WEBエンジニアの隙あらば自分語り
立志編
僕がエンジニアになったのは2018年の年末のこと。
新卒で小売業界に入って、3年経った頃。
その当時は、WEBエンジニアとしての技術力なんてものは何一つ持っていなかった。
HTML、CSS、Javascriptは少し触ったことがあるっていうレベル。
WEBサイトなんて作れるレベルでは全然なかった。
なんでそんな人間がエンジニアに転職するなんてことを考えたかというと、これはよく聞く話で、就職してしばらく経ったときに、ふとこのままの人生でいいのだろうかと思ったから。
今の職場で30歳、40歳まで居続けてもあまりいい人生にはならないだろうなと。
(小売業だったので、心身ともに参っていたところに、理不尽なクレームを受けて、それが転職を思い切るダメ押しの一手になった)
大学生の頃、少しだけHTMLとかCSSとかで遊んでて、「楽しいなー」とは思ってたけど、これを仕事にしようなんて就活のときはこれっぽっちも考えてなかったし、無意識で自分には無理だと思ってた。
けど、転職を考えたときに、一番に思いついたのがエンジニアだった。
やっぱり、どこか諦めきれないというか、憧れみたいなのがあって。
一度きりの人生だからやりたいことはやってしまおうということで、エンジニアになることに決めた。
(という、エンジニアに限らず、世間一般の転職の際によく聞く話)
エンジニアになると決めたはいいものの、貯金はないし、技術力もないし、どうしようか。
普通なら、東京や大阪の大都市で仕事見つけて引っ越したり、プログラミングスクールに通って最低限の知識を学ぶべきだったんだろうけど。
引っ越すお金もプログラミングスクールに通うお金もないし、当時付き合ってた彼女(現在は妻)を置いて、一人で都会に行くなんて身勝手なこともできないしで、八方塞がりみたいな感じだった。
(普通はもう少しお金貯めたり、考えたりしてから仕事辞めるべきだけど、あのときは逃げないと、自分の中の何かが壊れると思った)
ということで、結論実家から通える範囲の職場を見つけるということになった。
しかし、地元はかなり田舎で、車で20分くらい走らないとスーパーやコンビニはないし、電車も1時間半に1本くらいだし、バスは一日2本。
こんなところにWEB関係の会社なんて、そうそうあるわけがなく、通勤できる範囲だと、2社だけだった。
片方は車で30分、もう片方は車で1時間半。
そりゃあ、どう考えても30分の方選ぶよね。
さっそく応募といきたいところだったけど、その前に2ヶ月だけ独学で勉強してからにしようと思い立つ。
仕事辞めたのが10月で、2ヶ月勉強して、年内に内定取る計画を立てた。
その当時はフロントエンド希望だったので、HTML、CSS、Javascriptの初心者用の本を買ってきて、ひたすら進めた。
途中、イラレ・フォトショの勉強もしたけど、これは必要なかった。
本以外にも、プロゲートも2ヶ月だけ課金して、出ているコースは全部2回くらいは通してやったと思う。
で、面接。
面接は2回あって、1次がマネージャーと、最終が社長との面接だった。
マネージャーとの面談は、志望動機ややってみたい仕事、今勉強していること、フロントエンドは募集ないから、バックエンドはどう?みたいな話もされた。
フロントエンドの勉強しかしてなかったから、急にバックエンドの話をされて、少しあたふたした。
興味自体はそこまでなかったけど、なんかその場では「興味あります。やってみたいです!」みたいな受け答えをしてしまった。
(この判断が最終的に良い方向へ行く第一歩だったと振り返ってみて思った)
最終面接の社長との面談は、田舎のワンマン社長にありがちな「やる気あるみたいだし、頑張るなら採用するよ!」みたいな感じで、5分も掛からず終わった。
まぁ採用といっても、時給900円のアルバイトでの採用だったけども…
(当然会社側からしたら、未経験の中途を雇うわけだから、リスクを避けるのは当たり前の話)
そして、晴れてバックエンドエンジニアとしてのキャリアを歩み始めたのであった。
下積み編
会社の事業としては、WEB制作5割、受託開発3割、自社アプリ開発2割。
開発部署はマネージャー1人、プログラマーは僕を含めて2人だけ。
デザイナー・コーダー部署は、10人くらい。(志望はこちらの部署だった)
僕の業務としては、受託開発の要件定義、基本・詳細設計、実装、テストまで一通りやらせてもらえていた。(アルバイトの頃から)
1人で複数案件を同時並行で進める感じで、常に激務だった。
その他に、WEB制作で使う用のVPSの環境構築したり、GCPでサーバー建てたり、インフラ面も担当していた。
入社して半年間は、仕事に慣れるので精一杯だった。
プログラミングへたくそだし、知らないことだらけで、何をどう調べたらいいか分からないし。
結構ストレスが掛かってたと思うけど、辞めたいとは1ミリも思わなかった。
むしろ、理解が進んでいくことで、仕事がどんどん楽しくなっていった時期だった。
早く一人前になりたくて、仕事が終わってからも、休日もずっとプログラミングの勉強をして過ごした。
半年経った頃、社長に呼ばれて、契約社員の話をもらって契約した。
(正社員じゃないんかい)
アルバイトの頃の手取りが12万円くらい。
契約社員になって、15万円に増えた。
単純に認められたと思って嬉しかった。
けど、40時間分のみなし残業代込みだったので、残業代は出なかったし、70〜80時間くらいは残業してたから、30時間以上サビ残だった。
(アルバイトの方が時給高いのでは??)
契約社員になったからと言って、特に業務の内容は変わらず、今まで通りの仕事が続いた。
ちょうどこの頃から、うちの会社って技術的にレガシーすぎないかと思うようになって、危機感を感じ始めた。
GitやDocker、フレームワークも使ってないし、VPS構築するのも手順書見ながら手作業だしっていう感じで、結構やばめな開発スタイルだった。
(こういう会社って多いのかな?)
会社に導入したいと思って、Git勉強して上司に提案したけど、「うちの会社では合わないから〜」という理由で却下された。
フレームワークについても、僕以外の人が理解できないし、今後フレームワークを使える人を雇わないといけなくなるから。ということで却下された。
この頃は僕自身の理解が中途半端で、メリットを伝えきれなかったのが敗因だった。
その後しっかり勉強して、開発部署だけだけど、GitとGitHubの導入に成功。
フレームワークについては、GitHubのREADMEに懇切丁寧に使い方やコマンドなどを記載するなら導入してもOKという了解をもらえた。
(公式ドキュメントの存在意義はどこへ??)
こんな感じで、少しずつ業務の効率化などを図りつつ、契約社員で1年働いた。
また、例のごとく社長に呼ばれて、晴れて正社員となった。
手取りは18万円になり、田舎だったらなんとか1人で暮らせるくらいはお給料をいただけることになった。
私生活面では、実家から離れて職場近くのアパートを借りて、当時の彼女(現在の妻)と同棲を始めた。
1LDKで、家賃は7万円くらいだった。
田舎にしては高いけど、彼女はどうしても新築か築浅が良いというので。
僕としても職場に歩いて通えるので、立地としても良かった。
正社員になった後も、業務は特に変わらず。
仕事内容は変わらなかったけど、自分の心の方はこの頃から段々と変わっていったのを覚えている。
スパゲッティコードで、少し変更するだけで思っても見なかった箇所でバグが発生するプログラムとの格闘。
(16年くらい運用されつづけているコード。秘伝のタレ状態。何も考えずに継ぎ足し継ぎ足し)
1日中鳴り止まない開発部署宛の電話。
(電話線抜きたかった)
ITに詳しくない会社のPCにメールアドレスを設定しつづける日々。
(電話の口頭だけで説明して設定してもらう難しさったらないよ。でもおかげで、Outlook、Thunderbird、windowsメールとかのメールクライアントのインターフェイスは見なくてもどこに何が表示されているか分かるようになった。誰得だよ)
業務の効率化に理解のない上司。
(新しい技術を知ったかぶってるだけって言われたのは地味にショックだった。確かに理解は浅かったとは思うけど)
夜中だろうが、業務時間外だろうが関係なく、サーバーが落ちたら即復旧対応しないといけない。
(夜中の2時や3時に会社に行って対応もした。もちろんこの分の給料は出ない)
その他にも色々思うことがあったけど、このモヤモヤを抱えながら2年が過ぎていった。
この間に結婚もしたし、順調に昇給もして、手取り20万円になった。
けど、ボーナスはなかった。
転職編
そして、2022年の2月くらいに退職する意志を伝えた。
(引き継ぎがあったから、実際に退職したのは5月)
退職する理由は、
単純に他の会社がどんな感じで開発の仕事をしているか体感したかった
開発者としてより成長したいと思った
もう業務に嫌気が差したので逃げたいと思った
少ない給料ながら、東京に引っ越すための資金を貯金できたのも大きかった。(前回の反省を生かしたぞ)
引越し代とアパートの初期費用で合わせて、70万円くらい掛かった。
転職先は東京のPOSレジを開発している会社。
小売業でPOSレジは触っていたから、自分と親和性高そうだなと思って応募した。
面接の時には、開発スタイルはほぼリモートワークで、アジャイルで、Python、PHPなどを使っていて、機能リリースも毎日4回程度行っているという話だった。
プロダクト毎に5〜10人くらいの開発チームに分かれていて、前職とは技術も規模も全く異なっていた。
働く前は、こんな大きい会社で働けるんだとワクワクしていたけど
いざ入社してみると、面接の話とは全然違い、リモートワークは全くしてないし、ウォーターフォールだし、機能リリースもそんなにしてないしで、食い違いばかりだった。
配属先のチームはいわゆる炎上の真っ最中で、10月リリースのプロダクトが6月の時点で要件定義も全く終わっていないような感じで、とてもじゃないが4ヶ月で完成するようなスケジュールではなかった。
マネージャーがどこかへ行ってしまって、アーキテクトチームのバリバリ仕事できる人が代わりに要件定義して、僕たちのチームが設計と実装を担当した。
日曜日はさすがに休みだったけど、土曜日も出勤した。
3ヶ月間、毎日9時から1時くらいまでずっと働いたけど、全然終わらなかった。
8月には体調を崩して、休職して、そのまま退職した。
自己最短の3ヶ月での退職となった。
もう少し頑張れたんじゃないの?と思うだろうけど、僕にはこの働き方は無理だった。
入る前から激務って言うならある程度覚悟はできたんだろうけど、面接の時と話はぜんぜん違うし、めちゃくちゃな働き方だし、もう無理ってなってしまった。
誰でも聞いたことがあるような大手だからって、良い環境とは限らないっていうことを学んだ。
フリーランス編
転職先も見つからないまま辞めてしまったので、はるばる東京まで引っ越してきて無職になってしまった。
地元に残りたい妻を何とか説得して東京に出てきたのに、このざまとはさぞかし不安に思っただろう。
でも僕自身はそこまで不安はなく、何とかなるだろうっていう気持ちだったし、辞めた直後にはもうすでに、次はフリーランスとして働いてみようと決めていた。
8月初旬くらいからは無職でのんびり過ごしていた。
ただ、だらだら休んでいたわけではなく、プログラミングの勉強はずっとしていたし、それと並行して、フリーランスとしてやっていく準備も進めていた。
ポートフォリオ作ったり、職務経歴書の整理をしたり、事業用の口座やカードを作ったり、開業届・青色申告の準備など色々やった。
そして、見事契約が決まり、9月からフリーランスとして働くことになった。
運良く、東証プライムの大手と契約していただけた。
別に大手を狙っていた訳では無いが、たまたまエージェントから紹介いただいて、あれよあれよと話が進んで、気がついたら契約となった。
準委任契約で決められた時間だけ働けば、お金がもらえるサラリーマンみたいな働き方で、今までと比べても全く違和感がない。
働き方は完全にフルリモートで、いつ働いても、いつ休んでもいい感じ。
開発環境は少しレガシーなフレームワークを使っているけど、以前の職場とは雲泥の差で、プログラムは読みやすいし、テストコードもあるしで、すごく開発しやすい。
ずっとこの環境で開発したいとは思うけど、契約が終わったらそれまでなので、今のこの環境を楽しんでおこうと思う。
問題の収入はというと、地元にいたときの4倍になった。
(ただ地元にいたときの給料が低すぎただけ)
こんなにもらってもいいの?という感じだけど、こんな自分にも需要があるということで、ありがたく受け取ってます。
感想
もうすぐフリーランスになって1年経つので、振り返りの意味を込めて、今までのエンジニア人生を振り返ってみた。
未経験で入社したときに、バックエンドじゃなくて、フロントエンドを選んでいたら、HTMLとCSSしか書けない状態で、技術力が付かずに、今もまだ苦しい状況が続いていたと思うし、そういった意味でいうと1社目にフロントエンドの求人がなくて、逆に運が良かった。
もっとうまく立ち回って動いていたら、こんなに苦労しなくても済んだとは思うけど、僕にはそんな器用なことはできないし、今が結構幸せな状態だから、結果良ければ全て良しということにしてる。
おわり。
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