Vtuber界隈で起こるユニコーン(弱者男性)問題からジェネレーションギャップを感じている老害のオタク文化論

最近、僕の頭を悩ませている問題として「Vtuber文化におけるユニコーン叩き問題」があり、ひいては「現代のオタク文化と昔のオタク文化のジェネレーションギャップ問題」も自分の中で浮上してきてしまったので、今回それらについて語ってみようと思う。

ユニコーンについての解説は特に必要ないかも知れないが、軽くしておく。女性が処女であることに拘ったり、男と絡むことを極端に嫌がって発狂する、みたいな特徴を持つ人達を揶揄する名称、かつての「処女厨」と同義って感じだろうか。そのユニコーンの存在や活動が最近のVtuber界隈では嫌われて問題になっているわけです。

僕自身はユニコーンの気持ちには共感できるが、Vtuberの配信が荒れてまともに見れなくなったり、直接的にしろ間接的にしろ、活動の妨げになり、Vtuber側が迷惑してるというのであれば褒められたものではないと思う。さらに言えばこれだけ誹謗中傷による裁判や炎上リスクが高い現状で参戦したくないのが本音なので、YouTubeやXでは基本的にコメントを残さず静観するスタイルでこの問題の経過を見守ってきた。しかし、この問題は単に「厄介なファンとの揉め事」なんて小さなものではなく「オタク文化の根幹」に関わる重要な問題だと感じるようになったので、最近の流れとこれまでのオタク文化についての自分の意見・感想を語っていきます。

僕はVtuberオタク界隈でユニコーン否定派の意見を色々と読んでみました。印象的な意見をざっとまとめると

「推しの幸せを喜ぶべき。推しを支えてくれる誰かに感謝するべき。現実的な推しの人生を考えるべき。」「インターネットで人気になれるくらい魅力的な女性なんだから恋人がいることは当たり前」「弱者男性きめえええ!ユニコーンは百害あって一利なし!全員駆逐するべき!」


なんだこれは…?そもそも根本的な部分でまるっきり違う。同じ問題について語ってるようで、全く別のものを見て語ってるような強い違和感。その謎を紐解くと「オタク」「オタク文化」「アイドル」「インターネット」「二次元美少女キャラクターコンテンツ」などに対する理解・解釈が前提として共有されてない。ユニコーンに強い拒否感を抱いて批判している人達が語る「オタク」は、ここ数年の変質しきった推し活文化圏を基準にした歴史の浅い解釈だと感じる。ユニコーンの主張や活動の是非云々以前に、「オタク」という言葉、「オタク文化」のこれまでと現在について改めて確認する必要がある。

「オタク文化の変遷について」

オタク文化の変遷について本当に手短にざっくりとだが、解説してみたい。現在のオタク文化との相違を軽く確認する程度のもので、記憶を元にして語るので事実とは異なる可能性があること、都合により省く部分も多いことはご容赦ねがいたい。


まず「オタク」って名称はそもそも成り立ちが差別的なものだ。Wikipediaなどでも調べてもらえば解ると思うが「オタク」という言葉自体が差別用語のようなもの、現在のように良い意味でのステータスや個性やスキルを指すものではない、他人に対して言ってはいけない部類の言葉であった。そんな「オタク」という言葉や存在も、時代の流れで変化していく。

僕は現在30代、ギリギリ平成生まれくらいのおっさんですが、オタク文化の長い歴史を考えれば比較的現在に近い若い世代だ。上の世代ほどレベルの高いオタク差別を体感してきたわけではなかったが、現在とは明らかに違う、まだまだ差別が残った空気の中で生きてきた。ちょうど狭間の世代と言ってもいいかもしれない。だから2000年代~の話が中心になるのを理解してほしい。

僕が体験した時代の中で「オタク」という存在についてのイメージは今では考えられないくらいネガティブなものだった。
オタク趣味は表に出すべきではない恥ずかしい趣味で、オタクと呼ばれる人達は風呂に入らなくて臭い、現実の女性に相手にされず架空の美少女やアイドルに夢中になっている負け組、早口で自分の好きなことだけ語りコミュニケーションが取れない、みたいなパブリックイメージ(社会の共通認識)が長らく確実に存在した。今だと偏見だと言われるかも知れないが、あえて言おう。確実に存在したし、オタク同士の自己認識もそれが主流だった。

二次元オタクは愛するキャラを「俺の嫁」と呼んでえっちな妄想したり好き勝手楽しんでいた。現実の女を叩いて二次元美少女キャラしか愛せないことをアピールしつつ、声優さんだけはOKだったり、そういう自分勝手さもまた、当時はオタクらしさだった。

現代に繋がる流れ「オタクが市民権を得たターニングポイント」としてよく語られがちなのが『電車男』という作品だ。しかしあの作品も、別に現在と同じようにオタクが扱われているかと言えばそうではない。オタクは美女と付き合えない冴えないやつの前提だし、インターネットでアドバイスを受けることは「得体の知れない場所で得体の知れない奴らからアドバイスされる謎文化」の前提、オタクやインターネットの特殊性ありき、ネガティブなイメージがあるからこそ、それを逆手に取ったようなもので、それが物珍しくて面白いといった部分が大きかったと思う。これがきっかけでオタク文化は市民権を得たと語られがちだけど、個人的に当時を思い返すと体感はそこまでじゃなかった。確かに世間にオタク文化が認知され「アキバ系」が流行したが、あくまでネタ枠。生き方として、恥ずかしくない趣味として認められたわけではなかったし、少なくとも現代とは全く違ったと思う。要は「いじられキャラ」としてのブームであった。これが2005年頃のオタク文化だ。

「ニコニコ動画」「涼宮ハルヒの憂鬱」「踊ってみた」などがおそらく2006年くらい、「初音ミク」や「らき☆すた」の聖地巡礼文化が2007年、「中川翔子」などオタクキャラを芸能人が売りにするのが2008年くらいだろうか?当時はアイドルやルックスの良い人種がオタク趣味を持っていること、また公の場で堂々とアピールすることが特異なパフォーマンスで、中川翔子のブレイクきっかけに追随した芸能人たちのオタクアピールが一時期流行りだした記憶がある。

今では当たり前のコンビニや大企業とアニメがコラボする流れが生まれたきっかけは「けいおん!×ローソンコラボ」だったと記憶しているが、それが2010年くらいだと思う。美少女アニメがコンビニという一般人が集まる日常的な場所で目につくように扱われるということ自体衝撃的だった。

声優がキャラを再現して実際に楽器を持ってライブしたり、声優とキャラの同一視、声優のアイドル化など今では当たり前の文化を作り出す流れに『けいおん!』は大きく影響しているだろう。(それ以前にもアイドル声優など存在はしていたが)
だが、それでも現在と同じように語れるレベルではなかった。「『けいおん!』が社会現象!」とメディアに騒がれた時ですら、テレビで特集されると「お茶の間冷えっ冷えw」とか「社会現象(笑)」とかネットで煽られてた記憶がある。

『ラブライブ!』がちょうど10年前、スマホゲームのスクフェスが大ヒット、女子高生に人気とTwitterで目にして「時代は変わったな…」と思っていた記憶がある。当時話題になったのが「ラブライバー」と呼ばれる若いオタク達で、推しキャラの缶バッジで装飾した「痛バッグ」などの文化は彼ら彼女らが生み出したものだったと思う。そしてそれは上の世代のオタク達から「オタクを表に出すな恥ずかしい!」と批判された。この辺りで現代のオタク文化にグッと近づいた感がある、オタク同士でオタクとしての在り方についてギャップが生まれ始めていた。そのラブライブ!すら今では懐かしコンテンツ枠に入ってきた印象だ。ここからはSNSによって加速度的にオタク文化は一般化し、変容していく。

『君の名は。』が公開され「アニメ映画をオタクじゃない一般人が見に行ってる!」とTwitterがざわついたのが2016年。

Vtuberと呼ばれる存在が現れ四天王が話題になったのが2017年後半。

鬼滅の刃ブーム全盛期が2020年だろうか。「もうテレビもアニメをバカにせず乗っかるしかないんだな」と思わされるような番組作り、芸能人の振る舞いが目立った覚えがある。その鬼滅の刃すら最新のブームとは言えなくなっている。

そして「推し活」という単語が流行語大賞にノミネートされたのが2021年らしい…。

「Vtuberの変遷」

Vtuber文化の歴史についても語っておこう。Vtuberという存在を黎明期から追ってきたが、初期の頃、テレビで特集があり芸能レポーターが「これは芸能人ピンチですよ!バーチャルなキャラクターが活動するわけですから、リアルな人間と違って炎上もしないし!」みたいなことを言ってた記憶がある。一言一句覚えてるわけじゃないが、初期の頃は「Vtuberは二次元キャラ文化の延長だ」と語られることが多かったと記憶している。「リアルにコミュニケーションしてくれるわけだから、アニメはオワコンになる」とまで語るオタクもいたと思う。しかし、実際にはその解釈通りには進まなかった、Vtuberも炎上に晒されることが当たり前になり、それどころかバーチャルとリアルの両方の性質があるからこその炎上も起こってしまい、引退や転生なども相次いだ。「Vtuberはオタクに都合のいい理想の存在なんかじゃない」ということに気付いた人達も多くなり、活動する側もまた「オタク達に都合のいい理想なんかやってられない」という姿勢になってきた。

一時期Vtuberは明らかに下火になった。しかしVtuber文化は終わりはしなかった、Vtuberに限らず、リアルの人間も含めて「配信を見る」「ネットで語る」「推す」といった文化が人気になり一般化した。Vtuberはここで新たな客層を得て復活した。今活躍している、生き残っているVtuberはここの流れに上手く乗れた人達で、今のVtuberファンはこの時期以降に入ってきた若い層や、それまで二次元美少女コンテンツに興味のなかった(あるいはバカにしていた)人達も多いのではないか。

変遷と言うにはあまりにも雑な解説になってしまって申し訳ないところだが、とにかくここで解って欲しかったのは「推し活」という概念は長いオタク文化の中で比較的最近、それもここ数年の変化であること。もちろん「推し活」も急に出てきたわけじゃなく、主に女性オタクやアイドルオタクの文化圏から2010年代にはTwitter上で見られた気もするし、そう考えるとそこそこ経ってはいる。それでも弱者男性のものとしてのオタク文化を飲み込むほど成長したのはごく最近、コロナ禍の巣籠もり需要の影響が大きいと思われる。

Vtuberに関しても、オタク文化の中では比較的最近の文化に過ぎない。しかし、気付けば誕生からそれなりの年月は経っているし、インターネットが主戦場であること、尚且つ変化の激しいご時世で発展してきたこともあり、黎明期とは様々なことがガラリと変わった。今では「バーチャル」と言いつつリアルの身体や生活を当たり前に撮すこともあるし、「YouTuber」と言いつつプラットフォームを別のサービスに移したりもする。「バーチャルYouTuber」という名称自体が形骸化している。「オタク」という名称も似たように形骸化していると思う。

別に推し活にハマるオタクが悪いわけじゃないし、ユニコーンがVtuber界隈で迷惑がられるのもある程度理解できるが「推しの幸せを願って恋人の存在も快く受け入れるファン」が「オタクとしてのスタンダード」なんてことは無いと思う。無かったと思う。これまでは…。

ざっと歴史を確認しただけで伝わるものでもないだろうが、今とは明らかに違うオタク文化が圧倒的に長く続いてきて、それが近年、突然ひっくり返されたようなスピードで変化しているのだ。オタク文化は弱者男性をメインターゲットに理想を売っていた部分は確実にあったし、人道や社会倫理といったものから外れたところで自由にやっていたからこそ独自の魅力があり、まためんどくさくて扱いにくいのがオタクというものだった。ここを踏まえず近年の価値観だけで「オタク」という存在を語られると違和感しかないのだ。オタク文化において弱者男性は排除すべきイレギュラーではなく、むしろ屋台骨のような存在と言っても過言ではなかったと思う。

『キノの旅』という作品のキャッチコピーで「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。」というものがある。僕が思うかつてのオタク文化の魅力はそれで、弱者男性の自分勝手さ、醜さや鬱屈した感情、世間からの扱いにコンプレックスを抱きつつも我が道を行く反骨精神、そんな色々のごった煮のカオスから生まれる独特な空気に魅せられていた。

「ユニコーン否定派の意見について考える」

というわけでオタク文化の確認はざっとだが済ませたので、改めて話を現代に戻して、ユニコーン問題について語るVtuberやユニコーン否定派のVtuberファンの意見について考え、色々とツッコミを入れていきたい。

「推しの幸せを喜ぶべき。推しを支えてくれる誰かに感謝するべき。現実的な推しの人生を考えるべき。」

なんというか、強者の発想すぎる…!自分が目にしてきたオタク文化と発想の出発点が違いすぎるというか、ギャップがありすぎて笑ってしまいますね。まあ支えてくれる異性を当たり前に獲得できる人生だったんだろうなって思ってしまう。弱者男性は支えてくれる異性を獲得出来ないからこそ弱者男性で、擬似的に「この娘なら支えてくれる」って気分を味わえるから依存して、その結果が現代では「推す」って行為になるだけで「知らない男」と「知らない男と付き合ってる強者女性」を応援する余裕なんてないと思う。というかその支えてくれる特別な男がいるのにさらに応援しなきゃいけないのもよくわからないし。恋愛してるから幸せって発想も現代的じゃないし、なんでVtuberってこういうとこで急に古風になるんだろ?カップルチャンネルに「尊い😍」とかコメントしてそう。というかこの思想だと行き着くところはそれこそカップルチャンネルでは…?あとバーチャル(仮想)の姿で現実を考えろって説教してるの皮肉が効いててすごいなって思う。

「インターネットで人気になれるくらい魅力的な女性なんだから恋人がいることは当たり前」

まあ実写で活動する女性ならまだわかるけどガワで圧倒的な魅力を担保してるVtuberが現実でもモテモテな魅力的女性と決めつけるの逆に危険では…?仮に魅力的な女性だとしてもだから恋愛もしてて当たり前ってのもまた現代的にどうかと思うし。ユニコーンはかつてのオタク文化で「恋人いないんです~」って親近感を演出されることが当たり前の中で育った奴も多そうだしなかなか割り切れないと思う。「恋人がいて当たり前」を覆して「あなた達と同じ弱者だよ、こう見えて独りなの」が特別性になって商品価値を産み出してたんですよ、まあほぼ嘘で固めてるだけで当たり前に恋人いるんですけど。そういうアイドル文化のやり口を理解してない人が「恋愛は自由、可愛ければ恋人いて当たり前」とかを正論と信じて語るシーン多すぎないか?そもそもアイドルは偶像で、人権や法律持ち出したら破綻するんだよ、本来は。普通に恋人いる普通の女を応援することがアイドル文化になってる方が本末転倒なんだよ。とはいえ現実的な対策として、裏に男いることを覚悟しておくのは必須スキルだと思うのでそこに関しては偉い。

「弱者男性きめえええ!ユニコーンは百害あって一利なし!全員駆逐するべき!」

まあヘイト溜まって過激化してるなって感じだけど、そもそも一番解らないのがこの層ですね。なんでわざわざ弱者男性の巣窟みたいに言われてるVtuber文化の中でそんなキレてるんだ…?

あと僕の認識が正しければ「ユニコーン」は処女信仰してる男性に対する侮辱的な揶揄だし「弱者男性」はフェミニズムに対抗する流れで男性側からも差別や不平等を訴えるための用語として生まれたものだと思うので、その辺の言葉安易に使って煽ってる奴が「正論パンチ」とか言ってるの見るとなんかなあ…「屁理屈煽りマウント」の間違いでは?ユニコーンに正論かますような方向性の動画も少し見たんですけど、その正論のソースが「かつて悪名轟かせた有名まとめサイト」だったりするんですよ。それ見てみんながコメント欄でオタクとしての在り方を語ってユニコーン叩きしてる。本当に最近のオタクってもう平成インターネットの常識すら知らない層がメインになって対立煽りにまんまと釣られてるんかなと感じる。自分で考える力無くしてトレンドやインフルエンサーの発言鵜呑みにしてbotみたいに同じような「正論()」を繰り返すだけって感じがしてがっかりする。まあ偉そうに言ってる僕も知らず知らずのうちにこうやって影響されてるわけだけどね…。

「オタクが排除される『オタクの時代』」

文句ばかり言ってるが、僕自身は新しい人達が新しい楽しみ方で文化を作っていくこと自体は否定したくないと思っている。
ラブライバーが上の世代のオタクに叩かれていた時も(若い子が恥ずかしいと思ってないならそれで良くない?オタク文化も一般化し始めてるんだし上の世代の劣等感を押し付けなくても…)と思っていたし、声優オタク達がライブ中のオタ芸やらコールやらの是非で揉めまくって自由を主張していた時も(さすがに自分達が主役のようにパフォーマンスしてアーティストに嫌われるレベルなのはやりすぎじゃないか…?)と思ってたりもした。だから昔の常識をいつまでも若い世代に押し付けるべきではないのも、客側が自我出して演者側の活動の妨げになるようなことをするのが嫌われるのも分かる。別に若者も昔のオタクみたいに劣等感拗らせてくれとか言いたいわけじゃない、気軽に楽しめばいいんだけど、弱者男性にもオタク文化にも精通してないのなら上から目線で知ったかぶらないでくれ、素人は黙っとれ!と思ってしまう。

「オタク」という名称じゃなく、別の名称が生まれて全く新しい若者文化として扱われていればまた違うんだろうけど、ここがややこしい。今のオタク文化は根本から変わってる、180度違うと言っても過言じゃないくらいなのに、昔のオタク文化をしっかり下敷きにしている。美少女イラストが映る画面で現実女性の在り方をそのまま受け入れなければいけないVtuber文化、そこで起こるユニコーン問題は、現代オタク文化事情の複雑さの象徴のように感じる。

他の誰かも言ってた気がするけど、僕からすると、海外の寿司みたいなもんだなと感じる。
「これは寿司じゃない別の何かだろ…原型留めてないじゃん…」
と、ついツッコミたくなるんだけど、ツッコんでしまうと
「美味しければいいじゃん」「人の努力を否定するな」「新しい発想を受け入れられず古い常識を押し付ける老害は死滅して」「考え方をアップデートしろ」「視野がせまい」とか集中放火喰らう炎上社会。視野がせまいのはどっちだよって感じもするけどまあツッコミにくい。オタク文化も最近はこういう現象に晒されてるなと思う。でもオタク文化って特に弱者の強い拘り・理想像・フェチズム・ルサンチマン・モラトリアムなどに支えられてきたサブカルチャー的なところが大きいと思うので、ここ数年のオタク文化肯定・推し活推奨みたいな流れで本質的な魅力がスポイルされたんだなと寂しさを覚える、ユニコーン問題見ると特にね。

元号が令和になったり、若者がZ世代と呼ばれたり、コロナ禍の巣籠もり需要が生まれまた終息したことで人々が外へ出たり、オタク文化は時代の波にもろに飲まれてここ数年で爆速で変化した。オタク文化を『理解ってない』側の人間が「オタクを『理解ってない』」と、かつてのオタクに説教するような時代になったのかもしれない。

「みんなが『でも幸せならオッケーです!』って考えればいい、推しの幸せを願うのがオタクだよなぁ!」じゃないんだよ、その考え方をするのは勝手だけどそれだけでは多分オタク文化はここまで続いてない。オタクという属性と人道主義や社会性を混同するな。

最近は色んなところでちょくちょく「女性の方が金を出す」「海外の売り上げが国内より多い」みたいな話聞くようになったので弱者男性排除の流れはそれもあると思う。商売として優先すべき客層じゃなくなってきたんじゃないかな。

色々言ったものの、別に僕は「ユニコーンに加勢してVtuber相手に共闘して男女コラボ撲滅運動するぜ!」なんて気は毛頭ない。
僕は弱者男性当事者だし、アドバイスや説教できる立場ではないけど、Vtuberに理想を追い求めても不毛だと思う。インフルエンサービジネスなんて身も蓋もないこと言えば信者ビジネスで、やり方に疑問感じたら逃げるか、「こいつには媚びないと」って相手に思わせるくらい圧倒的な資金力で殴り付けるしかないんじゃないかと思う。いや、相手のメンタル壊すまで絡み付いて復讐するってパターンもあるだろうけど僕はそういうの無理だし。ユニコーン同士でつるむのも楽しいかもしれないけど、結局それも裏切られた時辛いって知ってるからね、インターネットなんてフェイク野郎ばっかなんだから。弱者男性である以上孤独を飼い慣らす覚悟が必要だと今は思う。

(基本的に大手企業の話だけど)Vtuberは本当にややこしい文化で、キャラクタービジネスを含んではいるけど、結局リアルの配信者なんですよ。漫画やアニメと違って設定をしっかり守ってキリのいいところで終わらせる努力をするわけじゃない、むしろ逆で、常に変化するトレンドに合わせてバズを狙っていく。その中で配信内容や芸風が変化するからファンとしょっちゅう揉める。アイドル売りがバズる時期なら弱者男性相手にガチ恋営業して、男女コラボがバズる時期ならユニコーン煽ってFPSするとか、そういうもん。少なくとも最近のユニコーン問題で「弱者男性を見下さない理想の女の子」やり続ける気なんてさらさらないってはっきりしたわけだし、固執するだけ失うものの方が多いと思う。まあ諦めないのも自由だとは思うけど。

今のインターネットはもう商業化し過ぎたし、お客様が特別扱いして貰える時代も終わり、誹謗中傷クレーマーカスハラ野郎として訴えられるより、Vtuberに使ってた視聴時間を昔のハーレムアニメでも見る時間に充てた方が精神衛生上楽だし有意義だよ。逃げだけどね。

さいごに

いかがだっただろうか?「気持ち悪い」ってのが自然な感想かもしれないが、僕はこの「気持ち悪さ」こそオタク文化で、不快な思いをさせないで応援することがオタク文化の本質ではねえよということが言いたかったのでそれで良いです。

ただ、もしも昔のオタク文化に興味があるなら調べて欲しいです。

権利上堂々と進められないが、それこそYouTubeで「昔のオタク」とか検索するだけでも、いかに「オタク文化が弱者男性の文化だったか」は空気で伝わるんじゃないかと思う。(もちろん全部が全部真実だというわけでもなく、メディアが作り出したイメージもあるが。)

アニメだって今とは違う「オタク」が描かれた作品はたくさんある。
『げんしけん』『らき☆すた』『乃木坂春香の秘密』『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『ヲタクに恋は難しい』など、様々あるが、オタクの「引け目」がいかにオタク文化において重要な役割を果たしたかだったり、時代による変化も感じ取れると思う。

それと偉そうに語ったが別に僕はオタクの専門家ではないし、僕が見てきたオタク文化も一部です。今回も主にアニメ、インターネットオタク文化の話が多い。「女性オタク」「アイドルオタク」など、他にも様々に細分化できるし、最近の「推し活文化」はその辺の方々の価値観が入っている、Vtuberに関しては特に。

今回記事を書くにあたって、Wikipediaを参照しました。読んでいる中で、自分もまだまだ認識不足だなと思ったところもあったし、僕の意見の意味が解らなかった方は読んでみるとわかるかもしれません。まあ、あそこに書いてることが全てではないけどね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F

あとは漫画で参考になる面白い作品の一話があったのでリンクを貼ります。

https://gekkansunday.net/work/6797/

この『平成ヲタク リメンバーズ』という作品の主人公が言ってることがまさに僕が今回記事で語りたかったことに近くて、これ読めば今回の記事は別にいらなかったかもしれません笑

結局ね、寂しいし悔しいんですよ。今の推し活ありきのオタク文化は時代のブームで、社会の空気に飲まれてるのが。サブカルチャーとしてのオタク文化への帰属意識、インターネットのアングラ感、斜に構えた弱者男性の生み出すカウンターパンチ、そういったものへの歪な憧れ、「オタク」という概念に救済されてた身として、激重感情拗らせてるんだよ。

「カップルでVtuber楽しんでます!弱者男性キモすぎ!推しの幸せ願うのが『オタク』だよね!」(正論パンチ👊👊👊)

みたいな今のインターネットの空気じゃ窒息しちゃうんすわ、こちとら「キモの呼吸」で生きてきたんすわ。社会的空間じゃ息できねえの。

ということでこれ以上変なノリで文章が支離滅裂にならないうちに終わりたいと思います。オタクに関する記事はまた書けたらいいな。それでは。

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