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言葉の花束ーアキの詩集No.44


1.「紅い梅の花が美しい」


車を運転しているときに
垣間見えた

どこかの家の
紅梅

一日働いて
疲れた体を休め

何か
感動したことはあるか
今日を振り返ってみると

真っ先に
思い浮かんだ

あの家の
紅い梅の花が
美しかったと

それしか
心動かされたものが
なかった

いや
たったそれだけのことに
深い感動があった

疲れた心に
美しいという感動が
沁みる

ただ働いて動いて
何も感じなかったわけではない

紅い梅の花が
感動という
生きる活力をくれた

ただ動くだけの機械人形ならば
梅を見ても
美しいとは感じない

美しいものを
美しいと感じられる
感性というギフトに
私は感謝したい



2.「暴力が伴ったら、それは正しくない」


人は誰だって
過ちを犯すし

考え方が
偏ることだってある

それに気付いて
過ちを認め
正していくことは
必要だ

確かに
そうだけれど

正しさを
教え諭すためには

相手を否定し
侮辱してもいいなんて理屈は
まかり通って良いわけがない

相手を傷つける行為は
暴力でしかない

自分の正しさを
押し付け
従わせようとするのも
一種の暴力だ

間違いに気付くにしても
それは
相手の課題であるし

他者が影響を与えることが
出来るにしても
相手をコントロールするのは
無理な話だ

無理やり
正しくさせようとするのは
おこがましいし

正しくないから
相手を攻撃しようとか
罵倒しようとか
考えて行動に移すのは
傲りでしかない

自分の正しさを通すために
そういった暴力を使った時点で

あなたは
正しくないのだ



3.「花を楽しむ」


家の庭に植えられた
花々が
私に微笑む

今は
パンジーやヴィオラが
見頃

黄色や赤や白
色とりどりの花々が
咲き誇っている

その花々は
みんな父が選んで
丁寧に植えて
毎日世話をしている

父は
昔から世話が好きで

だから
教師をやっていたのだろうが

それは
花に対しても
同じなのだろう

今日はこの花を買ってきたんだ

あの花が
もうすぐ咲くんだ

楽しそうに
そう話す父の様子が
とても微笑ましい

もうすぐ咲くという花は
まだ
花壇から顔を出していない

何の花なのか
父に聞いても
教えてくれなかった

咲いてからの
楽しみにして欲しいということなのだろう

何の花なのか
心待ちにする想いは
とてもワクワクする

花を楽しむとは
こういうことなのだろうか

その行為を
父と共有できることに
私は喜びを感じている



4.「差別してしまう心をケアするには」


普通という枠から
外れた人って
結構いる

私もおそらく
その一人だ

だからこそ
枠から外れた人に
共感出来るところはある

しかし
その反面

彼らに対し
差別的な視線を
向けてしまいがちなのだ

おそらく
私自身が今まで
差別されてきたからなのだろう

彼らも私も
差別される必要なんてない

それを
心から理解するには

彼らを
受け入れること

また
私自身も
受け入れられる
経験を築いていくことが
必要だと思う



5.「何のために強くなるの?」


私は
何のために
強くなろうとしているの?

ふと
その目的を
探ろうとして

目的が
ないことに気づいた

何という
虚無感だろう

弱みがあっても
いいじゃないか

それを受け入れられれば
人の弱みも受け入れられて
人間関係
ぎすぎすしないし

弱みがあるほうが
人間らしい

弱さと上手く
付き合う方法

探してみても
良いんじゃないのか

自分よ



6.「不必要な枠を外す」


あの人は
私より上とか下とか

そういう
価値観は
いらない

その比較は
自分に何をもたらすの?

私より上ならば
不安になり

下ならば
安心するのは

あまりにも不安で
自分が
つまらない人間に思えてくる

上も
下もなく

あの人は
良い人とか
悪い人とかも
ない

表面的な
比較や価値観に
惑わされず

もっと
奥深く物事や人を
見ていきたい

不必要な枠を外して
正確に多角的に
物事や人を
見つめることが出来れば

自然と
つまらない比較や価値観が
なくなってくるはず

そういう自分は
軸が安定していて
ひと味違っているんじゃないかなと思う



7.「「ない」を手放し「ある」を見つける」


これが出来ないとか
あれが出来てないとか

自分の
思考の中の
「ない」を手放したら

自分の生きる世界は
どう変わるだろうか?

ないものに
いくら目を向けても

そこには
自分が望むものが
十分に無いのだから

自分は
満たされることはない

けれど

逆に
自分の中に
「ある」ものに目を向けたら
どうなるだろうか?

自分には
これがある
あれがある

あれ?
意外と自分って
色々持っているし
恵まれている?

こんなことも出来る
自分にも
出来ることがある

そうやって
「ある思考」で考えてみると

自然と
心が満たされていくし

今まで
気づかなかった
自分の中の「ある」に
目が行き届く

それが出来れば
自分の中の「ある」を
どんどん人生に活かして
生きていける

ないものを見るよりも
あるものを見た方が

より楽しく
自分が生き生きと
生きていける

だから
私は
自分の中の「ない」よりも

「ある」を見て
生きていきたい



8.「みんなが幸せになれる愛とは?」


愛とは何?

愛は
押しつけられると
苦しい

押しつけた相手は
良かれと思って
そうしているとしても

受け取る側は
気持ちが良くない

相手のために
何でもやってあげてしまうのも
実は良くない

やってあげてしまうと
相手は
自分で考えたり行動したり
しなくなる

人としての成長
自立が
損なわれてしまう


愛には
色んな形があるだろうけれど

自分だけが
または
相手だけが気持ちが良くなる
一方通行の愛は
アンバランスだ

双方
気持ちが良い関係でも

結果として
相手の成長や自立を阻害し

その関係において
不健全な共依存が成立しているような愛も
あまり良いとは言えない

その愛は
どれだけの人を心地良くさせ
本当の意味での幸せをもたらしているか?

その視点を持つことで
みんなが幸せになれるような
愛を育めると思う



9.最後に(詩の解説)


かいつまんで解説します。


2.の詩

最近起きた人間関係トラブルで思ったことを書きました。
相手の反応や主張が正しいとしても
人格を否定したり
罵倒することに正当性はないです。

正しさのために暴力を使うのは違う。
今の情勢にも言えますね。


4.の詩について

私自身、発達障害があり
今まで色々と苦労してきましたが
同じ境遇の人々に対し
一種の差別的視線を向けてしまいます。

それに対しどうしたらいいか
考えたのがこの詩です。


8.の詩

私の両親を見ていて思ったことを書きました。

押しつける愛(母からの愛)も

してあげてしまう愛(父からの愛)も

あまり健全とは言えませんね。

みんなが幸せになれる方法を模索していきたいです。


最後までお読み下さり

ありがとうございます。

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