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習慣それは易にも害にもなる

みなさんお元気ですか?
今日は休日で久々noteに記事を上げます。

さて、情報や技術は日々更新されます。私が住む場所の街並みがどんどん変わって行くのを目の当たりにして、地方に住んでいてもまるで、首都圏にでもいるかの様に速いスピードで日常生活が変化していく。

話は変わってここ数年で止めたものに「新聞購読」があります。
理由はシンプルで読む時間が少なくなったから。それまで新聞は隅々読んでいましたが、次第に読まなくなりました。読まなくなって感じるのは、
「特に生活には困らない」です。
それまでは”今を知らなければならない”と漠然とある種の脅迫めいた思いがあったからでした。しかし、いざ止めてみると何も変わらないではないですか。「そんなものか!」と思い返すのでした。

こんなことを思いまして、今回の記事は
「止めてみて感じた思いなどの考察」です。


先ず一つ目

炭酸飲料水を飲まなくなりました。かれこれ20年位にはなるでしょうか?正確には年に数回は飲むので、飲まなくなったというよりかは、回数の大幅減ですね。
30代中までは良く飲んでいましたが、結婚後徐々に減り今に至ります。その分お茶や野菜ジュース、コーヒーなどにシフトしています。今更ながら、体に良い悪いをここで論じませんが、年齢や嗜好の変化が影響しています。

年齢を重ねると水分摂取自体減少します。高齢者相手に仕事をしていて、水分摂取の重要性は理解しています。職場の若い職員は水分を常に補給していますが、私をはじめ40歳代後半以降の職員は軒並み摂取量が少ないです。飲水がめんどくさいなど有りますが、思うにこれ自体が実は老化現象だと感じます。改めてなるべく摂取せねばと思う次第です。


二つ目

ゲームで遊ぶこと。もともとどっぷり浸かっていた時期が長く振り返ると小学3年生位から始まり、オフゲーから近年のスマホのゲームや遡ること以前はオンラインゲームに進出し、一時期は一日の大半をゲーム三昧の日々を過ごしていました。こうして思い返してもゲーム一つで実に40年近くを費やしていたのだと…。

たらればではないですが、今更ながらこの時間を別な活動に使っていたら、今とは違った人生では?と思います。
現状はどうでしょう、全く止めたかと言うと、こちらも炭酸飲料同様に今でも時々遊ぶので、こちらもプレイ時間の大幅減が正解です。
ゲームは遊び始めたらなかなか止められないですが、さすがに50代になり集中力、視力低下は否めないです。


三つ目

newsアプリなどの視聴。これは前述の新聞を読まなくなった代わりに台頭してきた習慣。スマホに変わって早10年くらいでしょうか?ガラ携時代から親しんでいたもので、情報量は膨大でかつリアルタイムに伝えてきます。新聞やTVなどのニュースにはタイムラグがあるので、アプリからのニュースは重宝してきました。

ただこれも、YouTubeを視聴するようになってからコンテンツの楽しさや有効性を理解すると次第に離れました。そして今はほとんど見ていませんが、アプリは中毒性がありますが、実は見ただけでは頭にほとんど残らないものの代表選手です。
今はアプリ自体を消去しました。思えばこのように知らず知らずのうちに生活の中に入り込み、大切な時間を奪う泥棒なのかと思います。


まとめ

今回は「止めてみて感じた思いなどの考察」でした。
まだまだ見渡せばありますが、それはおいおい記事にします。

止めたことで体調改善、時間創出など結果が出ています。生きていると無駄な?いや不毛な?(おい!)物や行動は沢山あります。ただ、これらが世の中に存在しているのはニーズがあるからです。知的好奇心を満たす欲望や欲求は時として健康を害したり、時間泥棒になったり、いわば負の権化になりうるとは言い過ぎですが、時として嗜好品・怠惰な娯楽は生活していく上で必要であり、人間のさがでしょう。そこには膨大なマイナスエネルギーなどが渦巻いていますが、しかし、それらを含めて生きている証なのだと感じます。

「毎日続ける、時々行う、いつしか止める…そしてまた始める」
習慣のプロセスは人それぞれであり”良い、悪い”はその人次第で変えるれるのは自分だけです。

時間は有限です。好きや興味ある物事を見付けたらすぐさま行動してみる。しっくりくれば続けて無かったら止める。その様なtry&errorによって習慣はその人を現していきます。
自分に納得出来る生き方をしていきたいですね。

今回はここまで
最後まで読んで頂きありがとうございます。
次の記事で会いましょう。


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