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2024年2月27日(火)-休職35日目-

カードの引き落とし日。

休職して給料が少なくなったのも、しっかり貯金できていない自分が悪いので自業自得なのだが金額が足りない。

この年で情けないのだが親にお金を借りた。
何日も何日もどうしようかずっと悩んでいた。
親も入院をしてこれから治療するにあたりお金がかかるのに本当に出来の悪い子供で申し訳ない。いつまでも心配をかけている自分がとても恥ずかしい。
いつになったら親を安心させられるのか。

両親には一度話したが自分はそもそも自分が好きになった人が同性だったとしたらこの国で結婚出来ないし、子供も出来ないし欲しいとも思わない。
もうそもそも身体的に自然に子供が作れる年齢でもない。

日本で結婚をして子供を育てるというのは周りの人の話を聞いているとあまりにも大変そうな話が多く私には到底できそうにない。
自分自身だけでも精一杯だ。

姉が結婚した時にたまたまご近所さんと母が話をしていて母が「やっと1人片付きましたよ。」と話していた。
もちろん良くある日本的な謙遜の表現だ。
結婚しないと一人前ではない。
母はあまりそういう考えではないし、ご近所さんとの間のいわゆる世間話で伝わりやすい表現だ。分かっている。
しかし頭では理解出来るがその会話を聞いて「私はいつまでも片付かない荷物」だなと思ってしまった。

18歳で初めての会社に入社し、そこをモラハラ上司が原因で会社都合で退社し、そのあとはいつもフラフラと行った先で仕事に誘われたり、仕事を紹介されて仕事をしていた。
海外に行く為にお金が必要だったという理由で新橋の職場に転職したのと、カナダで最後に働いた職場は絶対ここで働きたいと自分の意思で決めた職場だ。

高校の時の進路も特にやりたい職種が無かった。
木村屋のパンが好きだったので募集無いかなーとか、日光江戸村で忍者とかいいな、デパ地下とか楽しそう、とか本当に真剣に考えてなかった。

心理学を勉強したかったのだが我が家では高校まで面倒を見るがそのあとは自分のお金で学校なり何なり行きなさいということだった。
親世代は特に大学進学する方が少なかった世代だし、3人も子供がいるのでその考えは当然だろう。
今はとても仲の良い家族といえるが、3人の子供が多感な時期を迎えた我が家はゴタゴタしており、しっかり自分で働いて安心させたい、早く社会に出て社会経験を積みたいと考え資格も取れる商業高校を選んだ。
自分がどんな仕事をしたいかなんて考えていなかった。

進路相談の先生に少し自分の成績だとギリギリ応募できるかの会社を紹介された。
「ここの会社はうちの卒業生も多いし、君だったら大丈夫だと思う。」と勧められて職場体験に行き、入社試験を受けた。

私以外にその会社が第一志望の子が2人いた。
採用人数は2人だった。
試験は簡単な計算テストと面接、最後に作文があった。
面接は一度職場見学に行った時の感想や何やらを話した気がする。
何を見て何を感じたか、場を和ませるには何を言えばいいのかはなんとなくわかるのでなんとかパスできた。
作文は作文用紙1枚だったと思う。
思いつきで書いたがピッタリ作文用紙1枚400字書けたのだ。
あれは今でも謎だ。
そして不思議なことに入社出来た。

振り返るとこの時からモラハラやパワハラがあった。
入社した部署の一つ年上の同じ高校を卒業した先輩は入社して早々「私はあと3ヶ月で辞めます。ねこさんが今の私の業務を引き継ぎしてやってもらうのでよろしくね。」と自己紹介された。入社してすぐにカオスだった。

先輩はうちの職場環境は本当に最悪なこと、上司と合わずに人がどんどん辞めることなど話して「でもねこさんだったら大丈夫!頑張ってね!」と肩をポンっと叩いた。
結果、まさにそうだった。
私が18歳で入社して3年間で約20人近くと働いた。
最短で3日くらいで辞めた人もいる。
皆基本的に派遣社員の方だった。
私はまだ20歳にもなっていなかったのでみな口を揃えて「まだ若いんだから大丈夫だよ!」「その年でこんな最悪な環境で働いたらどこでも大丈夫だよ!」と言って会社を去っていった。

上司と他4人で回していた部署が、最終的に私と上司だけになった。
もちろん仕事は常に山積みだ。
体調を崩し数日休んでから職場に戻るとデスクの上に山々と書類が溜まっていた。キーボードを避けて自分のデスクいっぱいに書類が置かれていた。座ると目の高さくらいまで書類が積まれている。
漫画でよく見るやつだ。
休むとその分仕事は溜まると学んだ。
休むことがプレッシャーになった。

でもまだ一つの会社に3年は勤めないとこの先に響くという時代だったのでなんとか我慢し、3年が経つ頃辞めたい旨を上司に相談すると

「君なんかがこれから他の会社に行ったってどこも採用なんかしてくれないよ。通用するわけがない。」

「ここまで教えたのに辞めるなんてどういう気持ちなのかな。私の気持ちがわかるかい?」

「周りの人達に何を言われてるか分からないけど私の言うことは絶対に正しい。君のその考えは間違っているよ。」
などなど言われた。

「私のおかげで」 「あなたのために」といつも彼らは言う。
いつも論点をすり替えてこちらが悪い思うように攻撃してくるのだ。
自己肯定感ダダ下がりである。

しかしこんな上司は他部署には全く違う人格になる上司なのでこういった話を人に相談しても信じてもらえなかったり、一緒に働いている人もすぐ辞めてしまうので理解者が少なくかなり孤独だった。
当然病んだ。

彼はずっと私に話していたことがある。

母は私を産んだ時に亡くなった。
だから祖父母に育てられた、祖父母の世代は私にとても厳しくした。
君たちの世代は甘い、私の時はこんなに優しく教えてくれなかった、君はこんな優しい上司に恵まれて幸運だ、などと事あるごとに話していた。

これが原因で自己愛の塊のモラハラが生まれたんだろう、そしてモンスターがモンスターを産むんだなとも思った。
まだこの時はモラハラという言葉が無く人に説明するのが大変だった。

しかしそこを辞めてから接客・販売業でプライス作りから原価計算、棚卸し、新店舗の店作り、また経理に戻り、その後海外に行って初めて飲食業界に入り、皿洗いから仕込み、盛り付け、コース料理の際のテーブル管理と作業の優先順位、在庫の管理、観光業でベットメイキングから朝晩の料理の準備、掃除の仕方その他諸々を学び、1人で作業する際の効率的な方法などたくさん学んだ。

恐ろしいことに全ての職場で1人で仕事を回さなくてはならない状況になっていた。効率や優先順位を考えて動かないと回らない状態になったので仕方がなく自然と学んでいった。仕方がなく、だ。

18歳の時に出会った自己愛性モラハラ上司には辞めてからどこ行っても通用するようになりましたよ、と伝えたい。
それはあなたのおかげではなく自分の努力なんでそこをまたあなた自身を誇大評価する為に使わないでください、とも伝えたい。
言うのが想像出来る。「それ君、ほらあれだよ、私のおかげだ。」と。

まぁでもまたこの時と同じような人に何度もフラフラ引き寄せられてしまっているのでこんなこと言える口ではないか。
しかしつらつらと入力していて色々な人々を思い出してきたのでまたこのパターンに陥らない為に過去の自分から学ぶしかない。

こんなことをずっと繰り返しているので心配をかけていると思う。
いつもやらかしている。
確かに言われてもしょうがない、お荷物だ。
結婚もしていない子供もいないお金も借りて尚且つ今は仕事もできていない完全なるお荷物だが少しは親を安心させるお荷物にならなくてはと思う。












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