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中国語小説の翻訳教室――神の代弁者になるために(コラム5「翻訳家の失恋」)

 ある作家を神と崇め、その作品の翻訳に身も心も捧げる翻訳家にとって一番のショックは、翻訳する権利を他人に奪われることです。私にもそんな経験があります。

 私が大学時代に初めて翻訳した作品は、海岩の『玉観音』でした。海岩は元警察官としての経験を活かし、この作品でも『永不瞑目』と同じく、麻薬捜査をリアルに描き切りました。またホテル経営者である彼は、作中で頻繁にホテルを登場させます。私は当時、警察官にはなれないので警備のバイトをしました。それを辞めるとホテルのフロント係のバイトをしました。宿泊客が寝静まった丑三つ時、私はフロントの裏側で『玉観音』を黙々と翻訳していました。いつか世に出すことを夢見て。

 海岩の作品のうち、最も早く邦訳が出たのは『五星大飯店』です。私は喜ぶと同時に、困惑しました。最初に海岩の翻訳を始めたのは私のはずなのに、と。まるで憧れの女性を他人に奪われてしまったような感覚でした。そして私が翻訳済みの別の作品も、先を越されるのではないかと恐れました。その予感は的中します。その後『玉観音』が、翻訳出版されることになったのです。訳者はもちろん、自分の原稿を売り込もうともせず、これを温めるだけで満足している無名の私ではありませんでした。私は嫉妬の炎に焼かれ、狂いました。これが私の翻訳家としての、甘酸っぱい初恋です。

 名前は伏せますが、私はその後、別の作家の作品に魅了されました。私はその作家に直接電話をし、短編小説を翻訳紹介する許可を得ました。そしてこの作家の代表作も後に、日本で出版されることになりました。作家本人にアピールし、出版社の方に私を推薦してもらいました。それにも関わらず、別の訳者が選ばれました。これが二度目の失恋です。

 結婚と同じく、実際にゴールインするためには計画が大切です。作家と翻訳家が相思相愛でも、出版社という時に理不尽な親が首を縦に振らなければ、この結婚は成立しません。ここまで考えると、私は馬鹿らしくなってしまいました。もう二度と、ある作家の翻訳に全身全霊を注ぐことはできそうにありません。

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