見出し画像

砂丘[掌編小説]

 久しぶりに撮ってもらった写真は、なんだかとても緊張して、私はすこし視線を下にした、小難しい顔で立っていた。カメラを構えた貴方がそれを見て笑うものだから、「私、貴方を撮りたかったわ」というと、お互い不思議な温かさを抱えて、雨の上がった後の、湿った毛布みたいな地面に棒立ちになって、とにかく笑ってしまう。
「ここは時間が遠い所なんだ」
 私の夫は、よく砂丘に来るという。最初は、小学校に入る前の小さい時。砂を掘り返して持ち帰ってしまって、親に怒られたらしい。二回目は、新しい自転車を乗り回す為に来たのだけど、記念写真を撮ってもらっている家族がたくさん居て、うまくいかなかったという。
 薄緑色の空を仰いで、夫はずいぶんと雄弁に語った。
「サーッと走っていたら、ボーダーの服に水色のサロペットスカートの女の子に睨まれたんだ。それで萎縮してしまってね」
「あら、それ。わたし、覚えがあるわ」
 私はびっくりして声を上げた。「その子、黄色いユリを持っていなかった?」と尋ねると、夫は目を皿にして、「持っていたとも。あれは君だったのかい」といった。私の首に熱が溜まる。「いやだわ」と呟くと、彼は頭を傾けた。
「どうして。僕はうれしいのに」
「私、あの時とても機嫌が悪かったのよ。あの花だって、お母さんが私のご機嫌取りに、慌てて買ってくれたんだから。不細工な顔をしていたでしょう」
「確かにむすっとしていたが、あれは僕がカメラの間を走り過ぎたからだと思っていたよ。あぁ、よかった。僕は一安心だ」
 夫があんまりにも大笑いするので、私は彼の背をバンバンと叩いた。彼のスーツを着た黒い背中が丸まって、帽子が砂の上に落ちる。
 夕暮れの砂丘は、薄紫色に翳っていた。黄色ではない。
「おや」
 夫が帽子以外のモノを拾った。親指と人差し指の腹に潰されているのは、黄色の玉だ。
「BB弾じゃないか」
 夫が驚くわけは、彼の三回目の訪問にあった。中学三年生の夏祭りで、サメ釣りの景品がおもちゃの銃だったという。それは一等の商品で、嬉しくなって走り回り、調子に乗ってすべて弾をなくしてしまったのだ。
「でも、それが貴方のもののわけ、ないですよ。ほかの子供が、貴方と同じように、落としたんです」
 キラキラと、夕日の灯りをいっぱいに取り入れた瞳で、貴方が語るものだから、夫を諭す私の声は戸惑いと呆れを含んでいた。彼はもっともらしく頷いたのに、次に首を横に振る。
「となれば、その子供も私というわけだ。つい最近まで、過去の僕がここにいたんだな。言っただろう、ここは時間が遠いんだ」
「まぁ。あきれた」
 夫はまるで少年か夢想家のようだった。カメラを軽くあげて朗らかに笑う彼に対して、私は腰に手を当てる。どちらからでもなく、同じ歩幅で歩き出した。絡めた手は夏の空気で生暖かい。
「君、いつか僕が死んだら、遺影を連れてきておくれ。ここは僕の時間であふれているから、もしかしたら、その時もまだ、ここに僕はいるのかもしれない」
「悪趣味よ!」
 ツンとした声で非難すると、彼はびっくりするくらい大きな笑い声をあげた。息をいっぱいに取り込んだ貴方のお腹が大きく膨らむから、私も息を吸う。
 ジオスミンの匂いがした。

「あの時、赤い着物なんて着なければよかったわ。現像したら黒色になってしまうもの。まるで喪服みたい。この写真を見るたび、ここに来るたび、私、貴方のこと思い出すのよ。ねぇ、貴方。どこにいるの」
 空いた片手を夏の空気が通り抜けていく。
 二枚の写真を持った黒い着物の女が脚立と一緒に、ひとり分の足跡しかない砂丘を歩いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?