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夕暮れのしあわせな猫

今朝は雨が降った。そして夕暮れは黄色い。

こんばんは、踊らない猫です。

黄色い光が部屋のなかにも入ってきて、壁や床も黄色くなっている18時。

2年前に病気をしてから、自分の幸せについて時折考えるようになった。

空が晴れわたって、洗濯物がベランダで風にゆらゆら揺れている様が、今のところわたしにとっていちばん幸せな景色だと思う。

それを眺めているのはひとりきりだけど、18時半頃には夫が帰ってくる。それをわかっていること、信じられていること。だから安心して洗濯物をぼんやり眺めていられる。

そういうことを考えるようになってから、普段の景色の見え方が少し変わったと思う。

陽の光があたっている緑や山、近所の川の水面、その下を漂っている名も知らない黒っぽい大きな魚たち。そういうものすべてが今の私の精神状態を作ってくれているのだ。

今でも3ヶ月に一度の検診が怖くて、なかなか慣れない。もしまた何か見つかったら、そう思うだけで泣きそうになる。

入院していた時、同室で私よりもずっと大変な状態の女性が看護師さんに冗談めかして漏らしていた。「生きるのってほんとに大変だわー」

その人は昼夜問わず定期的にお腹に溜まった水を抜かねばならず、毎日の点滴で腕も脚も針の跡だらけで、正直なところ完治は難しい状態のようだった。

それでも私が退院するまでは、たわいのないお話をしたり、果物やお菓子をくれたりした。肌が白くて少し気が強そうで綺麗な人だった。

その人は私が退院するとき、言ったのだ。

「やりたいことは絶対我慢しちゃだめよ」

その前日くらいに、その人の家族がお見舞いに来て(毎日のように家族の誰かがお見舞いにきていて、とても仲が良さそうだった)毎年恒例で家族と友人たちで出掛けていた場所への外出許可をもらえないかと先生に相談をしていた。

友人に看護師がいるから同行してもらうとか、移動距離もないから身体に負担も少ないと思う、とか何度も相談していたけれど、先生はうんとは言わなかった。

きっと最後の旅行になるからなんとか、という家族の気持ちが言葉には出さずとも伝わってきて、カーテン越しに私は静かに泣いてしまった。

それがあっての「やりたいことは絶対我慢しちゃだめ」だったのだ。


私はいま生きている。もちろん再発する可能性だってあるけれど、いまこうして生きて黄色い空を見ている。あの人はまだ病気と闘っているのだろうか。


黄色かった部屋もいつのまにかすっかり暗くなって、窓の外ではパラパラと雨が降り出した。パチリと電気をつける。

もうすぐ18時半だ。ただいまという声が聞こえた気がした。

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