イト
スマホの振動が彼を起こさないように素早く静かにアラームを止める。
隣で幸せそうに眠る顔を数秒目に焼き付けてからゆっくりとベッドから身体を起こした。
準備を終えて部屋を出ようとした時、ベッドから眠そうな声がゆらゆらと流れてきた。
「何時に帰ってくる?」
朝の彼はいつもより声が優しくて好きだ。
「んーいつも通りかな。なんか買ってくる?」
「いや、なんか作ろうかな?」
「ほんと? 助かる」
「何がいい?」
「なんでもいい」
何を作ってくれるのだろうか、帰りが楽しみで仕方がなくなる。
靴を脱いで、テーブルに向かう。
「お金ここ置いとくからよろしくね」
「いいのに」
「何言ってんの。どうせないんでしょ?」
彼のお財布事情は私が一番よく知っている。
バイト代も、ライブのノルマでほとんどが消えてしまうのだ。遊びに行く事も我慢して、ひたすらに頑張っているのを私は知っている。
「ごめん」
彼の声が弱々しくなったことに気が付いて、しまった、と思った。
「先行投資だから。売れたらお世話よろしく」
軽口に逃げてその場をしのいだ。
「おう」
行ってきます、私はそう言って玄関扉を開けた。
私には彼のような夢はない。
だから、彼の夢を私の夢にした。
その為に必要なら私がお金を稼いだっていい。
彼が食べていけるだけの糸を垂らしてあげることしか私にできることはないのだから。
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