抱え込むのは非常に危険だ。
精神科や心療内科で専門家に相談し、どうしたらいいか聞いてみるのが良いと思う。

今回の記事は、以上だ。
自傷行為で悩んでいる人は参考にしてみてほしい。