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【パリの日々】Flâner

八月の真ん中。
響きが連想させるよりパリの11時はずっと涼しく、大使館から一歩出た瞬間の日差しの弱さで、私は帰路に就くよりこのまま散歩を続けることに決めた。

オリンピック期間中、選手やその家族、関係者の滞在先となっていたホテルが位置するクルセル通り。通行止めのフェンスは除かれ、一人の警官もいなければ一台の五輪専用車も停まっていない。
リスボン通りとの交差点にあるカフェに客はおらず、一人で歩くには広すぎる通りを私は下る。オスマン大通りを過ぎる車さえ疎らだ。人のいない、放っておかれたような夏季のパリの居心地も悪くない。

サン・フィリップ・ドュ・ルール教会を通過し、フォーブール・サントノレ通りに方角を取る。大振りな国旗のはためくカナダ大使館前には数人の列ができている。古書店やギャラリー、不動産は軒並み閉まっている。
著名なブリストルホテルの前にさえ旅行客の姿はなく、私はこの例外的なパリをエリゼ宮に向かって歩く。フォーブール・サントノレ通りは少し長すぎるくらい長いので、交差する横道の名を一つひとつ読んで遊ぶ。デュラス通り。アンジュ―通り。ボワシー・ダングラス通り。あるいは、道の名に目をやらず迷ってもいい。

やっとロワイヤル通りまで来る、左手にマドレーヌ寺院が見えるが曲がらず歩き続ける。サン・フロランタン通りには羊羹の「とらや」が店を構える。カンボン通りは最近読んだ小説で主人公が宿を取っていた場所だ。
左にヴァンドーム広場、右手のチュイルリー公園には五輪のテントが連なって張られ、視界が遮られる。常時なら、ここからセーヌ対岸のオルセー美術館が見えるのだっけと自問する。いや、公園に入ってもう少し河岸に近付かなければ見えないな。

初めて左折し、ピラミッド通りを上がる。一つ目の角に「ジュンク堂」パリ支店がある。パリの中心にある日本の本屋さん。随分と久しぶりに入店したが、読んでみたかった雑誌の最新号は置かれていなかった。当然と言えばまぁそうか。一階は日本語テキスト、文庫や新書、建築や美術本の棚。日本に関するフランス語書籍も豊富だ。地下は漫画のコーナーになっていて、フランス語に訳された日本の漫画本が所狭しと並び、フランス人の客が多い。奥に文房具や書道用品。

正午も過ぎたのでそろそろ帰ろう。書店を出てリヴォリ通りまで下り、メトロの駅へ来ると入り口にシャッターが下りている。オリンピックは終わったけれどまだ塞いでいるのね。
仕方なく、しかし引き返す代わりにリヴォリ通りをそのまま歩く。あるカフェの前を通って、ここでコーヒーを飲んだことがあるのを思い出す。まだ院生だった頃、インターンの面接を受けるためにパリへ来た時だ。晩秋にかかる肌寒い日で、温かいコーヒーを頼み、道行く人々を眺めた。5年近い歳月が経ったことに驚くが、同じ場所に変わらぬものがあるのはいいなと思う。

右折し平和通りを上る。ヴァンドーム広場には多くはないが観光客がいる。日差しが強くなり、お腹も減ってき、けれど広がる青空のもと散歩を満喫する。都会の空気だから綺麗ではないだろうが、私は呼吸ができる。この街が好きだ。

オペラ座の駅からようやくメトロに乗り――そういえばこれは、2015年、パリのフランス語学校に一週間だけ通った夏に取っていた経路だ――、帰途に就いた。



フランス語にはflânerという動詞があって、目的なく、急くことなくただ街を歩くことを指す。ぶらぶらする、のだが偶然にその場にあるものを眺めて楽しむという要素が含まれて、だからウィンドウショッピングの意味でも使える。死語かもしれないが「銀ぶら」のニュアンスに近いと思っている。
普段よく目にする動詞ではないのだが、文脈の中で出てくれば「散歩」「逍遥」「そぞろ歩き」などと訳されるのかな。

flânerできる街というのが住むにあたっても旅先であっても私には大事で、パリを愛す大きな理由の一つだ。

旅に出て知らない土地の空気を吸うことは時に身体にも精神にも必要だと知っているが、いつでもパリはここにある。変わるパリ、変わらぬパリ、住んでいる街を飽くことなく永遠に歩き続けられるいう確信は、私の日常を支える。