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「しっかり者」やめます宣言

言われても、あまり嬉しくない褒め言葉がある。
「しっかり者」「メンタルが強い」の二つだ。

嬉しくないのに、よく言われる褒め言葉トップ5には入っている。
「いやぁ〜、鮎川さんは本当にメンタル強いよねぇ」
飲み会でジョッキを握りしめた男性が唸り、周りがしみじみと頷く。

「いやぁ〜↑↑」と上がり調子の声に込められたのは、感嘆か、畏れか、それともおだてか。分からないので、謙遜か受取拒否か分からないようにへらへらと打ち返す。

「や〜、そんなことないですよぉ」
言葉の空中戦。不毛だ。


昔は「しっかり者」も「メンタルが強い」も嬉しかった。素直に、これはわたしの長所なのだと思った。
しかし「しっかり者」の言葉がお願い事とセットになったのは、いつからだろう。

「修学旅行の班長、マキがいいんじゃない? この中だと一番しっかり者だからさ」

しっかり者。そうか、わたしはこの中で一番しっかりしているのか。
……そうかな?

そうかな? と感じたときにはもう遅い。数秒黙っている間に、周りは「そうだね」「マキなら安心だし」と言葉を積み重ねる。逃げ道はやんわり塞がれた。

周りのずるさに気づいているのに、断れない。仕方なく引き受けると「経験者だから」とまた頼まれる悪循環。班長、リーダー、〇〇委員を何回やったことだろう。


「メンタルが強い」も同じだ。
面倒な人の相手、誰もやりたくない調整、難しい交渉。お金が貰えるんだからと淡々とこなすうちに、「メンタルが強い」は「しっかり者」を超えて、褒め言葉トップ3に躍り出た。

「メンタルが強い」キャラが職場で定着するのは、あまりにも危険だ。修学旅行から十五年が経ち、そう感づける程度には大人になっていた。


仕事はしながら、都合の良い「しっかり者でメンタルが強い」キャラは手放す。矛盾するような挑戦だったが、同僚の一言に光明を見出した。

「あっ、わたし前回もその係やりました〜。今回は別の人お願いします!」

朝イチ開催の、ちょっと面倒な会議での発表係を決めているところだった。
やんわりと回されそうだった係を、彼女は穏やかに、バシっと、正論で跳ね返す。

(メンタルつよ……)

ん? そうだ。しっかり者でもいいし、メンタルは強いままでいいのだ。
その強さをもっと自分のために使おう。もっと笑顔でワガママを言おう。

わたしは人よりストレスに強い。それは事実だ。
自社の商品レビューに、怒りを超えて悪意すら感じる呪詛がつらつら書かれていても(はいはい、何か言ってら)とあしらいながら、必要な部分だけ読むことができる。

今まではこの力を、チームのために使ってきた。
チームの成功はメンバーのおかげで、チームの失敗はリーダーの責任。どこかで聞いた言葉をあまりにも美しく実践し、たくさん人を褒め、たくさん人の代わりに謝った。

でも、たまには美味しいところもいただきたい。自分がやりたいことも優先したいし、人を貶めない程度にはずるくなりたい。

わたしが都合よく使えなくなり、ぐちぐち言う人もいるかもしれない。でもこれからは、嫌なことをべしっと跳ね返すために、自分の強さを使ってやる。


ということで、さっそくあるワガママを言っている。

実際はワガママですらない。一年前のわたしなら仕方なく譲っていた場面で、今回は譲らない。それだけだ。

慣れていないので、正直ドキドキする。
罪悪感に襲われる度にチャットのやり取りを一言一言振り返り、悪いことはしてないと確かめる。

前みたいに「はいはい」とすべてを受け入れた方が痛みは少ない。でもそれではダメだ。これはリハビリだ。

人に親切にするために、いつの間にか自分をぞんざいに扱っていた。今度は自分を大切にする番だ。


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