これからの「正義」の話をしようを読んで
体育会系ニートマンです!
Twitterで自分自身を使った人体実験をしました。
結果的には3時間27分で読了という形になりました。
こんなに時間がかかった理由はこの本が考えながら読まなきゃいけない本だったからです。
文章を理解してメモして想像して自分ではどのように動くかを考えて。ものすごく疲れましたw
マイケル・サンデルの書いた名著「これからの『正義』の話をしよう」
では、これからの「正義」の話を、ワイもしていきたいと思います。
1.概要
全部で第10章という構成になっています。
第1章では、前提の話とこれから証明していく話をしています。
第2章から第8章まではそれぞれの「正義」に属している哲学者の出した結論を述べています。
例えば、功利主義者のベンサムの出した結論は正しい行いとは「効用」を最大限にするあらゆるもの、コミュニティ全体の幸福を最大にすることが正義という考え。
カントは功利主義を認めず、二元論によって「正しいことを正しい理由のために行う」という人格の尊重を掲げ、自律的な行動を促した。
ロールズの考えは、カントの考えをさらに発展させ「無知のベール」を原初状態とし、仮設的社会契約より自由かつ合理的な人々によって正義の原理が導き出されるというものです。
古代ギリシア時代の哲学者アリストテレスは目的を重視し、目的を最もうまく実現できる人が最も良いものを持つべきという結論に至りました。
他にもリバタリアニズムや市場の考えを用いて過去の「正義」を考察しています。
第9章、そして最後の第10章は筆者の考えが述べられています。
筆者はこの章までに、かつての哲学者の結論に対して、賛同あるいは否定どちらかの立場に立つことなく、取り上げたかつての哲学者に疑問を投げかけた。そしてそれをまとめ、自分の結論へと導いています。
この本は、過去の「正義」と現代社会で主立っている(蔓延っているとも言えますが)「正義」をMIXして未来へと「正義」を投げかけている本です。
2.筆者の考える「正義」とは何か
筆者自身、「正義」に関する明確な答えはまだ出ていません。支持する考え方はあります。
公正な社会は、善良な生活の意味をわれわれがともに考え。避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくり出す
功利主義者の掲げる個人の幸福より社会の幸福の最大値を優先する「幸福の最大化」ではなく、カントやロールズの掲げる徹底した「人格の尊重」でもなく、リバタリアニズムの掲げる「自己所有権」や「自由市場」の論理でもありません。
「連帯」「不平等の解消」「共通善」といった、個人と社会にとっての最適解を見つけることこそが正義だ、と。
そのためには市民も政治も市場も同じ理解と同じ視点に立って、相互を尊重しながら生活する必要がある、と
ただ、それすら支持を表明という形であり、これが「正義」だと断定していません。
これがタイトル「これからの『正義』の話をしよう」に繋がっていきます。
そう、この本はそれぞれの「正義」を持ち寄ってみようよ!そして一緒に考えてみようよ!という本なんです。
3.私の考える「正義」
では、この本を読んだワイの「正義」を話します。
ワイの考える「正義」は「自律的行動及び主観の排除ゆえの他者の尊重によるお互いの最適解を導き出す」です。
簡単に言うと「思い込みや経験則を止めつつ、自分の感情をコントロールして、お互いにとっていい案をだそうよ」ということです。
ロールズの提唱する「正義」に近いものだと思います。彼のことはあまり知らないので、彼が「正義」について書いた著書『正義論』(1971)を読み、彼の哲学への理解を深めたいとは思っています。
思い込みは視野と思考の幅を狭め、決断に割り込んできます。経験則は思い込みや決めつけを生みます。これを排除することで「何が適切なのか」という一点で判断することができます。この一点は人によって違う判断になるでしょう。
しかし、客観的に物事を判断している状態では、人の意見も客観的に判断するができます。客観的視点こそがその場の最適解を生む条件です。人の意見を互いに尊重し、お互い譲歩しつつ最適解を導き出せるでしょう。
カントは「おもいやり」を否定しました。それはおそらく「おもいやり」が主観的行為だからです。
その点においては私も同意します。
一方で、「おもいやり」という行為の根源にある他者を思う気持ち、これも「正義」だとワイは考えます。
この矛盾をどうするか。
だから、ワイは客観的視点で物事を見た際のおもいやりは互いの利益になると考えました。
例1)満員電車の中、あなたは運よく座れています。そこにお腹の大きな妊婦さんが電車に乗ってきました。
主観的おもいやり「お腹大きくて大変そうだから席を譲ろう」「妊婦さんには席を譲るのが常識だから席を譲ろう」「困っていそうだから席を譲ろう」
客観的おもいやり「ストレスかかると妊婦にはよくない。満員電車はストレスかかる。だから席を譲ろう」
例2)外国人が道に迷っているようです。
主観的おもいやり「日本語が読めなくて迷っているのかな?助けよう」
客観的おもいやり「迷っているのかな?声をかけてみよう」
例3)今日は友達の家でお泊り会です。友達は「ちょっと電話してくる」とベランダへ行きました。その時、友達のストーカーが押し入ってきました。「友達を出せ!!!」と脅してきます。
主観的おもいやり「友達はでかけた!戻ってこない!警察呼ぶよ!」と嘘を交えて対処
客観的おもいやり「友達はいません。私に危害を加えるようでしたら警察を呼びます。でも押し入ってきたのには理由があるんでしょう。」と真実のみを話し、気持ちを汲みつつ対処。
ワイは話を聞くことがまず何よりも重要だと考えます。 それは個別においてもコミュニティーにおいても社会においても。企業も政治も人が運営している以上意思を持ちます。その意思を尊重しなければならない。意思は勝手に流れ込んでくるものではありません。1を聞けば10を知れるわけでもありません。何が最適解か話し続けましょう。
4.終わりに
以上がワイの考える「正義」でした。
ワイはワイの「正義」のために、とにかく調べることを信条としています。
人から聞いた知識が実は間違っているかもしれない。
根拠のあった知識でも最新の研究ではひっくり返っているかも。
こんな経験したけど他の人はどうなんだろう。
少しでも不安になった知識、自信のない知識はすぐに調べます。
これを押し付けるつもりはありません。何を信じるか、それは自由です。
そう、キリスト教を信仰していようが幸福の科学を信仰していようがコピミズム伝統協会を信仰していようが、自由です。
しかし、できればワイもまた、様々な人と「正義」の話をして自分の正義を確立していきたいです。
読んでいただき、ありがとうございました!
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