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木の文化(小原二郎著)下


前回は「古代人と木」、「天然材料と人工材料」についての話でした。



針葉樹と広葉樹


樹木を大別して、針葉樹と広葉樹に分けられることはいうまでもない。この区分は、植物学的な立場からの立木としての分類であるが、一方木材を工芸的に使う実際上の立場からみても、同じような違いがある。このことは木材の造形的な性質を考えるうえで、とくに留意しておかなければならない点である。


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〈 感 想 〉 針葉樹と広葉樹の違いといっても、通常あまり意識されてないかもしれません。大まかに言うならば、針葉樹は白木のままで滑らかな木肌が多いです。(なお、同じ種類の木でも、木目や木肌の雰囲気がかなり異なることもあります。)

「樹木をどうとらえるか?」、建築材としてみた場合、彫刻材としてみた場合、工芸材としてみた場合それぞれに大きく異なってくると思われます。あまりにも多様で一括りにはできない樹木の性質、その一長一短を踏まえながら、私は仕事をしていきたいと考えています。




日本人の美意識


歴史家の林屋辰三郎氏は以下のように語っている。
「日本では、人間がすべて自然と共存せざるを得ない仕組みになっていた。日本人の思想史も儒教や仏教といった体系を持つ文献的な大思想よりも、(中略)自然と密着した民族的な思想の方が、はるかに現実的なものであった。したがって、日本人はそうした自然の中に歴史を考え、美を見出したのである。」


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「(中略)古代人の思想は、特に自然観において特徴的である。草木みな能く物言うといわれるように、人間の周囲をとりまく樹木に精霊を見出し、さらに神の降臨を感じとったのであって、自然観を形づくる根幹に樹木があった」


〈 感 想 〉 著者は「日本人の美意識については、その道の専門諸氏の説を借りて私なりに解きほぐしてみよう」と、言っています。上記以外にも、多田道太郎氏と安田武両氏の対談、加藤周一氏の伝統的世界の構造図などを紹介し、「日本人の美意識や自然観はどのようにして生まれ根付いていったのか?」を考察します。


どうやらそれは古代人の自然観に起因しているようですが、解き明かす過程にも発見と説得力があります。私は木の工芸に携わる仕事をしていますが、精霊を見出すような能力はありませんが、ただ課せられる責務は大きいのかもしれないと思いました。



本の概要

ここまで取り上げたのは、本のごく一部です。著者の専門分野は幅広いのですが、その多面的な視点や内容が大きな魅力になっているように感じます。

とりわけ古代木彫仏像の研究には心血を注がれているようです。巻末には、木彫仏からその一片を顕微鏡で調べ上げ、一つ一つ樹種を特定した詳細な表があります。私は知らなかったのですが、古代の仏像にはクスノキ.ヒノキだけでなくカツラ.クリ.サクラ.カヤなど様々な木材が使われています。


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そして、金銅仏から楠(広葉樹)仏像、針葉樹の仏像への移り変わりとその考察。さらに東アジアの木材交流「木の文化」を軸に東西の比較文明論、資源(木材)の枯渇にまで言及されています。古い本ですが、図書館などで読んでも面白いかと思います。

(読んでいる時は気づかなかったのですが、別の本で著者は木曽の人であったと知りました。同じく木曽出身の義兄に話したところ、「あぁ、その人なら近所の人だ」に驚き嬉しく思いました。)

小原二郎著 
木の文化―SD選書67  昭和47年発行 /鹿島研究所出版会
*日本人と木の文化―朝日選書262 1984年発行/朝日新聞社




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◎次回は、「工房スケッチ…朱の色合い」です。


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