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身内が癌になりまして。

ご無沙汰しております。音彩です。
コツコツ三ヶ月間毎日更新してたものが急に一気に滞りましたのは、タイトルにあるような事象が我が家に降りかかったからでございました。こんなタイトルなのに華やかな三月の背景にしたのは決して彼の人を憎んでるわけでもこのようなことを喜んでるわけでもありません。
ちょうどその日、私は上の娘と雛人形を出しておりました。私ごとですが桃の節句というのは私の誕生した日でもございまして、また下の娘の初節句ということもあり、大切に祝う予定であれこれ準備を進めていました。買ったばかりの雛人形やタペストリーなんかを飾り付け、娘と駅ビルの和菓子屋さんで可愛らしい雛菓子をいくつか買って
「まだ食べちゃダメよ」
と言い聞かせてる私の横で上の娘が早速つまみ食いをする。そんな慌ただしいなかにも平和な日々が帰ってきたような天気の良いある日、母から電話がありました。
「姉さんが末期癌になっちゃったって」
娘に向けてた笑顔がそのまま張り付いてしまって、ちょうどアイキャッチにあるような、華やかな節句の中に急に落ちてきた重い事実だったのです。

人間、受け入れ難い事実が降りかかると無意識に現実逃避を始めるもので、私の頭の中には何故か米澤穂信先生の「儚い羊たちの祝宴」の一節が浮かび、そしてこんなに不謹慎なことはないだろう、こんなことを連想するなんて縁起が悪すぎる、と首を振ったりしていました(読んだ人だけがわかるようなネタですみません)
珍しく泣きじゃくる母の声を聞きながら、今一番大変なのは伯母さんなのだから、しっかり気を持って、できることはなんでもするから、と繰り返してる私の声も震えていました。つい先日も上の娘がたくさん遊んでもらったばかりなのに。最近、お腹の調子が悪いからと言って随分病院には通っていたのに、どうして見つからなかったのか。あんなに元気そうなのに末期なんてことがあるのか。不安を打ち消すように色々な疑問が浮かびましたが、私の役目は母を支えること、そして何より、何より私の大切な祖母のケアをすること。母さんを置いていきたくない、という伯母を少しでも安心させられるように。

でも。
でも。
本当は私に何が言えるんだろう。
何を言っても私は当事者から少し離れているし、気休めというか、何も説得力がなくて。できることはなんでもやるつもりだけど、幼い娘を二人抱えてる私ができることなんて本当は何もない。
伯母どころか、母にかける言葉すら見つからなくて。私は無力で。色々調べたけど、末期癌は基本的には治療法がないから末期癌というくらいなので、そんな人に諦めないで、とも言い難い。

久々に神様を恨みました。あなたに頼んでなんとかしてくれるならいくらでも頼むけれど。
伯母の、母の
「お願い、あと十年ください」
という悲痛な願いを、どうかどうか聞き届けてください。

お願い、神様。

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